三笘薫は、イングランド プレミアリーグのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに所属し、ミッドフィルダーとして活躍するプロサッカー選手です。
また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事では三笘薫のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの情熱、人生観など、彼の魅力に迫ります。
三笘薫とはどんな選手なのか?
プロフィール
三笘薫(みとまかおる)は1997年5月20日生まれ、神奈川県川崎市宮前区出身のプロサッカー選手です。
現在はイングランドのプレミアリーグ所属のブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに所属し、背番号は22番をつけています。
身長178cm、体重73kg、利き足は右足、血液型はO型、愛称は「カオル」です。
「三苫」と誤って表記されることもありますが、正しくは竹冠の「三笘」が正しい表記です。
プロ入り後すぐに高い技術と戦術理解力でJリーグで頭角を現し、わずか1年でヨーロッパへ移籍。
現在ではプレミアリーグでも日本人最多得点記録を更新するなど、世界的にも評価の高い選手として活躍しています。
ポジションと特徴
ポジションはミッドフィルダーで左サイドハーフを主戦場としていますが、左ウイング、3トップの左フォワード、左ウイングバックなども務めることができる多才な攻撃型選手です。
特徴としてまず挙げられるのが、驚異的なドリブル突破力です。
独特なリズムとステップワークを駆使した緩急自在のドリブルで相手ディフェンダーを翻弄する技術は、欧州の名門クラブからも注目されています。
加速力が高く、スピードに乗ったドリブルで相手守備ラインを切り裂く能力は世界トップレベルと評価されています。
また、「ドリブル」している際に頭が下がらないのも三笘薫の特徴の一つ。
ただ単に突破を繰り返すだけでなく、周りを確認して味方を的確に使うことができるため、相手から「読めない選手」として警戒されています。
右利きながら左サイドを主戦場とし、カットインからのシュートやパス、あるいは外側へ抜け出してのクロスなど、状況に応じたプレーの選択肢の多さも彼の強みです。
さらに、決定力も魅力の一つで、ボックス内でのフィニッシュや、時にはミドルシュートで得点を決める技術も持ち合わせています。
2024-25シーズンには「メッシのよう」と称賛されるスーパーゴールを決め、2年連続でブライトンの年間最優秀ゴール賞を受賞しました。
守備面でも貢献度が高く、前線からの積極的なプレスや献身的な守備参加でチームに貢献する姿勢は、監督からの信頼を勝ち得る要因となっています。
三笘薫の出身地は?
出身地は神奈川県川崎市宮前区
出身地は、神奈川県川崎市宮前区です。
宮前区は川崎市の北西部に位置し、東京都との境に近い住宅地域として発展してきました。
東急田園都市線が通っており、交通の便も良く、都心へのアクセスも容易なエリアです。
特に三笘薫が育った鷺沼(さぎぬま)地区は、東急田園都市線の鷺沼駅を中心に商業施設や学校、公園などが整備された閑静な住宅街です。
渋谷駅から電車で20分程度という好立地にあります。
この地域はサッカー文化も盛んで、三笘薫と同じく日本代表として活躍する田中碧選手も同じ鷺沼出身という「サッカー選手の聖地」としても近年注目されています。
実際に、鷺沼駅前には「鷺沼から世界へ」という応援メッセージが掲げられたこともあるほどです。
2022年のカタールW杯の際には、地元住民からの熱い声援も集まり、鷺沼小学校の校舎の窓ガラスには応援メッセージが掲示されるなど、地元が誇る選手として大きな支持を受けています。
地域の名所としては、鷺沼公園や宮前平公園があり、三笘薫も幼少期にはこれらの公園で兄と一緒にサッカーをして過ごしていたとのことです。
また、有馬記念公園や平瀬川沿いの桜並木など、自然環境も豊かな地域です。
著名人としては、三笘薫のほかに、俳優の織田裕二さんやタレントのベッキーさん、漫画家の塀内夏子さんなど、多彩な分野で活躍する人物を輩出しています。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は、川崎市立鷺沼小学校に通いました。
この時期から兄の影響でサッカーを始め、地域のクラブチームでプレーし、その後、Jリーグクラブの下部組織代チームに加入しています。
中学校は川崎市立有馬中学校に進学し、この時期もJリーグクラブの下部組織チームでプレーを続けていました。
高校は川崎市立橘高等学校へ進学。
ここでもJリーグクラブの下部組織チームに所属し、サッカーの技術を磨き続けました。
大学は筑波大学へ進学しました。
多くの優秀な選手が高校卒業後すぐにプロ入りする中、三笘薫は敢えて大学進学の道を選びました。
この決断は当時としては異例でしたが、「もっと経験を積むことで、より高いレベルでプロデビューしたい」という思いがあったと言われています。
三笘薫の経歴は?
