古橋亨梧は、フランス リーグ・アンのスタッド・レンヌに所属し、フォワードとして活躍するプロサッカー選手です。
また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事では古橋亨梧のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。
古橋亨梧とはどんな選手なのか?
プロフィール
古橋亨梧(ふるはしきょうご)は1995年1月20日生まれ、奈良県生駒市出身のプロサッカー選手です。
現在はフランスのリーグ・アン所属のスタッド・レンヌに所属し、背番号は7番をつけています。
身長170cm、体重63kg、利き足は右足、愛称は「キョウゴ」です。
50mを5秒台で駆け抜ける圧倒的なスピードでディフェンスラインの裏に抜け出す動きが得意で、一瞬の隙を突いて得点を奪うことができます。
ポジションと特徴
ポジションはフォワードで、主にセンターフォワードとしてプレーしますが、左右のウイングやセカンドストライカーとしてもプレー可能な万能型アタッカーです。
特徴としてまず挙げられるのがスピードです。
50mを5秒台で駆け抜ける俊足を武器に、相手ディフェンダーの裏へ抜け出す動きは世界トップレベルと言われています。
また、ゴール前での冷静さも彼の大きな強みです。
狭いエリアでも正確なトラップとシュート技術を発揮し、高確率で得点につなげます。
さらに、守備への貢献も見逃せません。
前線から積極的にプレスをかけ、相手ボールを奪取することでチーム全体の守備力向上にも寄与しています。
古橋亨梧の出身地は?
出身地は奈良県生駒市
出身地は、奈良県生駒市です。
この市は生駒山地を挟んで大阪府と隣接しており、大阪市や奈良市へのアクセスが良好なことから、通勤・通学に便利なベッドタウンとして知られています。
一方で、自然も豊かで、「生駒山上遊園地」や「竜田川沿いの遊歩道」など、家族連れにも人気の観光スポットが点在しています。
なかでも有名なのが「宝山寺(通称:生駒聖天)」です。
この寺院は飛鳥時代の655年に修験道の道場として始まり、江戸時代の1678年に湛海律師によって再興された、真言律宗の由緒あるお寺です。
本尊には不動明王が祀られ、参道には石灯籠が並び、訪れる人々に歴史の趣を感じさせます。
また、生駒市では竹製品が伝統産業として根付いており、「高山竹林園」では竹製品の展示や茶筌(ちゃせん)作りの実演などが行われ、地域の文化を今に伝えています。
教育面でも生駒市は評価が高く、学校や塾が多く集まる学習環境が整っています。
有名人としては、お笑い芸人の藤原一裕さん、歌手のSaCoさん、アナウンサーの北川まみさんなど、多彩な分野で活躍する人材を輩出しています。
このように、生駒市は利便性、自然、歴史、教育といった魅力がバランスよく融合した、住みやすく魅力あふれる街です。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は、生駒市立生駒台小学校に通いました。
この時期から地元クラブチームでサッカーを始め、その才能を開花させていきました。
中学校は生駒市立光明中学校に進学し、この頃も地域クラブチームでプレーしながら技術を磨いていました。
高校は大阪府の興国高校へ進学。
同校でサッカー部に所属し、早くから頭角を現しました。
大学は中央大学へ進学しました。
同大学で体育会サッカー部に所属し、さらにサッカーに情熱を注いでいました。
古橋亨梧の経歴は?
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2017-2018 | FC岐阜 | 68 | 17 |
2018-2021 | ヴィッセル神戸 | 95 | 42 |
2021-2025 | セルティックFC | 116 | 63 |
2025- | スタッド・レンヌ |
プロ入り前の経歴
幼少期からサッカーに親しみ、地元の桜ヶ丘FCでその才能を育み始めます。
中学校進学後はアスペガス生駒FCに所属し、中学で学業とサッカーを両立しました。
この時期から、彼の俊敏な動きと得点力が際立ち、注目される存在となります。
高校は大阪府の興國高校に進学し、サッカー部に所属。
高校1年生から試合に出場するなど早くから頭角を現しました。
高校卒業後は中央大学へ進学し、全日本大学選抜にも選出されるなど活躍を続けました。
しかし、プロ入りへの道は順調ではなく、複数のJクラブで練習参加をするもオファーがなかなか届かず、一時はプロ入りを諦めかけたこともあったそうです。
それでも家族や周囲の支えを受けて努力を続けた結果、FC岐阜からオファーを受け、2017年にプロ契約を結びました。
Jリーグでの経歴
2017年にJ2リーグのFC岐阜でプロとしてのキャリアをスタートさせました。
初年度から大木武監督の厚い信頼を受け、開幕戦から全試合にスタメン出場という異例の起用を果たします。
そのシーズンは42試合に出場し、6得点を記録しました。
続く2018年シーズンにはさらなる飛躍を遂げ、第13節から5試合連続ゴールを達成し、自身初となる月間MVPを受賞。
シーズン通算では26試合で11得点という成績を残し、ヴィッセル神戸への移籍が決定します。
2018年夏にヴィッセル神戸へ加入した後も順調に成長を遂げ、2019年にはリーグ戦31試合で10得点をマーク。
安定したパフォーマンスでチームに貢献しました。
2020年にはさらに得点力を高め、30試合で12得点と結果を残し、日本屈指のストライカーとしての評価を確立します。
この期間中、元スペイン代表のダビド・ビジャ選手から技術面や戦術面で多くを学び、自身のプレースタイルにも大きな影響を受けました。
そして2021年シーズンには、リーグ戦21試合で15得点という圧巻の成績を収め、その活躍が評価されてスコットランドの名門セルティックFCへの移籍が決定しました。
