垣田裕暉は、Jリーグの柏レイソルに所属し、フォワードとして活躍するプロサッカー選手です。
また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事では垣田裕暉のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。
垣田裕暉とはどんな選手なのか?
プロフィール
垣田裕暉(かきた ゆうき)は1997年7月14日生まれ、群馬県邑楽郡板倉町出身のプロサッカー選手です。
現在はJリーグの柏レイソルに所属し、背番号は18番をつけています。
身長187cm、体重78kg、利き足は右足、愛称は「カキ」です。
大型FWでありながら高い運動能力を持ち、スペースへの抜け出しを繰り返すスピード豊富な選手として知られています。
ポジションと特徴
ポジションはフォワードで、主にセンターフォワードとしてプレーしますが、左右のウイングでもプレー可能な万能型アタッカーです。
特徴としてまず挙げられるのがフィジカルの強さです。
身長187cmの大型選手でありながら、走力に優れスペースへの抜け出しを繰り返します。
また、鹿島OBである父親から基礎練習を指導されたため、大型選手でありながら足下の技術も安定しています。
さらに、長身を活かしてハイボールを胸で落としヘディングで競り勝つ高さ、DFを背負った状況で引きずるように豪快なドリブルでスペースにボールを運ぶ強さも併せ持っています。
守備面でも貢献度が高く、ボールを失ってもスピードを緩めずに前線から激しいプレッシングを行う献身性は、チーム戦術において欠かせない要素となっています。
垣田裕暉の出身地は?
出身地は群馬県邑楽郡板倉町
出身は、群馬県邑楽郡板倉町です。
この町は群馬県の南東端に位置し、埼玉県、栃木県と隣接する三県境の町として知られています。
東京都心部へのアクセスも良好で、東武日光線が通っており、通勤・通学に便利なベッドタウンとしての機能を果たしています。
町の特徴として、自然豊かな環境が挙げられます。
離山公園では春には桜、秋には彼岸花が美しく咲き誇り、頼母子薬師堂のシダレザクラは地域の名物として親しまれています。
また、板倉町は全国でも珍しい「歩いて行ける三県境」があることで有名です。
群馬県、埼玉県、栃木県の境界点に立つことができ、観光名所として多くの人が訪れています。
特産物としては、群馬県内でも有数の米の産地として「コシヒカリ」の栽培が盛んです。
また、竹製品の伝統産業も根付いており、茶筌(ちゃせん)などの製品が作られています。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は板倉町立南小学校に通い、地元のサッカーチームでサッカーを始めました。
中学校は鹿嶋市立鹿島中学校に通いました。
中学進学と同時に、父・祖母を群馬に残し、母・弟と共に3人で引越しをしてJリーグクラブの下部組織でプレーを始めました。
高校は鹿島学園高校に進学。
引き続きJリーグクラブの下部組織でプレーしました。
大学には進学せず、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせました。
垣田裕暉の経歴は?
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2016-2024 | 鹿島アントラーズ | 36 | 4 |
2017-2019 | ツエーゲン金沢(loan) | 105 | 20 |
2020-2021 | 徳島ヴォルティス(loan) | 78 | 25 |
2022 | サガン鳥栖(loan) | 28 | 6 |
2024- | 柏レイソル | 13 | 1 |
プロ入り前の経歴
小学校時代から地元の板倉SCジュニアでサッカーに親しみました。
元鹿島アントラーズの選手である父の影響で、幼少期からサッカーへの情熱を育んでいました。
中学進学を機に鹿島アントラーズジュニアユースに入団し、家族と共に茨城県へ移住。
ジュニアユース時代から高い技術と身体能力を発揮し、同年代の選手たちの中でも際立った存在として注目を集めました。
高校年代の鹿島アントラーズユース時代には、2013年にU-17日本代表に初選出され、UAE Junior Friendly Tournamentに出場。
さらに2016年にはU-19日本代表として、SUWON JS CUP第1戦のU-19フランス代表戦で先発出場し、前半39分に貴重な得点を挙げる活躍を見せました。
この優秀な成績が評価され、2016年2月に鹿島アントラーズトップチームへの昇格が決定しました。
Jリーグでの経歴
2016年に鹿島アントラーズでプロキャリアをスタートさせた垣田裕暉は、5月25日のナビスコカップでプロデビュー、7月13日の名古屋グランパス戦でJ1リーグ初先発出場を果たしました。
しかし、トップチームでの出場機会は限定的で、同年12月28日にJ2のツエーゲン金沢へ期限付き移籍が決定。
この移籍が彼のキャリアにとって大きな転換点となりました。
2017年シーズンには8月11日の愛媛FC戦でプロ初得点を記録し、徐々にチームの主力として定着。
3年間の金沢でのプレーを通じて、大型FWとしての能力を開花させ、合計105試合に出場し20得点を挙げました。