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2020 | 川崎フロンターレ | 30 | 13 |
2021 | 川崎フロンターレ | 20 | 8 |
2021-2022 | ロイヤル・ユニオン・サンジロワーズ(ベルギー) | 29 | 8 |
2022- | ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC |
プロ入り前の経歴
幼少期から兄の影響でサッカーに親しみ、5〜6歳頃に本格的にサッカーを始めました。
最初はさぎぬまSCでプレーし、小学3年生から川崎フロンターレの下部組織チームに入りました。
川崎フロンターレのU-10からU-18まで一貫して所属し、ユース年代から高い技術力と洗練されたプレースタイルで注目を集めています。
川崎フロンターレのアカデミーでの経験は、彼の技術的基盤を形成する上で重要な役割を果たしました。
高校卒業時点でプロ入りへの誘いもあったといわれていますが、三笘薫は筑波大学への進学を選択。
「この時期にプロになることよりも、もう少し経験や知識を積みたかった」という理由からでした。
この決断は当時としては異例のものでしたが、後に彼のキャリア形成において重要な選択となりました。
大学では筑波大学蹴球部に所属し、関東大学リーグで活躍。
大学3年次(2019年)には全日本大学選抜にも選出され、大学サッカーのトップレベルで実績を残しました。
大学4年の時には川崎フロンターレの特別指定選手として登録され、プロへの準備を着々と進めていきました。
Jリーグでの経歴
2020年、筑波大学卒業後に川崎フロンターレに正式加入しました。
プロとしてのキャリアがスタートすると、三笘薫はすぐに頭角を現します。
J1リーグ開幕戦から出場し、瞬く間にチームの主力に定着。
特に左サイドからの鋭いドリブル突破と得点力で相手チームを翻弄しました。
デビューシーズンとなった2020年には、J1リーグで30試合に出場し、13得点を記録。
この得点数はJ1リーグの新人記録に並ぶ成績で、「J1ベストイレブン」にも選出されるなど、わずか1年でJリーグを代表する選手の一人となりました。
チームも三笘薫の活躍に支えられ、2020年シーズンはJ1リーグと天皇杯の2冠を達成。
三笘薫はプロ1年目でタイトル獲得に貢献する活躍を見せました。
2021年シーズンも好調を維持し、前半戦だけで20試合8得点を記録。
その際立った能力と活躍が海外クラブの目に留まり、シーズン途中でイングランドのプレミアリーグ・ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCへの移籍が決定しました。
三笘薫の川崎フロンターレでの通算成績は、J1リーグで50試合出場21得点と、わずか1年半という短い期間でありながら強烈な印象を残しました。
ベルギーでの経歴
2021年8月、イングランド・プレミアリーグのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCへ完全移籍しました。
ただし、当時は英国の労働許可証(ワークパーミット)の基準を満たしていなかったため、直接ブライトンでプレーすることはできませんでした。
そのため、ベルギーのロイヤル・ユニオン・サンジロワーズにレンタル移籍し、欧州キャリアを始動させました。
ベルギーでのシーズン(2021-2022)では、リーグ戦29試合に出場し8得点を記録。
ユニオン・サンジロワーズは同シーズン、ベルギーリーグで2位という好成績を収め、三笘薫もチームの成功に大きく貢献しました。
イングランドでの経歴
2021年8月にイングランド・プレミアリーグのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCへ完全移籍。
移籍金は約3億9000万円と報じられています。
ベルギーのロイヤル・ユニオン・サンジロワーズへのレンタル移籍を経て2022-2023シーズンからブライトンに完全復帰。
