稲垣祥のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は?

稲垣祥は、Jリーグの名古屋グランパスに所属し、ミッドフィルダーとして活躍するプロサッカー選手です。

また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。

出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族結婚・彼女はどうなのでしょうか?

この記事では稲垣祥のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。

 

稲垣祥とはどんな選手なのか?

プロフィール

稲垣祥(いながき しょう)は1991年12月25日生まれ、東京都練馬区出身のプロサッカー選手です。

現在はJリーグの名古屋グランパス所属で、背番号は15番をつけています。

身長176cm、体重72kg、利き足は右足、愛称は「ショウ」「ゴロー」「ガッキー」です。

強度の高い守備でピッチ全域をカバーしながら、中盤からの得点力も備えた万能型のミッドフィルダーとして高い評価を受けています。

ポジションと特徴

ポジションミッドフィルダーで、主にボランチとしてプレーします。

特徴としてまず挙げられるのが90分間持続する驚異的なスタミナです。

ピッチのどこでも高強度の守備を披露し、相手のチャンスの芽を摘み取る「刈り取り」が持ち味となっています。

また、守備的なポジションでありながら得点力も兼ね備えており、ミドルシュートやダイレクトでの豪快なボレーシュートを武器にJリーグ通算40ゴール超えを記録しています。

さらに、攻守の切り替えを正確に判断するゲームインテリジェンスと、フィジカルコンタクトの強さも彼の大きな魅力です。

 

稲垣祥の出身地は?

出身地は東京都練馬区

出身地は、東京都練馬区です。

練馬区は東京23区の北西部に位置し、自然と都市機能が調和した住みやすいエリアとして知られています。

特に農業が盛んで、都内屈指のキャベツ生産量を誇り、伝統的な練馬大根の発祥地としても有名です。

練馬区の代表的な観光スポットとしては、世界的な植物学者・牧野富太郎博士の居住跡を整備した「牧野記念庭園」があります。

この庭園にはセンダイヤ(サクラ)やスエコザサなどの珍しい植物が多数植栽され、記念館では博士の遺品や関連資料を展示しています。

また、田園風景を再現した水田や溜池が整備された「秋の陽公園」は、地元では「田んぼのある公園」として親しまれ、都市部にありながら自然を感じられるスポットとなっています。

さらに、大聖不動明王を本尊とする「観蔵院」では、境内の曼荼羅美術館で仏画やネパールの民族画を展示し、文化的な魅力も提供しています。

練馬区の特産物として、練馬大根は江戸時代から続く伝統野菜で、徳川綱吉が脚気治療のために食したことから栽培が広まったとされています。

現在では練馬大根を使った和菓子なども販売され、地域の名物となっています。

有名人としては、女優の上戸彩さん、宮沢りえさん、観月ありささん、お笑い芸人の土田晃之さん、NEWSの増田貴久さんなど、多彩な分野で活躍する著名人を輩出しています。

小学校、中学校、高校、大学は?

小学校は、練馬区立大泉西小学校に通いました。

この時期から地元のサッカークラブでサッカーを始めました。

中学校練馬区立大泉西中学校に進学し、この頃はJリーグクラブの下部組織に所属しました。

高校帝京高等学校へ進学。

同校のサッカー部で3年間プレーし、高校年代での実力を向上させました。

大学日本体育大学へ進学しました。

同大学のサッカー部に所属し、存在感を示しました。

 

稲垣祥の経歴は?

