久保藤次郎は、Jリーグの柏レイソルに所属し、ミッドフィールダーとして活躍するプロサッカー選手です。
また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事では久保藤次郎のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。
久保藤次郎とはどんな選手なのか?
プロフィール
久保藤次郎(くぼ とうじろう)は1999年4月5日生まれ、愛知県岡崎市出身のプロサッカー選手です。
現在はJリーグ・柏レイソル所属で、背番号は24番をつけています。
身長167cm、体重64kg、利き足は右足、血液型はO型です。
愛称は「トージ」や「トウジロウ」で親しまれています。
久保藤次郎という名前は、東北出身の両親が戦国武将・伊達政宗の本名である「藤次郎」にちなんで名付けられたとのことです。
ポジションと特徴
ポジションはミッドフィールダーで、主にウイングバックやサイドハーフとしてプレーします。
特徴として挙げられるのが抜群のドリブル技術です。
167cmと小柄ながら、巧みなボールタッチと俊敏な動きで相手ディフェンダーを翻弄します。
彼自身が語る「ドリブル」「運動量」「シュート」の3つが、彼のプレーを特徴づける大きな武器とされています。
豊富な運動量で前線から積極的にプレスをかけ、攻守両面でチームに貢献する万能型プレーヤーです。
久保藤次郎の出身地は?
出身地は愛知県岡崎市
出身は、愛知県岡崎市です。
この市は愛知県の旧三河国のほぼ中央に位置し、徳川家康が産まれた城として知られる岡崎城があり、「八丁味噌」の産地としても有名です。
岡崎市の特徴として、まず歴史的な魅力があります。
徳川家康生誕の地として岡崎城を中心とした城下町が栄え、現在も多くの史跡が残されています。
岡崎城は1959年に天守が復興され、2006年には日本100名城に選定されました。
名所としては、家康公が誕生したとき産湯に使ったという「東照公産湯の井戸」、松平家四代・松平親忠が建立した徳川家の菩提寺「大樹寺」、そして八丁味噌の老舗蔵元が並ぶ「八丁味噌の郷」などがあります。
特産物では、なんといっても「八丁味噌」が有名です。
現在の岡崎市八帖町(旧:八丁村)で作られてきた豆味噌で、カクキュー八丁味噌やまるや八丁味噌をはじめとする老舗蔵元が伝統の味を守り続けています。
また、岡崎市農林産物ブランド化推進品目として、自然薯、にんじん、いちじく、くり、ぶどう、ブルーベリー、茶などが挙げられています。
有名人としては、お笑いコンビ・響の小林優介さん、タレントの天野ひろゆきさん、ラグビー選手の田村優さんなど、多彩な分野で活躍する人材を輩出しています。
このように、岡崎市は歴史と伝統、そして豊かな食文化が融合した魅力あふれる街です。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は、岡崎市立連尺小学校に通いました。
このころ地元のサッカーチームでサッカーを始めました。
中学校は岡崎市立城北中学校に進学。
クラブチームに所属してプレーを続けました。
高校は岐阜県の帝京大可児高校へ進学しました。
同校でサッカー部に所属しました。
大学は中京大学へ進学しました。
同大学で体育会サッカー部に所属し、さらにサッカーに情熱を注ぎました。
久保藤次郎の経歴は?