プレミアリーグというより高いレベルでも臆することなく持ち前の技術を発揮し、初シーズンでリーグ戦34試合に出場して7得点を記録。
これは当時、日本人選手のプレミアリーグ1シーズン最多得点記録となり、海外メディアからも「プレミアリーグでも通用する日本人選手」として高い評価を受けました。
2023-2024シーズンは負傷の影響もあり、全29試合出場4得点と前シーズンよりは成績を落としましたが、復帰後は徐々に調子を取り戻しました。
2024-2025シーズンは再び絶好調を取り戻し、38試合出場で10得点3アシストを記録。
特に2月のチェルシー戦では「メッシのよう」と称賛される芸術的なゴールを決め、2年連続でブライトンの年間最優秀ゴール賞を受賞するなど、チームの中心選手として活躍を続けています。
イングランドの強豪クラブやスペインなどからも獲得オファーが出ているとされ、移籍金は1億ポンド(約190億円)とも評価されるほど、世界トップレベルの選手としての地位を確立しています。
日本代表での経歴
2019年11月に初めて日本代表に選出されました。
同月19日にベネズエラ代表との親善試合で代表デビューを果たしました。
その後、2021年の東京オリンピックにも出場。
森保一監督率いるU-24日本代表の一員として活躍し、特に3位決定戦のメキシコ戦では鮮やかなドリブル突破からゴールを決めて注目を集めました。
2022年3月のカタールW杯アジア最終予選では、オーストラリア戦で途中出場から2得点を挙げる大活躍。
この試合での勝利により日本のワールドカップ出場権獲得に大きく貢献し、「ミトマジック」とも称される彼の才能が国際舞台でも認められる契機となりました。
2022年11月に開催されたカタールW杯では、グループリーグの全3試合に出場。
特にスペイン戦では終了間際に決勝点のアシストを記録し、日本の歴史的勝利に貢献しました。
2023年以降も日本代表の主力として活躍を続け、
2025年3月時点で日本代表としての通算出場は27試合8得点8アシストを記録しています。
W杯予選や親善試合でも安定したパフォーマンスを見せ、森保ジャパンの攻撃の要として欠かせない存在となっています。
三笘薫の年俸は?
年俸は、キャリアの進展とともに着実に上昇してきました。
プロキャリアをスタートさせた2020年の川崎フロンターレ時代には、推定で約1,000万円前後だったとされています。
J1リーグの新人としては標準的な水準でした。
2021年には成績の向上に伴い、約3,000万円程度まで増額されたと言われています。
2021年夏にブライトンへ移籍した際の移籍金は約3億9,000万円と報じられました。
ベルギーのロイヤル・ユニオン・サンジロワーズへのレンタル移籍時(2021-2022シーズン)の年俸は約9,000万円程度と推定されています。
2022年にブライトンへ復帰した際は、年俸が大幅アップし、約3億円前後になったと報じられています。
これはプレミアリーグというトップレベルのリーグでプレーすることになったためであり、日本人選手としても高い水準でした。
その後の活躍により、2023-2024シーズンには約4億円程度、そして2024-2025シーズンの年俸は推定で約4億5,000万円に達していると言われています。
また、スポンサー契約などの収入を含めると、年間の総収入はさらに上回ると考えられます。
現在の市場価値(移籍金)については様々な報道がありますが、2025年初頭には約4,500万ユーロ(約72億円)から7,000万ユーロ(約110億円)と評価されています。
特に2025年2月のチェルシー戦でのスーパーゴール後には「1億ポンド(約190億円)以上の価値がある」と現地メディアに報じられるなど、世界的にその価値が認められています。
リバプールやチェルシーなどの英国ビッグクラブやレアル・マドリードなどからの関心も伝えられており、今後さらなる年俸アップや高額移籍の可能性も取り沙汰されています。
※金額は推定です。
三笘薫の家族は?
