町田浩樹のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は?

町田浩樹のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は? 人物

町田浩樹は、ベルギーのジュピラー・プロ・リーグ所属のロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズに所属し、ディフェンダーとして活躍するプロサッカー選手です。

また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。

出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族結婚・彼女はどうなのでしょうか?

この記事では町田浩樹のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの情熱、人生観など、彼の魅力に迫ります。

 

町田浩樹とはどんな選手なのか?

プロフィール

町田浩樹(まちだ こうき)は1997年8月25日生まれ、茨城県つくば市出身のプロサッカー選手です。

現在はベルギーのジュピラー・プロ・リーグ所属のロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズに所属し、背番号は28番をつけています。

身長190cm、体重80kg、利き足は左足、愛称は「マチ」です。

日本代表でも活躍する大型ディフェンダーで、190cmという長身を活かした空中戦の強さが特徴的です。

ポジションと特徴

ポジションディフェンダーで、主にセンターバック(CB)としてプレーしますが、左サイドバックとしても起用されることがあります。

特徴としてまず挙げられるのは、190cmの長身から生まれる圧倒的な空中戦の強さです。

体躯のわりにスピードもあります。

また、高い身体能力を持ちながらも足元の技術も優れており、左足から放たれる正確なフィードも武器の一つです。

ロングフィードも精度が高く、攻撃の起点となることも多いです。

パスの正確さにも秀で、すばやくビルドアップに移ることができます。

さらに、対人守備での強さと冷静な判断力も持ち合わせています。

3バックシステムにも対応できる戦術理解度の高さも評価されており、日本代表でも重要な役割を担っています。

 

町田浩樹の出身地は?

町田浩樹の出身地は?

出身地は茨城県つくば市

出身地は、茨城県つくば市です。

つくば市は「科学技術のまち」として知られ、筑波研究学園都市として多くの研究機関や大学が集積している都市です。

首都圏からも近く、自然と都市機能がバランスよく調和した住みやすい街として評価されています。

特に「筑波大学」や「産業技術総合研究所」など、日本を代表する研究・教育機関が数多く立地しており、国際色豊かな環境で育つことができる街です。

「筑波山」や「洞峰公園」など自然豊かな場所も多く、子どもたちがのびのびと成長できる環境が整っています。

町田浩樹にとっては、鹿島アントラーズの下部組織が近隣にあり、サッカーをするにあたって恵まれた環境だった、といえるでしょう。

また、出身有名人には、タレントの松居直美さん、アナウンサーの上田敦史さん、キックボクサーのHAYATOさんなどがいます。

小学校、中学校、高校、大学は?

小学校茨城県つくば市内の小学校に通っていたと考えられますが、具体的な校名は公表されていません。

この時期からJリーグの下部組織に所属し、サッカーの基礎を身につけていきました。

中学校公立中学校に通い、Jリーグの下部組織に所属してサッカーに打ち込む日々を送っていました。

高校鹿島学園高校に通学していました。

この時期もJリーグの下部組織に所属しサッカーの技術向上に努め、将来のプロ選手としての土台を築いていきました。

大学早稲田大学に入学しました。

これはプロ入りと同時期であり、サッカーをするためではなく「勉強をするため」という珍しい選択でした。

彼は大学進学について「当時の僕は大学に行く気がなかった」と語っていますが、親からの提案をきっかけに進学を決意。

6年半をかけて2023年4月に卒業し、現在の日本代表では数少ない大卒の選手となっています。

 

町田浩樹の経歴は?

クラブ 出場 得点
2016-2023 鹿島アントラーズ 87 8
2022-2023 ユニオン・サン=ジロワーズ (loan) 19 0
2023- ユニオン・サン=ジロワーズ

プロ入り前の経歴

町田浩樹は幼少期からサッカーに親しみ、5歳頃からサッカーを始めました。

小学生時代は地元の手代木サッカークラブを経て、鹿島アントラーズつくばジュニアに所属しました。

中学時代は鹿島アントラーズつくばジュニアユースに進み、U-16日本代表に選出されるなど早くから才能を認められていました。

高校は鹿島アントラーズユースに所属し、高校生でありながら2015年には2種登録選手としてトップチームに登録される異例の扱いを受けました。

この時期から将来有望な大型ディフェンダーとして注目され始め、U-19日本代表としてAFC U-19選手権のメンバーにも選出されるなど、代表経験も積んでいました。

Jリーグでの経歴

2016年、高校卒業と同時に鹿島アントラーズでプロ契約を結び、Jリーグデビューを果たします。

同年5月25日のジュビロ磐田戦でプロ初出場を記録しました。

しかし、2017年5月19日の川崎フロンターレ戦で右膝前十字靭帯を損傷するという大きな怪我に見舞われ、全治6ヶ月の診断を受けるという試練に直面しました。

この怪我からの復帰後、2018年7月28日のガンバ大阪戦でプロ入り初得点を記録。

徐々に出場機会も増え、2019年からは徐々にレギュラーポジションを確立していきます。

2019年には22試合に出場し1得点、2020年には21試合に出場するなど、鹿島の守備の要として成長を遂げていきました。

2021年も安定したパフォーマンスを見せ、海外クラブからの関心も高まりました。

ベルギーでの経歴

2022年1月4日、ベルギー1部リーグのロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズへの1年半の期限付き移籍が発表されました。

