谷晃生は、JリーグのFC町田ゼルビアに所属し、ゴールキーパーとして活躍するプロサッカー選手です。
また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事では谷晃生のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの情熱、人生観など、彼の魅力に迫ります。
谷晃生とはどんな選手なのか?
プロフィール
谷晃生(たに こうせい)は2000年11月22日生まれ、大阪府堺市南区出身のプロサッカー選手です。
現在はJリーグ・FC町田ゼルビアに所属し、背番号は1番をつけています。
身長187cm、体重84kg、利き足は右足、血液型はO型です。
187cmの長身から繰り出される高い技術力を持つセービングが特徴で、正確なキャッチングと冷静な判断力を武器にゴールを守り続けています。
ポジションと特徴
ポジションはゴールキーパーで、日本代表にも選出されている実力派のゴールキーパーです。
特徴としてまず挙げられるのが187cmの恵まれた体格を活かしたセービング技術です。
単に長身に頼るだけでなく、技術的に高いレベルのシュートストップを見せており、特に「トップハンドセーブ」と呼ばれる技術には定評があります。
また、シュートコースを読み切る判断力も非常に優れており、PK戦でも見事にセーブを見せるなど、重要な場面での集中力の高さも大きな武器です。
さらに、クロスへの対応力も高く、アーリークロス(ゴールから遠い位置からのクロス)に対しても積極的にチャレンジする姿勢を見せています。
守備範囲の広さと状況判断の的確さを兼ね備えた、日本屈指の若手ゴールキーパーとして注目されています。
谷晃生の出身地は?
出身地は大阪府堺市南区
出身地は、大阪府堺市南区です。
堺市は古くから人や技術、文化が集まる先進地として知られており、16世紀以降には商人を中心とした環濠都市として繁栄した歴史ある街です。
特に堺市南区は、世界文化遺産にも登録された「百舌鳥・古市古墳群」の一部が含まれる地域で、仁徳天皇陵古墳をはじめとする古代のロマンを感じられる場所として知られています。
現在の堺市南区は、自然豊かな泉北ニュータウンを中心とした住宅地が広がっており、教育環境も整った住みやすいエリアとして評価されています。
堺市出身の有名人には、アーティストでクリーピーナッツのR-指定さん、お笑い芸人のさらば青春の光の森田哲矢さん、女優の松本穂香さんなど、多彩な分野で活躍する人材を輩出しており、文化的な土壌の豊かさがうかがえます。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は、堺市立原山台小学校に通いました。
この時期から地元のサッカークラブでサッカーを始めました。
中学校は堺市立原山台中学校に進学し、この頃もクラブチームでプレーを続けながら技術を磨いていました。
高校は大阪府の追手門学院高校へ進学しました。
高校時代はJリーグクラブの下部組織に所属しており、学業とサッカーを両立していました。
大学は進学はせず、高校3年生の時にプロ契約を結んでプロキャリアをスタートさせました。
谷晃生の経歴は?
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2017-2019 | ガンバ大阪U-23 | 33 | 0 |
2018-2024 | ガンバ大阪 | 10 | 0 |
2020-2022 | 湘南ベルマーレ(loan) | 90 | 0 |
2023-2024 | FCVデンデルEH(loan) | 1 | 0 |
2024 | FC町田ゼルビア(loan) | 37 | 0 |
2025- | FC町田ゼルビア | – | – |
プロ入り前の経歴
幼少期の5歳頃から兄の影響でサッカーを始めました。
地元の「TSK泉北サッカークラブ(現TSK堺サッカークラブ)」に入団し、当初はフォワードとゴールキーパーの両方のポジションでプレーしていました。
小学3年生頃からゴールキーパー専門となり、その才能を開花させていきます。
当時から指導者の山本尚明さんの目に焼き付く仰天プレーを見せており、将来性を感じさせる選手だったと振り返られています。
中学校時代は2013年にガンバ大阪ジュニアユースに入団し、本格的にプロを目指した育成環境でプレーを続けました。
高校進学と共に2016年にガンバ大阪ユースへ昇格し、同年と翌年にはガンバ大阪のトップチームにも登録されるという異例の抜擢を受けました。
Jリーグでの経歴 1
2018年に高校3年生でガンバ大阪とプロ契約を結び、プロキャリアをスタートさせました。
同年よりガンバ大阪U-23でJ3リーグに参戦し、2019年までの2シーズンで33試合に出場し、着実に経験を積み重ねました。
2020年からは経験を積むため湘南ベルマーレへの期限付き移籍が決定し、J1リーグでの本格的な挑戦が始まりました。
湘南ベルマーレでは即座にレギュラーポジションを獲得し、2020年シーズンは25試合に出場。
この年の活躍により東京オリンピックのU-23日本代表にも選出され、注目を集めました。
2021年、2022年と湘南ベルマーレでの期限付き移籍を継続し、3シーズンで合計90試合に出場する充実した経験を積みました。
この期間中に技術と経験を大幅に向上させ、日本屈指の若手ゴールキーパーとしての地位を確立しました。
2023年シーズンからはガンバ大阪に復帰し、年俸も上昇するなど、その価値が評価されました。
ベルギーでの経歴
2023年8月1日、ガンバ大阪からベルギーのFCVデンデルEH(ファースト・ディビジョンB、2部相当)への期限付き移籍が発表されました。
デンデルは2007-08シーズンにクラブ史上初のジュピラー・プロ・リーグ(ベルギー1部)を戦った経験があるものの、2シーズン目で降格となり、以降は2部での戦いが続いているクラブでした。
谷晃生にとって初の海外挑戦となったこの移籍では、ビザの問題や言語の壁など、「想像していた以上」の過酷な日々を経験しました。
