町野修斗は、ドイツ ブンデスリーガのホルシュタイン・キールに所属し、フォワードとして活躍するプロサッカー選手です。
また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事では町野修斗のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。
町野修斗とはどんな選手なのか?
プロフィール
町野修斗(まちの しゅうと)は1999年9月30日生まれ、三重県伊賀市出身のプロサッカー選手です。
現在はドイツ・ブンデスリーガのホルシュタイン・キールに所属し、背番号は18番をつけています。
身長185cm、体重81kg、利き足は右足、愛称は「忍者」です。
185cmの長身フォワードで、そのフィジカルを活かしたポストプレーと多彩な得点パターンが持ち味の万能型ストライカーです。
ポジションと特徴
ポジションはフォワードで、主にセンターフォワードとしてプレーしますが、ウイングのような動きも見せる戦術的柔軟性を持つ選手です。
特徴として最も際立つのがその万能性です。
185cmの恵まれた体格を活かした空中戦の強さはもちろん、左右どちらの足でも精度の高いシュートを放つことができ、ヘディングも得意とする万能型フォワードです。
また、チームプレーにも長けており、ポストプレーで味方を効果的に使い、チーム全体の攻撃力向上に貢献します。
さらに特筆すべきは、ロングスローを投げることができる点で、セットプレーからも得点機会を創造できる貴重な武器を持っています。
得点後には出身地の三重県伊賀市にちなんだ「忍者ポーズ」を披露することでも知られています。
町野修斗の出身地は?
出身地は三重県伊賀市
出身地は、三重県伊賀市です。
伊賀市は三重県北西部に位置し、古くから「忍者の里」として知られる歴史深い地域です。
奈良県・滋賀県・京都府と境を接する立地にあり、大阪や京都などの関西圏へのアクセスも良好です。
伊賀市の代表的な観光地としては、江戸時代の面影を残す「伊賀上野城」があります。
日本100名城の一つにも選ばれており、高さ約30メートルの高石垣は日本屈指の美しさを誇ります。
また、「忍者博物館」では忍者の歴史や忍術の秘密を学ぶことができ、忍者ショーなどのエンターテイメントも楽しめます。
特産品も豊富で、最高品質の「伊賀牛」は霜降りが美しく、柔らかな肉質と深い味わいで全国的に有名です。
また、「伊賀焼」は約1200年の歴史を持つ伝統工芸品で、土鍋やお茶道具などが人気を集めています。
さらに、「特A」評価を受けた「伊賀米」は粘りと甘みが特徴の高品質なお米として知られています。
有名人としては、江戸時代の俳聖・松尾芭蕉、シンガーソングライターの平井堅さんなどがいます。
このように、伊賀市は豊かな歴史と文化、そして優れた特産品に恵まれた、まさに「忍者の里」にふさわしい魅力あふれる地域です。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は伊賀市立中瀬小学校に通いました。
この時期から地元クラブチームでサッカーを始めました。
中学校は伊賀市立城東中学校に通い、地元のクラブチームに所属し、この頃から本格的にサッカーに打ち込むようになりました。
高校は大阪府の履正社高校へ進学しました。
大学には進学せず、サッカー選手としてのキャリアをスタートさせました。
町野修斗の経歴は?
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2018 | 横浜F・マリノス | 0 | 0 |
2019 | ギラヴァンツ北九州(loan) | 30 | 8 |
2020 | ギラヴァンツ北九州 | 32 | 7 |
2021-2023 | 湘南ベルマーレ | 80 | 26 |
2023- | ホルシュタイン・キール |
プロ入り前の経歴
3歳の頃、兄の影響でサッカーを始めました。
父親が監督を務める地元のFC中瀬スポーツ少年団に所属し、サッカーの基礎を学びました。
中学時代はFCアヴェニーダソルでプレーし、技術面と戦術面の両方でさらなる成長を遂げました。
この時期から、185cmという恵まれた体格を活かしたプレースタイルが確立されていきました。
高校は大阪府の名門・履正社高校に進学。
サッカー部で1年生からレギュラーポジションを獲得し、2年次には全日本高校選抜に選出されるなど、早くから将来を嘱望される選手として注目を集めました。
高校卒業後は複数のJクラブから注目され、最終的に横浜F・マリノスへの加入が決定しました。
Jリーグでの経歴
2018年に横浜F・マリノスでプロキャリアをスタートさせましたが、初年度は出場機会に恵まれず、公式戦出場は0試合でした。
翌2019年、実戦経験を積むためにJ3のギラヴァンツ北九州へ期限付き移籍しました。
このシーズンでは30試合に出場し8得点を記録、プロとして初めて本格的な活躍を見せました。
2020年には北九州へ完全移籍し、J2リーグで32試合7得点をマーク。
チームの中心選手として成長を遂げ、上のカテゴリーでの活躍が期待されるようになりました。
2021年に湘南ベルマーレへ完全移籍すると、J1リーグで本格的にブレイクを果たします。
移籍初年度から重要なゴールを決め続け、2023年まで3シーズンで80試合26得点という優秀な成績を残しました。
この期間中には日本代表デビューも果たし、2022年のカタール・ワールドカップメンバーにも選出されるなど、国内屈指のストライカーとしての地位を確立しました。
ドイツでの経歴