スコットランドでの経歴
2021年夏、スコットランド・プレミアシップの名門セルティックFCへ移籍しました。
加入初年度からチームに欠かせない存在となり、公式戦33試合で20得点という鮮烈なデビューシーズンを過ごします。
その後も彼の活躍は続き、2022-23シーズンに公式戦50試合で34得点を挙げるなど圧倒的なパフォーマンスでスコティッシュ・プレミアシップ得点王に輝きました。
このシーズンではチームの国内3冠達成にも貢献し、自身もリーグMVPなど数々の個人タイトルを獲得しました。
さらに2023-24シーズンも公式戦50試合19得点と安定した成績を残し、チーム内外から高い評価を受けます。
フランスでの経歴
2025年1月27日、スコットランドのセルティックからフランス1部リーグ・アンのスタッド・レンヌへ完全移籍を果たしました。
今回が初のフランス挑戦となりました。
レンヌでのデビューは2025年2月2日のストラスブール戦。
古橋亨梧は先発出場し66分間プレーしました。
試合は1-0で勝利を収めたものの、個人としてはやや課題の残る内容となりました。
チームでは主に3-4-3システムの1トップとして起用され、俊敏な動きで裏に抜け出すプレーや高い決定力が求められています。
ただし、リーグ・アン特有の激しいフィジカルコンタクトや守備の厳しさに直面し、苦戦する場面も見られました。
出場機会が制限されることもあり、フランスのサッカーへの適応には時間がかかると見られています。
日本代表での経歴
2019年11月に初めて日本代表に選出されました。
同月19日に行われたベネズエラ代表との国際親善試合で後半からピッチに立ち、A代表デビューを果たしました。
試合は1-4で敗れたものの、古橋亨梧にとっては貴重な経験となりました。
その後、2021年3月30日に行われた2022年カタール・ワールドカップアジア2次予選のモンゴル戦では先発出場し、2ゴールを挙げる活躍を見せます。
この試合は日本代表が14-0で大勝し、古橋亨梧の存在感が際立つ結果となりました。
2021年7月にスコットランドの名門セルティックFCへ移籍した後も、日本代表としてコンスタントに活動を続け、2025年3月末時点で国際Aマッチ通算23試合に出場し、5得点を記録しています。
古橋亨梧の年俸は?
年俸は、プロキャリアをスタートさせた2017年のFC岐阜時代には推定200万〜400万円とされ、J2リーグの新人選手としては標準的な水準でした。
その後、2018年にヴィッセル神戸へ移籍すると年俸は1,000万円に上昇。
2020年には評価がさらに高まり、3,000万円にまで増額され、この額は2021年まで継続されました。
そして、2021年7月にスコットランドの名門クラブ・セルティックFCに加入したことで年俸は一気に跳ね上がり、約1億6,500万円に。
日本人選手としてもトップクラスの金額となり、チーム内での重要性がうかがえます。
2022-2023シーズンも年俸は約1億6,500万円で維持され、翌2023-2024シーズンには約2億2,000万円へと昇給。
そして2025年、フランス1部リーグ・アンのスタッド・レンヌFCへ移籍したことで、年俸は約4億6,000万円に達したと報じられており、クラブ内でも3番目に高い水準とされています。
このように、古橋亨梧の年俸はその活躍に比例して大幅に上昇しており、彼の実力が国内外で高く評価されていることがわかります。
※金額は推定です。
古橋亨梧の家族は?
家族構成は、父・母・本人・弟の4人家族です。
奈良県生駒市で育った彼ですが、幼少期は両親の仕事の都合や弟の誕生といった家庭の事情もあり、祖父母や親戚のもとで過ごすことも多く、東京・広島・兵庫など様々な場所で生活した経験があります。
そのため、幼い頃には寂しさを感じることもあったようですが、成長するにつれ、両親の努力と愛情を深く理解するようになりました。
父親については職業などの詳細は明かされていませんが、古橋亨梧のサッカー人生に少なからず影響を与えた存在だと考えられます。
母親の美和さんは、家族を支える献身的な存在であり、幼い頃から彼の成長を温かく見守ってきました。
大学時代、プロの道を進むかどうか悩んでいた古橋亨梧に対し、両親は「やめたいならやめてもいいよ」と背中を押しつつも、「でも、これまでの努力は無駄になるかもしれないよ」と声をかけたことで、彼の決断に大きな影響を与えました。
弟は1歳年下の次男で、詳しい情報は多くありませんが、兄弟の仲は良好とされています。
家族全員が古橋亨梧の一番の理解者であり、温かい支えが彼の現在の成功に大きく貢献していることは間違いありません。
古橋亨梧は結婚している?彼女は?
2025年現在、結婚しているという確かな情報や、彼女に関する発表はされていません。
プライベートに関しては非常に慎重な姿勢を貫いており、公の場で詳細を語ることはほとんどないため、あえて明かしていない可能性もあります。
これまでメディアやSNSを通じて交際報道や結婚の発表があった形跡はなく、恋愛事情についてもあまり知られていません。
過去に「25歳の時に結婚を考えた相手がいたが、うまくいかなかった」と語ったことはありますが、それ以降は特に熱愛に関する話題も見られていません。
ただし、海外でのプレーや代表活動など多忙な日々を送る中で、仕事と私生活のバランスを大切にしながら、充実した時間を過ごしていることも考えられます。
今後、恋愛や結婚に関する報告があることを期待して待ちましょう。
まとめ
ここまで古橋亨梧の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
海外で活躍し、サッカー日本代表にも召集されています。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、 古橋亨梧の活躍に注目していきましょう!