2022年2月13日、シント=トロイデンVV戦で先発デビューを果たし、その後もチームの主力として活躍。

190cmの長身を活かした空中戦の強さと左足からの正確なパスを武器に、ベルギーリーグでも評価を高めていきました。

2023年3月には鹿島アントラーズからの完全移籍が発表され、その後のチームの活躍に大きく貢献しました。

特に2023年5月9日に行われたカップ戦決勝では決勝ゴールを挙げ、クラブ史上110年ぶりの優勝に大きく貢献する活躍を見せました。

2023-2024シーズンも引き続き主力として活躍し、空中戦勝率65%という高い数字を記録。

ベルギーリーグでも屈指のディフェンダーとして評価を高め、プレミアリーグやブンデスリーガからの関心も報じられるようになりました。

ただし、2023年夏にはステップアップのための移籍が噂されるも実現せず、「正直に言うと、移籍できると思っていました。でも無理でした」と心境を吐露する場面もありました。

2024-2025シーズンも引き続きユニオン・サン=ジロワーズでプレーし、チームの中心選手として活躍しています。

日本代表での経歴

町田浩樹は、U-16U-17U-18日本代表と、年代別の日本代表でコンスタントに選出されてきました。

2016年にはAFC U-19選手権のメンバー(U-19日本代表)に選出され、準決勝で初先発を果たします。

その後もU-20日本代表2017年)、U-22日本代表2019年)、U-23日本代表2020年)と各カテゴリーで着実に経験を積んでいきました。

2021年には東京オリンピックのサッカー日本代表(U-24)に選出されました。

当初はバックアップメンバーとして選出されましたが、規定の変更により正規メンバーに昇格し、大会では途中出場ながら2試合に出場しました。

2023年3月18日には、右膝を負傷した冨安健洋の代替として、キリンチャレンジカップ2023のサッカー日本代表A代表)メンバーに追加で初招集されました。

そして2023年9月12日に行われたトルコとの国際親善試合ではスタメン出場し、A代表デビューを果たします。

2025年5月現在、国際Aマッチ通算16試合に出場しており、得点はまだ記録していません。

 

町田浩樹の年俸は?

町田浩樹の年俸は?

年俸は、プロキャリアの進展とともに着実に上昇してきました。

鹿島アントラーズでプロとしてのキャリアをスタートさせた2016年の年俸は正確には公表されていませんが、Jリーグの新人選手としては標準的な水準だったと推測されます。

2019年には480万円、2020年には1500万円、2021年には2000万円と、実績と経験を積むごとに着実に上昇していきました。

2022年1月にベルギーのユニオン・サン=ジロワーズに期限付き移籍した際の年俸は公表されていませんが、日本での年俸を上回る条件だったと推測されます。

2023年3月の完全移籍後の年俸も正確には公表されていませんが、ベルギーリーグのクラブ規模や彼の市場価値(1000万ユーロ=約16億円)から考えると、数千万円から1億円程度と推測されます。

移籍金については、報道によると「800万ユーロ(約13億円)」と評価されており、これはベルギーリーグでプレーする選手としては高額な部類に入ります。

プレミアリーグやブンデスリーガなどからの関心も報じられており、今後さらなるステップアップを果たせば、年俸も大きく上昇する可能性があります。

※金額は推定です。

 

町田浩樹の家族は?

町田浩樹の家族は?

家族は、父親・母親・姉・本人・弟の5人家族です。

父親はサッカー経験者ではないものの、仕事が忙しい中でも町田浩樹の習い事やスポーツ活動を積極的にサポートしていたようです。

母親についても詳細な情報は多くありませんが、町田浩樹が幼少期からサッカーに打ち込める環境を整え、家族全体で彼の成長を支えてきたことがうかがえます。

は町田浩樹より年上で、家族の中ではしっかり者として知られているようです。

についても、町田浩樹のSNSやインタビューで度々話題にされており、兄弟仲はとても良好です。

弟もサッカー経験があり、町田浩樹と一緒にボールを蹴っていたエピソードも語られています。

町田浩樹自身は5歳の時にサッカーを始め、家族の協力が大きな後押しとなったと語っています。

家族の支えがあったからこそ、厳しいユース時代やプロの壁を乗り越え、海外移籍という大きな挑戦にも踏み出すことができたのでしょう。

町田浩樹は自身の性格について「まじめ」と自己分析しており、家族の温かい環境がその人柄を育んだことは間違いありません。

 

町田浩樹は結婚している?彼女は?

2024年6月12日、自身のインスタグラムで結婚を発表しました

投稿では「Just married 2024.6.7」と記し、6月7日に結婚したことを公表しています。

投稿には、ベルギーの首都ブリュッセルにある世界遺産グラン・プラスの前でキスをする夫妻のウェディングフォトなどが添えられ、「素敵すぎる」「絵になる」「カッチョイイ」などファンからの祝福コメントが多数寄せられました。

奥様は美しい女性で、モデルのような容姿から「美男美女カップル」として注目を集めています。

プロポーズに関するエピソードも公開されており、クリスマスディナーの後、ホテルの部屋に戻るとバラの花が敷き詰められ、フォトグラファーも手配されていたという演出の凝ったプロポーズだったことが明かされています。

町田浩樹は「僕と結婚してください!」と言い、奥様は「もう展開が早すぎて! まだ付き合って半年でしたからね」と驚きながらも喜んだと回想しています。

また、二人の関係構築には、ベルギーと日本の長距離恋愛を支えたゲームをはじめとしたデジタルツールの存在が大きかったとされています。

結婚生活については、多くを公表していませんが、インスタグラムを通じて時折二人の様子を伝えており、海外での生活を共に歩んでいる様子がうかがえます。

子供についての情報は現在のところ発表されていません。

 

まとめ

ここまで町田浩樹の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。

海外移籍も果たし、サッカー日本代表にも召集されています。

今後の活躍がますます期待されます。

これからも、 町田浩樹の活躍に注目していきましょう!

 

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