森下龍矢は、ポーランド エクストラクラサのレギア・ワルシャワに所属し、ミッドフィルダー/ディフェンダーとして活躍するプロサッカー選手です。
また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事では森下龍矢のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。
森下龍矢とはどんな選手なのか?
プロフィール
森下龍矢(もりした りょうや)は1997年4月11日生まれ、静岡県掛川市出身のプロサッカー選手です。
現在はポーランドのエクストラクラサ所属のレギア・ワルシャワに所属し、背番号は25番をつけています。
身長168cm、体重69kg、利き足は右足です。
圧倒的なスピードと運動量を武器に、相手ディフェンスライン裏への抜け出しや積極的な攻撃参加で得点に絡むプレーを得意としています。
ポジションと特徴
ポジションはミッドフィルダーとディフェンダーで、主に攻撃的ミッドフィルダーやウイングバック、サイドバックとしてプレーします。
特徴として最も際立つのがスピードと運動量です。
Jリーグ時代にはスプリント数がリーグトップの749本を記録するなど、圧倒的な走力でチームに貢献しています。
また、左右両足でのシュート技術に長けており、パス、ドリブル、クロスといった基本技術も高いレベルでバランス良く備えています。
さらに、ポーランド移籍後は攻撃的ポジションにコンバートされたことで得点力が飛躍的に向上しました。
守備面でも前線からの積極的なプレスで相手ボールを奪取し、チーム全体の守備力向上に貢献する現代的なサッカー選手です。
森下龍矢の出身地は?
出身地は静岡県掛川市
出身は静岡県掛川市です。
この市は東海道新幹線のこだま号が停車する駅として知られ、東京と大阪のほぼ中間に位置する交通の要衝です。
静岡県西部に位置し、温暖な気候と豊かな自然環境に恵まれています。
掛川市は日本有数の茶産地として有名で、特に「掛川茶」は深蒸し煎茶の産地として全国的に知られています。
市内の茶畑面積は県内でも上位を占め、品質の高いお茶が生産されています。
歴史的には戦国時代に掛川城が築かれ、現在も復元された天守閣が市のシンボルとなっています。
掛川城は「東海の名城」とも呼ばれ、城郭建築の美しさで多くの観光客を魅了しています。
文化面では大日本報徳社が設立された地としても知られ、二宮金次郎(二宮尊徳)の教えを継承する報徳思想の発祥地でもあります。
有名人としては森下龍矢の他に、元プロ野球選手の森下宗さん、スノーボード選手の三木つばきさんなど、多様な分野で活躍する人材を輩出しています。
このように掛川市は、自然と歴史、文化がバランス良く調和した、住みやすく魅力あふれる街として親しまれています。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は掛川市立桜木小学校に通い、地元クラブチームでサッカーを始めました。
この時期から運動能力の高さを見せ、サッカーへの情熱を育んでいきました。
中学校は掛川市立桜が丘中学校に進学し、地元クラブチームでプレーしながら着実に技術を磨いていました。
高校は静岡県立磐田西高等学校へ進学し、Jリーグクラブの下部組織チームに所属しました。
大学は明治大学へ進学し、体育会サッカー部に所属しました。
大学4年次には一般企業への就職活動も本格的に行っており、損保業界を志望して面接を受けるなど、プロサッカー選手とは別の道も真剣に検討していました。
しかし最終的にサッカーへの情熱が勝り、プロチームからのオファーを受けてプロの道を選択しました。
森下龍矢の経歴は?