家族は、父親、母親、本人、兄の4人家族です。
三笘薫は神奈川県川崎市宮前区で育ちましたが、生まれたのは大分県日田市だという情報もあります。
幼少期は、両親の仕事の関係で様々な場所で生活した経験があるようです。
父親についての詳細は多くは公開されていませんが、NHKの技術スタッフの統括責任者として働いていた経歴があるとの報道もあります。
紅白歌合戦などの大型番組でも活躍していたとされ、三笘薫の真面目な人柄や仕事への取り組み方には父親の影響もあると言われています。
母親については、元バレーボール選手だったという情報もあり、アスリートとしての素質を母親から受け継いだ可能性が指摘されています。
家族を支える存在として、三笘薫の成長を温かく見守ってきました。
兄は、俳優・ファッションモデルの結木滉星(ゆうき こうせい)さんで、戦隊シリーズなどのテレビドラマにも出演経験があります。
苗字が異なるのは芸名を使用しているためです。
三笘薫は兄の影響でサッカーを始めたと言われており、幼少期は兄と公園でよくサッカーをして遊んでいたとのことです。
インタビューでは「負けず嫌いなので、兄とは一緒に遊べば喧嘩になっていた」と兄との関係を語っています。
また「小さい頃は憧れの存在だった」とも述べており、兄弟の絆は現在も続いているようです。
三笘薫は現在イングランドを拠点に活動していますが、家族とは常に連絡を取り合っているとのこと。
特に試合の前後には家族とLINEでやり取りをして近況を報告するなど、遠距離ながらも家族の絆を大切にしています。
彼のインタビューからは、家族の支えがあってこそ今の活躍があるという感謝の気持ちが伝わってきます。
サッカー選手として厳しい世界で戦い続ける中で、家族の存在は彼にとって大きな心の支えとなっているようです。
三笘薫は結婚している?彼女は?
三笘薫は結婚しています。
2022年7月3日、自身のインスタグラムで大学時代から交際していた女性と入籍したことを発表しました。
投稿では、
「ご報告 日頃より温かいご声援ありがとうございます。この度、大学時代からお付き合いしていた方と入籍いたしました。どんな時も寄り添い支えてくれた彼女とこれからも人生を歩んでいきたいと思います」
と綴り、タキシードとウェディングドレス姿で結婚指輪を見せる2ショット写真を公開しました。
妻は「クリアさん」という名前で、三笘薫と同年代(2023年時点で25歳)とされています。
彼女もアスリートで、6歳から陸上競技に取り組んできたアスリートとのこと。
高校時代は山梨学院高校に在籍し、三段跳びで高校日本一の実績を持つ実力者であることが報じられています。
2023年5月には、三笘薫の公式SNSに妻との2ショット写真が掲載され、結婚生活も順調のようです。
妻はイングランドでの生活にも適応し、三笘薫の活躍を支え続けているとみられます。
イングランドのブライトンでプレーする傍ら、頻繁に代表活動で日本と海外を行き来する多忙な生活の中でも、パートナーの支えがあり充実した日々を送っていることがうかがえます。
プライベートに関しては比較的非公開の姿勢を取っていることから、メディアやSNSでの情報は限られていますが、落ち着いた結婚生活を送りながら、サッカー選手として更なる高みを目指している様子がうかがえます。
まとめ
ここまで三笘薫の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
海外で活躍し、サッカー日本代表にも召集されています。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、 三笘薫の活躍に注目していきましょう!