橋岡大樹は、イングランド EFLリーグ1(3部)のルートン・タウンFCに所属し、ディフェンダーとして活躍するプロサッカー選手です。
また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事では橋岡大樹のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。
橋岡大樹とはどんな選手なのか?
プロフィール
橋岡大樹(はしおか だいき)は1999年5月17日生まれ、埼玉県浦和市(現:さいたま市桜区)出身のプロサッカー選手です。
現在はイングランドのEFLリーグ1(3部)・ルートン・タウンFCに所属し、背番号は27番をつけています。
身長184cm、体重80kg、利き足は右足、愛称は「ハッシ」「ダイキ」です。
運動量が豊富で空中戦や球際に強いという特徴を持ち、本職はセンターバックですが、サイドバック(SB)やウイングバックもハイレベルでこなす万能性を備えています。
ポジションと特徴
ポジションはディフェンダーで、主にセンターバックとしてプレーしますが、右サイドバックやウイングバックとしてもプレー可能な万能型ディフェンダーです。
特徴としてまず挙げられるのが豊富な運動量です。
90分間を通して高いパフォーマンスを維持し、攻守にわたって貢献することができます。
また、空中戦の競り合いや球際での強さも彼の大きな武器です。
184cmという身長を活かしたヘディングの強さと、フィジカルコンタクトに負けない体の強さで相手攻撃陣を封じ込めます。
さらに、複数のポジションを高いレベルでこなせる戦術的柔軟性も見逃せません。
クラブおよび日本代表で指揮官からの信頼が厚く、チーム戦術に応じて様々な役割を担うことができる貴重な存在です。
橋岡大樹の出身地は?
出身地は埼玉県さいたま市桜区
出身地は、埼玉県浦和市(現:さいたま市桜区)です。
この地域は平成13年5月に大宮市、与野市、浦和市の3市が合併してさいたま市が誕生し、平成15年4月には政令指定都市となった歴史ある場所です。
浦和区は古くから発展したまちで、その歴史は旧中山道周辺のまち並みや神社仏閣、史跡や天然記念物などの文化財から読み取ることができます。
また、教育・文化に関わる資源に恵まれていることが特徴で、浦和区は埼玉サッカー発祥の地でもあり、橋岡大樹の故郷らしい土地柄といえるでしょう。
さらに、うなぎの老舗店が集積する浦和のうなぎ文化や、調神社(つきじんじゃ)、埼玉県立近代美術館などの文化的施設も充実した魅力的な地域です。
出身有名人としては、元AKB48の小嶋陽菜さん、モデルでタレントの菜々緒さん、アナウンサーの青木裕子さん、サッカー選手の川島永嗣さんなどがいます。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は、さいたま市立大久保東小学校に通いました。
この時期から地元の少年団でサッカーを始め、その才能を開花させていきました。
中学校はさいたま市立上大久保中学校に進学し、Jリーグの下部組織に所属してプレーしながら技術を磨いていました。
高校は埼玉県立志木高等学校へ進学。
ここでもJリーグの下部組織に所属し、さらにサッカーに情熱を注いでいました。
大学は進学せずにプロの道を選択しています。
橋岡大樹の経歴は?
年度 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2018-2021 | 浦和レッズ | 74 | 4 |
2021 | シント=トロイデンVV(loan) | 6 | 0 |
2022-2024 | シント=トロイデンVV | 80 | 2 |
2024- | ルートン・タウンFC |
プロ入り前の経歴
幼少期からサッカーに親しみ、小学校時代は浦和大久保サッカー少年団でその才能を育み始めます。
中学校進学後は浦和レッズジュニアユースに所属し、中学で学業とサッカーを両立しました。
この時期から、彼の空中戦の強さと球際での粘り強さが際立ち、注目される存在となります。
高校時代は浦和レッズユースに所属。
2017年には浦和レッズのトップチーム2種登録選手となり、同年8月30日のルヴァンカップ・準々決勝1stレグのセレッソ大阪戦で途中出場からトップデビューを果たしました。
Jリーグでの経歴
2017年11月に浦和レッズユースからトップチーム昇格が発表され、プロとしてのキャリアをスタートさせました。
2018年4月11日、J1リーグ第7節ヴィッセル神戸戦でスタメン入りしリーグデビューを果たしました。
次節清水エスパルス戦で初アシストを記録し、10月7日ベガルタ仙台戦でJ1初得点を決めました。
プロ一年目から25試合に出場し1得点を記録する活躍を見せ、浦和レッズの守備陣の一翼を担いました。
2019年には18試合で2得点、2020年には31試合で1得点を記録し、2019年にはACLで2得点を挙げるなど、国際舞台でも活躍しました。
浦和レッズでは通算74試合に出場し、4得点を記録しています。
この期間中、安定したパフォーマンスでチームに貢献し、日本代表にも選出されるなど、国内屈指のディフェンダーとしての評価を確立しました。
ベルギーでの経歴
2021年1月31日、シント=トロイデンVVに期限付き移籍加入しました。
2月28日、KASオイペン戦で移籍後初出場を果たし、ベルギーリーグでのキャリアをスタートさせました。
12月30日には完全移籍が発表され、本格的にヨーロッパでの挑戦を開始しました。
ベルギーでは徐々にチームに適応し、2023年9月18日、KVメヘレン戦で移籍後初ゴールを記録。
10月27日、RWDモレンベーク戦で決勝ゴールを決めるなど、攻撃面でも貢献を見せました。
22-23シーズンはリーグ戦で32試合に出場し、4アシストを記録するなど、チーム戦術において重要な役割を果たしました。
シント=トロイデンVVでは通算86試合に出場し、2得点を記録し、ベルギーリーグでの適応力の高さを証明しました。
イングランドでの経歴
2024年1月31日、プレミアリーグに所属するルートン・タウンFCに完全移籍で加入しました。