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2020 | サガン鳥栖 | 33 | 3 |
2021-2024 | 名古屋グランパス | 54 | 1 |
2023-2024 | レギア・ワルシャワ(loan) | 30 | 4 |
2024- | レギア・ワルシャワ |
プロ入り前の経歴
幼少期から掛川市内でサッカーに親しみ、地元の掛川JFC01でその才能を育み始めました。
小学生時代から運動能力の高さと真面目な取り組み姿勢で指導者から信頼を得ていました。
中学校進学後はジュビロSS掛川に所属し、学業とサッカーを両立させました。
この時期から本格的なサッカー技術の習得に取り組み、将来への基礎を築いていきました。
高校ではジュビロ磐田のU-18チームに所属し、より高いレベルでのサッカーを経験しました。
2015年にはU-18日本代表に選出され、韓国遠征にも参加するなど、早くから将来を嘱望される選手として注目されていました。
高校卒業後は明治大学に進学し、大学サッカー界でも着実に力をつけていきました。
大学3年時から主力選手として活躍し、4年次の2019年には明治大学が関東大学リーグ1部優勝、全日本大学選手権優勝、総理大臣杯優勝など5冠を達成する偉業に貢献しました。
しかし、プロ入りへの道は決して順風満帆ではありませんでした。
大学4年時には一般企業への就職活動も並行して行い、損保業界を中心に真剣に検討していた時期もありました。
最終的には「サッカーへの情熱を貫きたい」という思いが勝り、サガン鳥栖からのオファーを受けてプロ契約を結びました。
Jリーグでの経歴
2020年にJ1リーグのサガン鳥栖でプロとしてのキャリアをスタートさせました。
プロ1年目から33試合に出場し3得点を記録するなど、即戦力として活躍を見せました。
リーグ戦初出場は2020年2月22日の川崎フロンターレ戦、初得点は同年8月1日でした。
翌2021年には名古屋グランパスへ完全移籍を果たしました。
移籍1年目は22試合出場と出場機会を限られましたが、チームの戦術理解を深めながら着実に成長を続けました。
2022年には32試合に出場し1得点を記録。
この年から本格的にレギュラーポジションを掴み、サイドバックやウイングバックとして安定したパフォーマンスを披露しました。
持ち前のスピードを活かした攻撃参加で注目を集めました。
2023年シーズンは自身にとって飛躍の年となりました。
33試合に出場し4得点を記録し、Jリーグ優秀選手賞にも選出される活躍を見せました。
この年の活躍が評価され、同年6月に念願の日本代表初招集を果たし、エルサルバドル戦でA代表デビューも飾りました。
ポーランドでの経歴
2024年1月、森下龍矢は新たな挑戦としてポーランド1部リーグの名門レギア・ワルシャワに期限付き移籍で加入しました。
これが森下龍矢にとって初の海外挑戦となりました。
移籍当初は環境の変化や言語の壁に苦労する面もありましたが、「一番の要因は英語だなと思います」と語るように、コミュニケーション能力の向上とともに急速にチームに適応していきました。
特筆すべきは、ポーランドでプレーポジションが大きく変化したことです。
日本では主にサイドバックやウイングバックとしてプレーしていた森下が、レギア・ワルシャワでは攻撃的ミッドフィルダーやウイングとして起用されるようになりました。
この「魔改造」とも呼ばれるポジション変更が功を奏し、得点力が飛躍的に向上、持ち前のスピードと運動量がより効果的に活かされるようになりました。
2024年12月には期限付き移籍から完全移籍へと契約形態が変更され、2028年夏までの長期契約を結びました。
レギア・ワルシャワが森下龍矢の価値を高く評価していることがうかがえます。
日本代表での経歴
森下龍矢の日本代表への道のりは、各世代での着実な積み重ねから始まりました。
2015年に高校生としてU-18日本代表に初選出され、韓国遠征に参加したのが代表歴の出発点でした。
その後、2019年にはユニバーシアード日本代表として国際舞台を経験し、2020年にはU-23日本代表候補として千葉での合宿に参加するなど、各世代で継続的に評価を受けてきました。
念願のA代表初招集は2023年6月でした。
この時期は名古屋グランパスでの好調なパフォーマンスが評価され、森保一監督から白羽の矢が立ちました。
2023年6月15日のキリンチャレンジカップ・エルサルバドル代表戦で、ついにA代表デビューを果たしました。
その後、同年9月にはタイ代表との親善試合にも出場しましたが、ポーランド移籍直後の環境変化もあり、しばらく代表から遠ざかる時期が続きました。
2025年6月、約1年半ぶりに日本代表に復帰を果たしました。
FIFAワールドカップ26アジア最終予選のインドネシア代表戦では右ウイングバックとして先発出場し、念願の代表初ゴールを決めました。
「もどかしさを出せた」と語った森下龍矢は、この得点について「僕のプレースタイルは点を取ることなので、常に走り込む、労を惜しまずやっていきたい」とコメントし、攻撃的な役割への適応と意欲を示しました。
2025年6月現在、日本代表での出場数は3試合、得点数は1となっており、今後のさらなる活躍が期待されています。
森下龍矢の年俸は?