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2021-2023 | 藤枝MYFC | 63 | 17 |
2023-2024 | 名古屋グランパス | 21 | 2 |
2024 | サガン鳥栖(loan) | 7 | 2 |
2025- | 柏レイソル |
プロ入り前の経歴
幼少期から地元のFCヴェルダンでサッカーに親しみ、名古屋グランパス岡崎スクールでその才能を育み始めます。
中学校進学後はグランパスみよしFCに所属し、中学で学業とサッカーを両立しました。
この時期から、彼の巧みなドリブル技術と運動量が際立ち、注目される存在となります。
高校は岐阜県の帝京大可児高校に進学し、サッカー部に所属。
3年次には全国高等学校サッカー選手権大会に出場するなど、早くから頭角を現しました。
高校卒業後は中京大学へ進学し、体育会サッカー部で活躍を続けました。
全日本大学選抜にも選出されるなど、大学でも確かな実力を示しました。
そして2021年6月、在学中に藤枝MYFCの特別指定選手としてプロキャリアをスタートさせることとなります。
J3リーグでの経歴
2021年6月にJ3リーグの藤枝MYFCの特別指定選手としてプロデビューを果たしました。
初年度は6試合に出場し2得点を記録し、プロの世界での適応を見せました。
2022年シーズンには本格的に藤枝MYFCに加入し、大きな飛躍を遂げます。
このシーズンは30試合に出場し10得点という見事な成績を残し、チームの中心選手として活躍しました。
特に7月には月間5得点を挙げる活躍を見せ、「7月度2022明治安田生命Jリーグ KONAMI月間MVP」を受賞しました。
これは彼にとって初のタイトルであり、J3リーグでの存在感を決定づけました。
この年の活躍により、藤枝MYFCはクラブ史上初のJ2昇格を果たし、久保藤次郎は昇格の立役者として高く評価されました。
J2リーグでの経歴
2023年シーズンはJ2に昇格した藤枝MYFCでプレーを続けました。
カテゴリーが上がった中でも順調に適応を見せ、27試合に出場し5得点を記録しました。
J2という高いレベルでも安定したパフォーマンスを発揮し、名古屋グランパスの目に留まることとなります。
そして2023年7月、J1の名古屋グランパスへの完全移籍が決定し、より高いステージでの挑戦が始まりました。
J1リーグでの経歴
2023年7月に名古屋グランパスに加入し、念願のJ1デビューを果たしました。
移籍初年度の2023年シーズンは8試合に出場し1得点を記録し、J1の厳しい環境でも適応能力を示しました。
2024年シーズンは13試合に出場し1得点を記録しましたが、
8月にはサガン鳥栖へ期限付き移籍となりました。
鳥栖では7試合に出場し2得点と結果を残し、異なる環境でもその能力を発揮しました。
そして2025年、柏レイソルへの完全移籍が決定し、新たなステージでの挑戦が始まりました。
日本代表での経歴
2025年7月に開催された東アジアE-1サッカー選手権2025で初めて日本代表に選出されました。
7月8日に行われた香港戦で右ウイングバックとして先発出場し、国際Aマッチデビューを果たします。
この試合では1アシストを記録し、6-1での勝利に貢献しました。
続く韓国戦でも出場機会を得て、代表での経験を積み重ねました。
久保藤次郎の年俸は?
藤枝MYFC時代の具体的な年俸は公表されていませんが、J3リーグの平均的な水準を考えると数百万円程度だったと推測されます。
名古屋グランパス所属時の2024年は1,400万円、柏レイソル所属時の2025年は1,500万円と推定されます。
J1移籍後は着実に年俸も上昇しており、2025年の柏レイソル移籍では100万円の昇給となりました。
26歳という年齢と日本代表にも選出された実績を考えると、今後さらなる年俸アップが期待されます。
※金額は推定です。
久保藤次郎の家族は?
家族については詳細な情報がありませんが、東北出身の両親がいることが分かっています。
両親が戦国武将・伊達政宗の本名である「藤次郎」にちなんで名付けたというエピソードからも、歴史好きで教養深い家庭環境で育ったことがうかがえます。
久保藤次郎は愛知県岡崎市で生まれ育ちましたが、両親のルーツは東北地方にあるようです。
家族が彼のサッカー人生を温かく支えており、現在の成功に大きく貢献していることは間違いありません。
プライベートに関しては慎重な姿勢を貫いており、家族に関する詳細な情報はあまり公開されていませんが、家族の支えが彼の原動力となっていることは確かです。
久保藤次郎は結婚している?彼女は?
2025年現在、結婚していません。
また、彼女に関する公式な発表や報道もされていません。
プライベートに関しては慎重な姿勢を貫いており、公の場で恋愛事情について語ることはほとんどありません。
これまでメディアやSNSを通じて交際報道があった形跡もなく、恋愛に関する話題もあまり知られていません。
現在はクラブでのプレーや日本代表活動など多忙な日々を送る中で、サッカーに集中した生活を送っていることと思われます。
今はキャリアの重要な時期を迎えているため、まずはサッカーでの更なる飛躍に注力しているのかもしれません。
今後、恋愛や結婚に関する報告があることを期待して待ちましょう。
まとめ
ここまで久保藤次郎の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
Jリーグで活躍し、サッカー日本代表にも召集されています。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、久保藤次郎の活躍に注目していきましょう!