背番号27を背負い、2027年6月までの3年半契約を結びました。
2月27日、FAカップ5回戦マンチェスター・シティFC戦で移籍後初出場を果たし、3月2日、プレミアリーグ第27節アストン・ヴィラFC戦でプレミアデビューを飾りました。
しかし、ルートンは厳しいシーズンを送り、最終的にプレミアリーグから2部チャンピオンシップへの降格が決定。
さらに2024-25シーズンも苦戦を強いられ、2025年5月には3部EFLリーグ1への降格が決定しました。
日本代表での経歴
橋岡大樹は、各年代の日本代表を順調に経験しながら、着実にキャリアを積み重ねてきました。
2014年にはU-15日本代表としてバル・ド・マルヌ U-16国際親善トーナメントに出場し、早くも国際経験を積みました。
2015年にはU-16日本代表としてU-16インターナショナルドリームカップに参加し、同世代のトップレベルとの競争を経験しました。
同年にはU-17日本代表として第22回バツラフ・イェジェク国際ユーストーナメントや国際ユースサッカーin新潟にも出場し、国際舞台での経験をさらに深めました。
2017年にはU-18日本代表としてコパ・デル・アトランティコ、SBSカップ 国際ユースサッカー、そしてAFC U20アジアカップ2018予選に参加し、着実に成長を遂げていきました。
U-19日本代表としては2016年と2018年に選出され、バーレーンU-19カップやトゥーロン国際大会(2016年)、AFC U20アジアカップ(2018年)に出場し、アジアレベルでの競技力を証明しました。
2018年にはU-21日本代表としてトゥーロン国際大会とドバイカップU-23に参加し、より高いレベルでの試合経験を重ねました。
翌2019年にはU-22日本代表としてAFC U23アジアカップ2020予選やキリンチャレンジカップに出場しました。
2020年にはU-23日本代表としてAFC U23アジアカップに出場し、東京オリンピック出場権の獲得に貢献しました。
さらに2021年にはU-24日本代表としてキリンチャレンジカップおよび東京オリンピックに出場し、自国開催の五輪でプレーするという貴重な経験を得ました。
A代表には2019年12月のEAFF E-1サッカー選手権で初めて選出され、その後は2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選(2021年)、キリンチャレンジカップ(2023年)、そして2026 FIFAワールドカップ・アジア2次・3次予選(2024年)に出場しています。
現在、A代表としての通算出場数は11試合に達しており、日本代表の守備陣において重要な役割を担う選手として大きな期待が寄せられています。
橋岡大樹の年俸は?
年俸は、プロキャリアをスタートさせた2018年には460万円とされ、J1リーグの新人選手としては標準的な水準でした。
その後、浦和レッズでの活躍により年俸は上昇し、2019年、2020年には2,000万円まで増額されました。
2021年にベルギーのシント=トロイデンVVに移籍すると、年俸は約1,630万円となりました。
ベルギーでの活躍が評価され、2023-2024シーズンには約1億4,800万円にまで大幅に増額されました。
そして、2024年1月にイングランドのルートン・タウンFCに完全移籍すると、年俸はさらに上昇し、2024-2025シーズンには約1億4,900万円に達しています。
この金額はチャンピオンシップ(イングランド2部)の日本人選手で2番目に高い水準となっており、彼の実力が国際的に高く評価されていることがわかります。
このように、橋岡大樹の年俸はその活躍に比例して順調に上昇しており、日本人ディフェンダーとしてもトップクラスの評価を受けています。
※金額は推定です。
橋岡大樹の家族は?
家族は父・母・兄・本人の4人家族です。
全員がアスリートまたはスポーツ経験者という特異な家庭環境で育ちました。
父の橋岡和正さんは、大宮東高校野球部時代にはドラフト候補として名前の挙がった実力者で、プロ注目の選手でした。
現在は公務員として働いており、息子たちのサッカー人生を陰で支えています。
母の橋岡深雪さんは、スポーツ有名校として知られてる埼玉栄中学、高校の卒業生で、陸上部に所属していました。
全国中学生陸上競技大会で200m優勝という輝かしい実績を持つ元トップアスリートでした。
兄の橋岡和樹さんは、現在は関東2部リーグ・エリース東京FCでプレイしているプロサッカー選手です。
ポジションはDFで、2020年はキャプテンとして活躍しました。
弟の橋岡大樹と同じくディフェンダーとして、堅実なプレーでチームに貢献しています。
また、橋岡家の親族にも多数のアスリートがいます。
このように、橋岡大樹は両親や兄弟、そして親族に至るまで、数多くのアスリートに囲まれた環境で育ちました。
この恵まれた遺伝的素質と家庭環境が、彼の現在の成功の土台となっていることは間違いありません。
家族全員が橋岡大樹の一番の理解者であり、温かい支えが彼の国際舞台での活躍に大きく貢献していることでしょう。
橋岡大樹は結婚している?彼女は?
2025年現在、彼女はいないとされており、結婚しているという確かな情報もありません。
ただし、プライベートに関しては非常に慎重な姿勢を貫いており、公の場で詳細を語ることはほとんどないため、あえて明かしていない可能性もあります。
現在は海外でのプレーや代表活動など多忙な日々を送る中で、サッカーに集中している時期と考えられます。
プレミアリーグという世界最高峰のリーグでプレーする重責を担いながら、仕事と私生活のバランスを大切にしながら充実した時間を過ごしていることでしょう。
今後、恋愛や結婚に関する報告があることを期待して待ちましょう。
まとめ
ここまで橋岡大樹の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
海外移籍も果たし、サッカー日本代表にも召集されています。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、 橋岡大樹の活躍に注目していきましょう!