年俸はプロキャリアの進展とともに着実に上昇を続けています。
プロ1年目の2020年、サガン鳥栖時代の年俸は推定460万円でした。これは大学卒業の新人選手としては一般的な水準でした。
2021年に名古屋グランパスへ移籍すると年俸は1500万円へと大幅にアップしました。
翌2022年には1550万円、そして飛躍の年となった2023年には3000万円まで上昇し、この年のJリーグ優秀選手賞受賞も年俸アップの要因となりました。
2024年のポーランド移籍により、年俸はさらなる上昇を見せました。
レギア・ワルシャワでの正確な年俸額は公表されていませんが、完全移籍時の移籍金が7500万円だったことを考慮すると、相応の年俸アップが推測されます。
また、森下龍矢の市場価値は2024年に約1億8000万円と、キャリア最高値を記録しており、これは彼の価値が国際的に認められていることを示しています。
現在はポーランドのトップクラブで主力として活躍し、日本代表にも復帰を果たしていることから、年俸も数千万円規模に達していると推測されます。
今後のさらなる活躍次第では、より大きなクラブからのオファーも期待され、年俸のさらなる上昇も十分に考えられます。
※金額は推定です。
森下龍矢の家族は?
森下龍矢の家族に関する詳細な情報はあまり公開されていませんが、両親の支えがあって現在の成功があることは確かです。
特に大学時代、プロサッカー選手への道を歩むか、一般企業への就職を選択するかで悩んでいた時期に、家族の理解と支援が彼の決断を後押ししました。
両親は「やりたいことを追求しなさい」という形で息子の選択を支持し、最終的にプロサッカー選手への道を選ぶことを温かく見守りました。
家族は静岡県掛川市に在住しており、森下龍矢が掛川市の「輝くかけがわ応援大使」に委嘱された際にも、地元への愛着と家族への感謝の気持ちを表明しています。
ポーランドでプレーするようになってからも、家族との絆は深く保たれており、大きな試合での活躍や日本代表復帰などの際には、家族からの祝福のメッセージが彼の支えとなっています。
森下龍矢自身も「家族の支えがあってこそ今の自分がある」という感謝の気持ちを度々表明しており、プロサッカー選手としての成功の背景には、温かい家族の存在があることがうかがえます。
森下龍矢は結婚している?彼女は?
2022年9月に結婚しています。
お相手は一般の女性で、プライバシー保護のため氏名などの詳細は公表されていません。
結婚発表時、森下龍矢は25歳で、プロサッカー選手として安定したキャリアを築き始めた時期でした。
奥さんについては一般の方でありながら非常に美人だと話題になっており、森七菜さんに似ているとも言われています。
結婚後の森下龍矢の活躍ぶりは目覚ましく、2022年の結婚を境に選手としてのパフォーマンスがさらに向上したという声もあります。
森下龍矢は結婚について「これまで自分では焼き料理が多かったので、下ごしらえがめっちゃしてある料理が出てくるのがうれしい」とコメントし、新婚生活の充実ぶりを語っていました。
現在のところ、お二人の間にお子さんがいるという情報は公表されていません。
ポーランドでの海外生活という新しい環境での夫婦二人の時間を大切にされているものと思われます。
奥さんは森下龍矢のJ1通算100試合出場達成記念セレモニーにプレゼンターとして登場するなど、夫のサッカー人生を温かく支えている様子がうかがえます。
ポーランド移籍という大きな決断の際にも、奥さんの理解と支援があったことは想像に難くありません。
プライベートを大切にする森下龍矢ですが、結婚生活の充実が選手としてのさらなる成長の原動力となっていることは間違いないでしょう。
まとめ
ここまで森下龍矢の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
海外で活躍し、サッカー日本代表にも召集されています。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、森下龍矢の活躍に注目していきましょう!