2019年12月には徳島ヴォルティスへの期限付き移籍が決定。
徳島では2年間で78試合25得点と驚異的な得点力を発揮し、特に2020年シーズンには17得点を記録してクラブの7年ぶりJ1昇格に大きく貢献しました。
2022年シーズンはサガン鳥栖でプレーし、28試合6得点の成績を残しました。
2022年12月、垣田裕暉は6年間の期限付き移籍を経て、古巣の鹿島アントラーズに復帰しました。
長期間の武者修行を経て技術・精神面共に成長した垣田裕暉は、2023年4月23日のアルビレックス新潟戦で鹿島復帰後初ゴールを決め、ファンに成長した姿を印象づけました。
2024年7月4日、柏レイソルへ完全移籍で加入することが発表されました。
新天地での挑戦が始まり、2024年シーズンは13試合に出場し1得点を記録しています 。
日本代表での経歴
垣田裕暉の日本代表歴は、ユース年代から着実に積み上げられてきました。
2013年にU-17日本代表として初選出され、UAE Junior Friendly Tournamentでデビュー。
2016年にはU-19日本代表として、バーレーンU-19カップ、水原JSカップU-19国際ユース大会、Panda Cup、NTC招待大会など複数の国際大会に出場しました。
特に印象的だったのは、2016年5月18日のSUWON JS CUP第1戦で行われたU-19フランス代表戦です。
この試合では先発メンバーとして出場し、前半39分に貴重な得点を挙げ、強豪フランス代表から唯一のゴールを奪う活躍を見せました。
A代表への道のりは長く、鹿島ユースからのトップチーム昇格から約10年の時を経て、ついに2025年7月にA代表に初選出されました。
EAFF E-1サッカー選手権2025決勝大会では2試合に出場し、7月8日の香港戦でA代表デビューを果たしました。
初戦ではジャーメイン良選手のハットトリックをアシストするなど、得点に直結するプレーで貢献。
続く7月15日の韓国戦でも先発出場し、献身的な守備とポストプレーでチームに貢献しました。
垣田裕暉の年俸は?
年俸は、プロキャリアの成長と共に段階的に上昇してきました。
2016年の鹿島アントラーズでのプロデビュー当初は、ユース昇格選手として360万円と推定されます。
2021年の徳島ヴォルティス時代には、2000万円まで上昇。
2022年のサガン鳥栖時代も2000万円で推移し、鹿島アントラーズ復帰後の2023年には3800万円まで上昇しました。
2024年の鹿島アントラーズでも3800万円で推移。
そして2025年の柏レイソルでは3200万円とされています。
今後のさらなる活躍次第では更なる昇給も期待されます。
※金額は推定です。
垣田裕暉の家族は?
家族は、父・母・本人・弟の4人家族です。
父親の垣田健さんは、元プロサッカー選手として鹿島アントラーズでプレーした経歴を持ちます。
1970年9月10日生まれで埼玉県出身、現役時代のポジションはフォワードでした。
浦和学院高校を経て1989年に住友金属工業蹴球団(後の鹿島アントラーズの前身)に加入し、1992年まで現役選手として活躍しました。
当時のJリーグオフィシャル書籍では「荒削りながら、得点感覚には非凡なものがある」と評価され、息子・裕暉の得点能力はこの父親譲りと言えるでしょう。
母親については詳細な情報は公表されていませんが、裕暉が中学進学時に鹿島ジュニアユースに入団する際、弟の将吾さんと共に3人で群馬から茨城へ引越しをし、息子のサッカー人生を支える献身的な存在として知られています。
弟の垣田将吾さんは、兄と同様に鹿島アントラーズユース出身で、現在は城西国際大学でプレーしています。
兄弟揃って鹿島の下部組織で育ち、親子2代、兄弟2人がサッカー選手という、まさにサッカー一家と言える環境です。
祖母は群馬県に在住しており、裕暉がジュニアユース入団で茨城に移る際も、父親と共に群馬に残って家族を支えていました。
このように、垣田裕暉の周りには常に家族の温かいサポートがあり、現在の成功は家族全員の努力と理解があってこそのものと言えるでしょう。
垣田裕暉は結婚している?彼女は?
2025年現在、結婚しておらず、彼女に関する公式な発表もありません。
これまでメディアやSNSを通じて交際報道や結婚の発表があった形跡はなく、プライベートに関しては非常に慎重な姿勢を貫いています。
サッカー選手としてのキャリアに集中していることもあり、特にここ数年は日本代表初選出という大きな目標に向けて努力を続けてきました。
2025年7月の日本代表デビューは、長年の夢の実現でもあり、現在はサッカーに専念している時期と考えられます。
過去に「かわいい」系の女性がタイプであるという情報もありますが、具体的な交際相手については一切明かされていません。
今後、プロサッカー選手としてさらなる高みを目指す中で私生活においても新たな展開があることを期待して、温かく見守っていきましょう。
まとめ
ここまで垣田裕暉の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
Jリーグで活躍し、サッカー日本代表にも召集されています。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、垣田裕暉の活躍に注目していきましょう!