2023年7月、初の海外挑戦としてドイツ2部リーグ(2. ブンデスリーガ)のホルシュタイン・キールへ完全移籍しました。
移籍初年度の2023-24シーズンから即座にチームの主力として活躍し、リーグ戦で5ゴール4アシストを記録。
チームのクラブ史上初となるブンデスリーガ1部昇格に大きく貢献しました。
2024-25シーズンには1部リーグでプレーし、ブンデスリーガで11ゴールを記録する活躍を見せました。
しかし、チームは残念ながら1シーズンで2部降格が決定してしまいました。
現在、ドイツ1部のボルシア・メンヘングラッドバッハをはじめ複数のクラブが獲得に興味を示していると言われています。
日本代表での経歴
町野修斗の日本代表キャリアは2022年から始まりました。
2022年7月13日、EAFF E-1サッカー選手権2022の国内組メンバーとして初めて日本代表に選出されました。
代表デビュー戦となった同年7月19日の香港戦では、代表初ゴールを含む2得点の活躍を見せ、強烈な印象を残しました。
続く7月27日の韓国戦では試合を決める3点目を決め、大会得点王に輝く活躍でチームの9年振りの優勝に大きく貢献しました。
2022年カタール・ワールドカップでは、当初はメンバーに選ばれていませんでしたが、中山雄太選手の辞退に伴い11月8日に代替選出されました。
本人も家族も予想外の招集に驚きを隠せず、父親の理さんは「まさか呼ばれるとは。本当にびっくりした」とコメントしました。
しかし、本大会では4試合すべてで出場機会を得ることはできませんでした。
それでも、ワールドカップという最高舞台を経験したことは、その後のキャリアに大きな影響を与えています。
2025年5月18日現在、国際Aマッチ通算8試合出場4得点という成績を残しており、今後もさらなる代表での活躍が期待されています。
町野修斗の年俸は?
年俸は、プロキャリアの進展とともに大幅に上昇しています。
横浜F・マリノス時代(2018年)は新人選手として推定500万円程度からスタートしましたが、当時は出場機会がなく、実質的な評価は低い状況でした。
ギラヴァンツ北九州時代(2019-2020年)には、J2・J3レベルの選手として推定800万円~1200万円程度の年俸だったと考えられます。
湘南ベルマーレ移籍後(2021-2023年)、J1リーグでの活躍により年俸は大幅にアップし、最終年には推定3000万円~4000万円に達していたとされています。
そして2023年、ドイツ・ホルシュタイン・キールへの移籍により年俸は一気に跳ね上がりました。
現在の年俸は約6720万円と推定されており、欧州日本人選手の年俸ランキング18位にランクインしています。
今後、より上位のクラブへの移籍が実現すれば、年俸はさらに大幅な上昇が見込まれます。
※金額は推定です。
町野修斗の家族は?
家族は、父・母・兄・姉・祖母・本人の6人家族です。
実家は三重県伊賀市で代々続く「町野畳店」を営んでおり、父親が一人でその事業を支えています。
畳店経営の傍ら、「特A」評価を受けた伊賀米の生産も手掛けており、地域に根ざした家業を大切に守り続けています。
父親の理さんは、元国体選手という経歴を持つサッカー経験者です。
高校時代は三重県立上野工業高等学校(現:伊賀白鳳高等学校)でプレーし、町野修斗と同じフォワードポジションで国体選抜にも選ばれました。
現在は中瀬スポーツ少年団の監督として小学生にサッカーを指導しており、息子がワールドカップ代表に選ばれた際には「まさか呼ばれるとは。本当にびっくりした」と喜びを語りました。
母親の富美子さんは、食事面を中心に息子を支えてきました。
町野修斗のJリーグ通算100試合出場達成時には、夫の理さんと一緒に花束を贈呈する場面もありました。
富美子さん自身もスポーツが好きで、ママさんバレーを続けています。
兄の達哉さんも父親の指導でサッカーを始め、伊賀白鳳高等学校、東海学園大学を経て、2019年には社会人サッカークラブ「FC.ISE-SHIMA」に加入しました。
ミッドフィルダーとしてプレーしましたが、2シーズンで出場は1試合のみに留まり、2020年に引退しました。
姉の恵理子さんも家族の一員として町野修斗を支えており、祖母のみす子さんも含めて、家族全員が町野修斗の一番の理解者となっています。
このように家族の存在は、町野修斗にとって欠かせない大きな支えとなっています。
町野修斗は結婚している?彼女は?
町野修斗は結婚しています。
2023年5月27日に一般女性と入籍しました。
結婚発表は2023年6月10日に所属していた湘南ベルマーレを通じて行われました。
奥さんは一般の方のため、名前や経歴などの詳細は公表されていません。
結婚について町野修斗は次のようにコメントしています。
「この度、素敵な女性と結婚しました!これから妻と二人三脚でプロの厳しい世界を生き抜いていきたいと思っています。たくさんの人に支えられて今があります。ファン・サポーターを含め、皆様に本当に感謝しています。ありがとうございます!」
ドイツでの海外生活においても、妻の支えが町野修斗のパフォーマンス向上に大きく貢献していることは間違いありません。
妻の支えも得て、今後、さらなる飛躍が期待されます。
まとめ
ここまで町野修斗の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
海外で活躍し、サッカー日本代表にも召集されています。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、町野修斗の活躍に注目していきましょう!