瀬古歩夢は、スイス・スーパーリーグのグラスホッパー・クラブ・チューリッヒに所属し、ディフェンダーとして活躍するプロサッカー選手です。
また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事では瀬古歩夢のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。
瀬古歩夢とはどんな選手なのか?
プロフィール
瀬古歩夢(せこ あゆむ)は2000年6月7日生まれ、大阪府大阪市大正区出身のプロサッカー選手です。
現在はスイスのスーパーリーグ所属のグラスホッパー・クラブ・チューリッヒに所属し、背番号は15番をつけています。
身長186cm、体重81kg、利き足は両足(右足と左足の両方を使いこなす)、愛称は「アユム」です。
スイス移籍前に所属していたセレッソ大阪では2020年にJリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞するなど、若くして高い評価を受けてきました。
ポジションと特徴
ポジションはディフェンダーで、主にセンターバックとしてプレーしますが、守備的ミッドフィールダー(ボランチ)としてもプレー可能な選手です。
特徴としてまず挙げられるのが、両足を使いこなせるという点です。
右足でも左足でも正確なパスを供給することができ、「両足が利き足」と評される稀有な選手です。このスキルにより、ビルドアップの起点として高い能力を発揮します。
また、精度の高い長いパス(ロングフィード)が特徴で、守備陣から攻撃陣へ一気に展開することができます。
さらに、186cmという身長を活かした空中戦での強さもあり、ディフェンスラインの要として相手攻撃を遮断する能力に長けています。
そして、冷静な判断力と優れたポジショニングで相手の攻撃を事前に読み切り、インターセプトやクリアなどで守備面での貢献度が高いことも彼の強みです。
瀬古歩夢の出身地は?
出身地は大阪府大阪市大正区
出身地は、大阪府大阪市大正区です。
大正区は大阪市の南西部に位置し、周囲を川や海に囲まれた区域です。
かつては工業地域として栄え、造船や金属加工などの工場が多く立地していました。
区の南部は埋め立て地となっており、大阪港の一部を形成しています。
また、水辺を活かした観光スポットや、親水公園なども整備されています。
大正区内には鉄道駅として、JR大阪環状線の大正駅があるほか、大阪メトロ長堀鶴見緑地線の大正駅、千島駅などがあり、アクセスも便利です。
歴史的には、江戸時代には漁村や農村として発展し、明治以降に工業地域として発展しました。
現在は住宅地と工業地域が混在する地域となっています。
区内には「大正図書館」や「大正スポーツセンター」などの施設もあり、住民の文化・スポーツ活動の拠点となっています。
有名人には、女優の萬田久子さん、ラジオパーソナリティ・俳優の妹尾和夫さん、俳優の伊達三郎さんなどがいます。
大正区は下町情緒あふれる温かい地域性で知られ、人情味豊かな環境で育ったことが、瀬古歩夢の人間性形成にも影響を与えたと考えられます。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は、大阪市立中泉尾小学校に通いました。
この時期からすでにサッカーを始めており、地元クラブに所属。
その後、Jリーグチームの下部組織でプレーしていました。
中学校は大阪市立大正東中学校に進学し、この時期もリーグチームの下部組織に所属。
高校は大阪府の興國高等学校へ進学。
在学中もJリーグチームの下部組織に所属していました。
大学には進学せず、高校卒業後はプロサッカー選手としての道を進みました。
瀬古歩夢の経歴は?
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2016-2019 | セレッソ大阪U-23 | 35 | 1 |
2018-2021 | セレッソ大阪 | 67 | 2 |
2022- | グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ | 80 | 1 |
プロ入り前の経歴
幼い頃から地元でサッカーを始め、小学生時代には中泉尾JSCやフットメッセでプレーしていました。
友達がセレッソ大阪ジュニアユースに入団したことをきっかけに、セレッソ大阪U-12のセレクションを受け合格し入団。
以降、セレッソ大阪の下部組織でサッカー選手としての基礎を築いていきました。
中学生時代にはセレッソ大阪U-15でスキルを磨き、13歳の時には早くもU-15日本代表に選出され、AFC U-16選手権・予選(2015年)やバル・ド・マルヌ U-16国際親善トーナメント(2015年)などに出場。
その後もU-16日本代表としてU-16インターナショナルドリームカップなどに出場するなど、早くから国際的な舞台で経験を積んでいきました。
高校時代は興國高等学校に在籍しながら、セレッソ大阪U-18でプレー。
2016年に2種登録選手となり、セレッソ大阪U-23のメンバーとしてJ3リーグに出場する機会も得ました。
Jリーグでの経歴
2016年から2種登録選手としてセレッソ大阪のトップチーム練習に参加し、2017年5月24日のルヴァンカップでクラブ最年少の16歳11か月でトップデビューを果たしました。
2018年10月に正式にプロ契約を結び、セレッソ大阪のトッププロとしての経歴をスタートさせます。
2019年にはプロ1年目ながら、J1リーグで着実に出場機会を増やし、安定した守備でチームに貢献。380万円と推定される年俸でプロ生活をスタートしました。
2020年シーズンは大きく成長し、セレッソ大阪の守備の要として定着。その年の活躍が認められ、Jリーグベストヤングプレーヤー賞とルヴァンカップのニューヒーロー賞を獲得するという快挙を達成しました。
2021年も引き続き活躍し続けました。
