ジャーメイン良は、Jリーグのサンフレッチェ広島に所属し、フォワードとして活躍するプロサッカー選手です。
また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事ではジャーメイン良のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。
ジャーメイン良とはどんな選手なのか?
プロフィール
ジャーメイン良(じゃーめいん りょう)は1995年4月19日生まれ、神奈川県厚木市出身のプロサッカー選手です。
現在はJリーグ・サンフレッチェ広島に所属し、背番号は9番をつけています。
身長182cm、体重82kg、利き足は左足、愛称は「ジャメ」です。
「快速ストライカー」という愛称で親しまれており、その名の通り圧倒的なスピードを武器に相手ディフェンスの裏を突く動きが得意です。
ポジションと特徴
ポジションはフォワードで、主にセンターフォワードとしてプレーしますが、必要に応じてウイングやセカンドストライカーとしても起用される万能型アタッカーです。
特徴としてまず挙げられるのが圧倒的なスピードです。
「動き出し」が非常に上手く、相手ディフェンダーのスキを見逃さずに裏へ抜け出す動きは彼の最大の武器となっています。
ポストプレーでも攻撃の起点として機能し、チームの攻撃を引っ張る存在です。
得点能力も高く、特に2024年シーズンには、高い決定力を見せつけ、2024年4月にはJ1月間MVPを受賞するなど、その実力が国内で高く評価されました 。
守備面でも前線から積極的にプレスをかけ、チーム全体の守備貢献度も高い選手として評価されています。
ジャーメイン良の出身地は?
出身地は神奈川県厚木市
出身地は神奈川県厚木市です。
この市は神奈川県の内陸部に位置し、神奈川県央の拠点都市として知られ、人口は約22.4万人で、1955年に市制を施行した歴史ある都市です。
厚木市は利便性と自然が共存する街として評価されており、本厚木駅周辺は交通アクセスが良く、商業施設や飲食店が密集した賑やかなエリアを形成しています。
一方で、豊かな自然環境も保たれており、家族連れにも人気の住みやすい街となっています。
名所としては「七沢温泉」や「湯花楽厚木店」などの温泉施設が有名で、日帰り温泉として多くの人々に親しまれています。
また「ひまわり公園」などの自然豊かな公園もあり、四季折々の風景を楽しむことができます。
特産物といえば「厚木シロコロ・ホルモン」が有名で、ホルモン焼き店が多いのもこの地域の特徴です。
厚木名物のホルモンは多くの観光客や地元民に愛されているグルメです。
有名人としては、元女子サッカー選手の永里優季さん、俳優の浅香航大さん、遠藤雄弥さん(D-BOYS)など、多彩な分野で活躍する人材を輩出しています。
教育面でも評価が高く、サッカーにおいてもジュニアユースチームが充実しており、ジャーメイン良のようにプロ選手を輩出する環境が整っています。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は、厚木第二小学校に通い、この頃から地元のクラブチームでサッカーを始めました。
中学校は厚木中学校通い、この時期も地元のクラブチームでプレーしながら技術を磨いていました。
高校は流通経済大学付属柏高等学校へ進学。
同校のサッカー部に所属し、輝かしい成績を残しました。
大学は流通経済大学へ進学。
同大学のサッカー部に所属し、活躍を続けました。
ジャーメイン良の経歴は?