12月にようやくベルギーリーグデビューを果たしたものの、出場機会は限定的で、シーズン通算で1試合の出場にとどまりました。
海外挑戦について「『ただの失敗』と捉える方も多いと思いますが」と前置きしながらも、この経験が後の成長につながったと振り返っています。
Jリーグでの経歴 2
ベルギーから帰国後、2024年よりFC町田ゼルビアへの期限付き移籍が決定しました。
町田ゼルビアでは主力ゴールキーパーとして37試合に出場し、チームのJ1リーグでの戦いに大きく貢献しました。
FC町田ゼルビアの発表によると、その活躍が評価され、2025年1月には期限付き移籍から完全移籍へと契約形態が変更されることが決定しました。
町田での1年間は、ベルギーでの経験を活かした成熟したプレーを見せ、チーム内外から高い評価を得る結果となりました。
日本代表での経歴
2015年にU-15日本代表に初選出されたのを皮切りに、翌2016年にはU-16日本代表でプレーしました。
2017年には大きな飛躍を見せ、U-17日本代表としてFIFA U-17ワールドカップ インド2017に出場し、国際大会での貴重な経験を積みました。
同年にはU-20日本代表にも選出されるなど、順調にステップアップを続けました。
2018年にはU-19日本代表とU-21日本代表の両方でプレーし、2019年にはU-22日本代表、2020年にはU-23日本代表として東京オリンピックの舞台に立ちました。
オリンピックではチームの守護神として活躍し、一躍全国にその名を知られる存在となりました。
そして2021年以降、ついにA代表である日本代表(SAMURAI BLUE)に選出されました。
初出場は2022年7月27日のEAFF E-1サッカー選手権2022の韓国戦(3-0で日本勝利)で、2試合目は2024年6月11日の2026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選のシリア戦(5-0で日本勝利)となっています。
現在までにA代表として通算2試合に出場しており、今後の日本代表の守護神候補として期待されています。
谷晃生の年俸は?
年俸は、キャリアを通じて着実な上昇を見せています。
プロ入り時の2018年のガンバ大阪では推定380万円でスタートし、翌2019年には420万円に上昇しました。
2020年からの湘南ベルマーレへの期限付き移籍では420万円で始まり、2021年には東京オリンピック出場などの活躍により1500万円へと大幅にアップしました。
2022年には湘南ベルマーレでの継続的な活躍により3000万円に上昇し、2023年のガンバ大阪復帰時には4000万円まで到達しました。
そして2025年現在、FC町田ゼルビアへの完全移籍により年俸は5200万円に達したとされており、これは24歳のゴールキーパーとしては非常に高い評価を示しています。
この年俸推移は、谷晃生が着実にキャリアを積み重ね、その実力が正当に評価されていることを物語っており、今後さらなる活躍により年俸上昇も期待されます。
※金額は推定です。
谷晃生の家族は?
家族は、父親、母親、兄2人、本人の5人家族です。
谷晃生は家族の中で末っ子として育ち、スポーツを愛する環境の中で才能を磨いてきました。
父親の谷信賢さんは新日鉄(現日本製鉄)の一般社員で、社内の応援部にも所属していた人物です。
応援部のリーダーとして、かつて野茂英雄さんらの都市対抗野球出場を熱心に応援していた経験があります。
信賢さんは、妻である真由美さんを支えるために家事も積極的に担い、家族全体をサポートする重要な役割を果たしています。
母親の谷真由美さんは身長170cmの長身を活かし、名古屋短大付高校(現桜花学園)時代に高校バレーの全国大会に出場した元アスリートです。
卒業後は実業団女子バレーボールの新日鉄堺に所属し、同社の野茂英雄さんや中垣内祐一さんらと同期入社を果たしています。
真由美さんは、息子がガンバ大阪ジュニアユース時代の約2年半にわたって、大阪・堺市と練習場を結ぶ往復80キロの道のりを毎日車で送迎し続けました。
スーパーでの勤務を終えた後にハンドルを握る毎日は決して楽ではありませんでしたが、「決して苦に思ったことはなく、むしろ楽しんでいました」と振り返っています。
また、2人の兄については詳しい情報は公開されていませんが、3歳年上の兄の影響で谷晃生は幼稚園年長からサッカーを始めることになりました。
小学3年生の時に兄が所属していたチームで人数が足りず、背が高いという理由でゴールキーパーとして「飛び級」で参加したことが、現在のポジションに繋がっています。
谷家は家族全員がスポーツを通じて結びつき、お互いを支え合う関係を築いています。
この温かい家族環境が、谷晃生がプロサッカー選手として成長する重要な土台となったことは間違いありません。
谷晃生は結婚している?彼女は?
2025年現在、結婚しておらず、独身です。
彼女に関する確かな情報や交際報道も特に見当たりません。
プロサッカー選手としてのキャリアに集中し、恋愛よりもサッカーに専念している可能性が高いです。
2021年に日本代表入りを果たした際は当時20歳という若さで、キャリア形成の重要な時期にあったため、恋愛よりもサッカーに集中していたと考えられます。
ベルギーでの海外挑戦や、その後の町田ゼルビアでの活躍、さらには完全移籍という大きな転機を迎える中で、プロフェッショナルとしての責任と向上心を持って日々を過ごしていることでしょう。
今後、サッカー選手としてのキャリアが安定していく中で、プライベートな面での発表があるかもしれませんが、現在のところは競技に集中する日々を送っていると考えられます。
まとめ
ここまで谷晃生の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
Jリーグで活躍し、サッカー日本代表にも召集されています。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、 谷晃生の活躍に注目していきましょう!