スイスでの経歴
2022年1月18日、瀬古歩夢はスイスのトップリーグであるスーパーリーグのグラスホッパー・クラブ・チューリッヒに完全移籍しました。
移籍金は約1億円と報じられており、セレッソ大阪と契約延長したばかりだったため、数億円規模の移籍金が発生したとも言われています。
グラスホッパーでは、主にセンターバックとしてプレーしながらも、時にはボランチ(守備的ミッドフィールダー)としても起用され、多彩な能力を発揮。
2022-23シーズンには21試合に出場し、1アシストを記録しました。
2023-24シーズンもチームの守備の要として活躍を続け、プレータイムを着実に積み上げています。このシーズンは32試合に出場し、安定したパフォーマンスを見せました。
2024-25シーズンは、フットスタッツによると34試合に出場し、3013分をプレー。
この間に5回のクリーンシートを記録し、特にインターセプトやクリア回数といった守備指標で高い数値を記録しています。
現在の契約は2025年6月30日まで続いており、2025年夏には契約満了となるため、フリートランスファーでの移籍が可能になります。
ドイツとフランスのクラブが獲得を検討していると報じられており、ヨーロッパの一線級のリーグへの移籍も視野に入れています。
日本代表での経歴
年代別日本代表として早くから活躍していました。
U-15日本代表として2015年にAFC U-16選手権・予選やバル・ド・マルヌ U-16国際親善トーナメントに出場。
その後もU-16日本代表としてU-16インターナショナルドリームカップなどに参加しました。
2019年にはU-20日本代表としてU-20ワールドカップに出場し、国際大会での経験を積みました。
2021年には東京オリンピックサッカー日本代表に選出され、五輪の舞台でもプレーを経験しています。
A代表(フル代表)としては、2022年から日本代表に召集されるようになりました。
王者の最終予選やキリンチャレンジカップなどの試合で徐々に出場機会を得ています。
2023年3月には、日本代表としてキリンチャレンジカップのコロンビア戦に途中出場し、国際Aマッチの経験を積みました。
2025年3月のFIFAワールドカップ北中米大会アジア最終予選のバーレーン戦では先発出場を果たし、フル出場しましたが、スタメン定着のためには更なる成長が必要との評価もあります。
瀬古歩夢の年俸は?
年俸はキャリアの発展に伴い着実に上昇してきました。
セレッソ大阪でプロキャリアをスタートさせた2019年、プロ1年目の年俸は約380万円でした。
これは若手選手としては標準的な水準でした。
2020年には成績が評価され、年俸は約800万円に上昇。
さらにJリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞するなど活躍したこともあり、2021年には年俸が約1500万円にまで増額されました。
2022年1月にスイスのグラスホッパー・クラブ・チューリッヒに移籍した際の年俸は明確に公表されていませんが、報道によるとセレッソ大阪時代から上昇しているものの、「そこまで高額ではない」という情報もあります。
2025年現在の市場価値は、トランスファーマーケットによると約1億6000万円と評価されています。
これはチーム内でも中堅クラスの評価を受けていることを示しています。
現在のグラスホッパーでの年俸は推定3000万〜4000万円と言われており、Jリーグ時代と比較すると大幅にアップしています。
2025年夏に契約が満了するため、次のキャリアステップでは、さらなる年俸アップが期待されています。
ドイツやフランスなどの上位リーグへ移籍した場合、さらに年俸は上昇する可能性が高いでしょう。
※金額は推定です。
瀬古歩夢の家族は?
家族は、父親、母親、そして本人の3人家族であるとされています。
兄弟に関する情報はなく、おそらく一人っ子だと考えられています。
大阪府大阪市大正区で生まれ育った彼は、幼い頃からサッカーに親しみ、その才能を家族に支えられながら伸ばしてきました。
父親の職業や詳細な情報は公開されていませんが、瀬古歩夢のサッカー人生に少なからず影響を与えた存在だと推測されます。
母親についても詳しい情報は少ないものの、彼のサッカー選手としての成長を支える重要な役割を果たしてきたことは間違いないでしょう。
瀬古歩夢の人間性や価値観の形成には、家族環境の影響が大きいと考えられ、彼の成功の背景には家族の深い愛情と支えがあることが推測されます。
瀬古歩夢は結婚している?彼女は?
2025年現在、瀬古歩夢は結婚していないことが確認されています。
彼女の存在についても、これまで熱愛報道などは一切なく、プライベートな恋愛事情については明らかになっていません。
現在24歳(2025年5月時点)と若く、まだキャリアの途上にあることを考えると、現在はサッカー選手としての成長に集中している時期と考えられます。
特にスイスのグラスホッパー・クラブ・チューリッヒでプレーし、さらなるキャリアステップを模索している段階では、プライベートよりもサッカー選手としての実績作りに集中している可能性が高いでしょう。
今後のキャリア展開によっては、生活基盤が安定した際に結婚や家族計画を考える可能性もありますが、現時点ではそのような情報は公開されていません。
瀬古歩夢のようなプロスポーツ選手のプライベートは非常に慎重に扱われることが多いため、彼自身が公表するまでは正確な情報を得ることは難しいでしょう。
本人から情報が出てくることを楽しみに待ちましょう。
まとめ
ここまで瀬古歩夢の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
海外移籍も果たし、サッカー日本代表にも召集されています。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、 瀬古歩夢の活躍に注目していきましょう!