年度 クラブ 出場試合 得点
2014-2016 ヴァンフォーレ甲府 81 6
2017-2019 サンフレッチェ広島 71 9
2020- 名古屋グランパス

プロ入り前の経歴

幼少期から練馬区の地元クラブチーム大泉西ハリケーンでサッカーを始め、その後サウスユーベFCでプレーしながら基礎技術を身につけました。

中学時代はFC東京U-15むさしに所属し、ユース年代での経験を積みました。

高校時代は帝京高等学校のサッカー部でプレーし、さらなる技術向上を図りました。

大学時代は日本体育大学のサッカー部に所属し、2011年の2年生時には関東大学リーグ2部で優勝を果たし、1部昇格に大きく貢献するなど、活躍を見せました。

Jリーグでの経歴

2014年ヴァンフォーレ甲府でプロキャリアをスタートさせました。

3年間の在籍で81試合に出場し、6得点を記録。安定したパフォーマンスでチームに貢献しました。

2017年にはサンフレッチェ広島へ完全移籍を果たします。

広島では3年間で71試合に出場し、9得点をマーク。

J1レベルでの実力を証明し、さらなるステップアップへの足がかりを築きました。

2020年からは名古屋グランパスに移籍し、2025年8月現在まで175試合に出場、22得点という成績を残しています。

名古屋では副キャプテンとしてチームを牽引し、2021年にはJリーグYBCルヴァンカップ制覇に大きく貢献し、大会MVP を獲得する栄誉に輝きました。

この優勝は国内3大タイトルの1つであり、決勝ではセレッソ大阪を2-0で破る勝利の立役者となりました。

日本代表での経歴

2021年3月18日、国際親善試合およびFIFAワールドカップ2022カタールアジア2次予選兼AFCアジアカップ中国2023予選モンゴル代表戦のメンバーとして初めて日本代表に選出されました 

これは29歳という比較的遅いタイミングでの代表初招集でしたが、名古屋グランパスでの安定したパフォーマンスが評価されての選出でした 

同年3月30日に行われたFIFAワールドカップ2022アジア2次予選兼AFCアジアカップ2023予選のモンゴル代表戦でA代表デビューを果たし、この試合で2得点を挙げる鮮烈なデビューとなりました。

試合は日本が14-0で大勝し、稲垣祥にとって忘れられない代表デビュー戦となりました。

その後、2025年7月の東アジアE-1サッカー選手権にも選出され、香港戦(6-1)、中国戦(2-0)、韓国戦(1-0)に出場。

韓国戦では1得点を記録しました。

2025年8月現在、国際Aマッチ通算4試合に出場し、3得点を記録しています。

代表では初戦で2得点、その後の韓国戦で1得点と、限られた機会で確実に結果を残す頼もしい存在となっています。

 

稲垣祥の年俸は?

年俸は、プロキャリアをスタートさせた2014年のヴァンフォーレ甲府時代には360万円からスタートしました。

ヴァンフォーレ甲府時代は、2014年と2015年が360万円、2016年が480万円と着実に昇給を重ねました。

2017年にサンフレッチェ広島へ移籍すると年俸は1,500万円に大幅アップ。

2018年も同額の1,500万円、2019年には2,000万円まで上昇しました。

2020年に名古屋グランパスへ移籍した際には年俸が5,000万円に跳ね上がり、2021年も同額の5,000万円を維持。

2021年にはルヴァンカップMVP獲得により賞金100万円も獲得しています。

2022年は5800万円、2023年は6200万円、2024年は6700万円へと増額。

2025年現在の年俸は7,000万円とされており、プロ11年間で大幅な昇給を果たしています。

※金額は推定です。

 

稲垣祥の家族は?

家族については詳細な情報が公開されていません

これまでのインタビューや公式発表において、両親や兄弟に関する具体的な情報は明かされておらず、家族のプライバシーを大切にしている様子がうかがえます。

出身地である東京都練馬区で育ったことは明らかになっていますが、家族の職業や詳しい背景については公表されていません。

家族に関する情報は公開されてはいませんが、稲垣祥の現在の活躍の裏には、家族の多大なる支えがあったことは想像に難くありません。

 

稲垣祥は結婚している?彼女は?

2019年11月9日、稲垣祥は一般女性と入籍したことを発表しました

当時27歳での結婚でした。

サンフレッチェ広島の公式サイトを通じて結婚を報告し、

「この度、入籍することになりました。相手への感謝の気持ちを忘れず、僕たちらしく笑顔の絶えない家庭を築きたいと思います」

とコメントしています。

結婚相手は一般女性のため、氏名や年齢などの詳細は公表されていません。

その後、2020年1月4日には結婚披露宴を行ったことを自身のSNSで報告し、

「昨日私ごとながら結婚披露宴を行わせていただきました!改めて多くの方々に支えられてきた人生だなと実感しました」

と感謝の気持ちを表現しています。

2025年現在、結婚から約6年が経過しており、お子さんがいるとの情報も一部で見られますが、家族のプライバシーを重視し、詳細については公表を控えているようです。

稲垣祥は家庭生活についても慎重な姿勢を貫いており、サッカー選手としてのキャリアと家庭生活のバランスを大切にしながら、充実した日々を送っていることが推察されます。

 

まとめ

ここまで稲垣祥の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。

Jリーグで活躍し、サッカー日本代表にも召集されています。

今後の活躍がますます期待されます。

これからも、稲垣祥の活躍に注目していきましょう!

 

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