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2017-2020 | ベガルタ仙台 | 51 | 6 |
2021 | 横浜FC | 31 | 2 |
2022-2024 | ジュビロ磐田 | 91 | 31 |
2025- | サンフレッチェ広島 |
プロ入り前の経歴
幼少期からサッカーに親しみ、地元の南毛利FCでその才能を育み始めます。
小学1年生の頃に2002年日韓W杯を観てサッカーを始め、その情熱を燃やしていきました。
中学校進学後はFC厚木ジュニアユースDREAMSに所属し、中学で学業とサッカーを両立しました。
この時期から、彼の俊敏な動きと得点力が際立ち、注目される存在となります。
高校は流通経済大学付属柏高等学校に進学し、サッカー部に所属。
3年生時には高円宮杯JFA U-18サッカープレミアリーグで優勝し、チャンピオンシップでもヴィッセル神戸U-18を破って日本一に貢献するという輝かしい成績を残しました。
高校卒業後は流通経済大学へ進学しサッカー部に所属。
2年生から全日本大学選抜に選出されるなど活躍を続けました。
大学4年生時の2017年には第66回全日本大学サッカー選手権大会で決勝で法政大学に勝利し、在学中2度目の優勝を果たしています。
Jリーグでの経歴
2017年にJFA・Jリーグ特別指定選手としてベガルタ仙台に登録されました。
7月22日のプレシーズンマッチ・ヴィッセル神戸戦で仙台デビューを果たし、試合終了間際にPKを獲得してホーム初ゴールを決めました。
2018年にベガルタ仙台に正式に加入。
4月4日のルヴァンカップ第3節・FC東京戦でプロ入り初得点を決め、同月14日のJ1リーグ第8節・川崎戦で公式戦の規定出場時間を満たしたことでプロA契約を締結しました。
2020年12月28日に横浜FCへ完全移籍。
2021年シーズンは31試合に出場し2得点を記録しました。
2021年12月23日にジュビロ磐田へ完全移籍加入します。
2022年シーズンは開幕戦の福岡戦で途中出場から移籍後初ゴールを決めますが、チームはJ2降格。
2023年シーズンはリーグ戦31試合に出場し、自身キャリアハイでチームトップスコアラーの9得点を挙げ、チームは一年でのJ1復帰を果たしました。
2024年シーズンは絶頂期を迎え、3月1日に行われた第2節の川崎戦でハットトリックを達成し、この試合の決勝ゴールとなる4点目もPKで決めて1試合4得点という偉業を達成。
4月にはJ1月間MVPを受賞し、最終的にリーグ戦32試合に出場して19得点を挙げて自身リーグ最多記録を大きく更新しました。
しかし、チームはJ2降格となり、シーズン終了後にクラブから唯一Jリーグ優秀選手賞に選ばれました。
その後、2024年12月24日にサンフレッチェ広島へ完全移籍することが発表されました。
日本代表での経歴
2017年8月のユニバーシアード台北大会にユニバーシアード日本代表として出場。
先発した3試合すべてで得点を決め、決勝のフランス戦では決勝点を挙げて優勝に大きく貢献しました。
2025年7月、EAFF E-1サッカー選手権2025に出場する日本代表メンバーに選出され、A代表初招集を果たしました。
7月8日、初戦の香港戦にスタメン出場しA代表デビュー。
先制点を含む4得点を決め、チームの勝利に貢献しました。
代表デビュー戦で4得点を決めたのは1930年の若林竹雄以来95年ぶりの快挙です。
第3戦の韓国戦でも決勝点となる得点を決め、1-0の勝利と優勝に貢献。
大会史上最多の5得点を記録し、5本のシュートで5得点という驚異的な決定力を見せつけました。
この大会で得点王とMVPを獲得し、一躍日本代表の主力選手に肩を並べるまでとなりました。
ジャーメイン良の年俸は?
年俸は、プロキャリアをスタートさせた2018年のベガルタ仙台時代には推定400万円前後とされ、J1リーグの新人選手としては標準的な水準でした。
その後、2020年に横浜FCへ移籍すると年俸は1000万円前後に上昇。
2021年からジュビロ磐田では年俸が上昇していき、2022年には2000万円前後、2023年には3800万円にまで増額されました。
そして、2024年に絶頂期を迎えたことで年俸は一気に跳ね上がり4500万円に。
日本人選手としてもトップクラスの金額となり、チーム内での重要性がうかがえます。
このように、ジャーメイン良の年俸はその活躍に比例して大幅に上昇しており、彼の実力が国内で高く評価されていることがわかります。
※金額は推定です。
ジャーメイン良の家族は?
家族は、父・母・本人・弟の4人家族です。
父親はアメリカ人で、母親は日本人というハーフの出自を持っています。
両親とも、職業など詳細な情報は明かされていません。
弟はジャーメイン・アレクサンダー正さんで、2歳年下です。
兄と同じくサッカーをしていましたが、一度モデル活動を行い、その後またサッカー活動に復帰しているそうです。
家族についての詳細な情報は多く明かされていませんが、ジャーメイン良のサッカー選手としての活動の裏には、温かい家族の支えがあることは間違いありません。
特に、日米ハーフという出自を持つことで、両文化の良さを受け継いでいると言えるでしょう。
ジャーメイン良は結婚している?彼女は?
ジャーメイン良は、結婚しています。
2018年3月23日に一般女性と結婚し、すでに家庭を持っていることが明らかになっています。
妻は一般女性で、詳細な情報は公開されていませんが、2018年9月20日に長男が誕生しており、現在、3人家族として生活を送っているとのことです。
ジャーメイン良は、家族との時間を大切にし、サッカー選手としての活動とバランスを取りながら充実した生活を送っていることと思われます。
まとめ
ここまでジャーメイン良の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
Jリーグで活躍し、サッカー日本代表にも召集されています。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、ジャーメイン良の活躍に注目していきましょう!