守田英正は、ポルトガル プリメイラ・リーガのスポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルに所属し、ミッドフィルダーとして活躍するプロサッカー選手です。
また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事では守田英正のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの情熱、生き方など、彼の魅力に迫ります。
守田英正とはどんな選手なのか?
プロフィール
守田英正(もりたひでまさ)は1995年5月10日生まれ、大阪府高槻市出身のプロサッカー選手です。
現在、ポルトガルのプリメイラ・リーガに所属するスポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルでプレーしています。
身長は177cm、体重は75kgで、利き足は右足です。
愛称は「ヒデ坊」「ヒデリン」で、背番号は5番を着用しています。
高い危険察知能力とボール奪取の技術を持ち、キープ力と縦パスの意識も優れている選手です。
ポジションと特徴
ポジションは主にミッドフィールダー(MF)で、特に守備的ミッドフィールダー(DMF)として起用されることが多いです。
また、セントラルミッドフィールダーや右サイドバックとしてもプレーした経験があります。
特徴としては、まず高い危険察知能力が挙げられます。
相手の攻撃の芽を事前に読み取り、効果的に対応することができます。
次に、優れたボール奪取能力があります。
的確なタイミングでインターセプトやタックルを行い、相手の攻撃を遮断します。
さらに、キープ力も高く、奪ったボールを確実に味方につなぐことができます。
最後に、縦パスの意識が高く、攻撃の起点となるパスを出す能力も持ち合わせています。
これらの特徴により、守備と攻撃の両面でチームに大きく貢献しています。
守田英正の出身地は?
出身地は大阪府高槻市
出身地は大阪府高槻市です。
大阪府北部に位置し、京都府と隣接する地域にあります。
人口は約35万人を誇り、大阪府内で5番目に大きな市として知られています。
高槻市は歴史と文化が豊かな街で、特に「安満遺跡公園」は弥生時代の大規模な集落跡として有名です。
この遺跡は国の史跡に指定されており、歴史愛好家にも親しまれています。
また、江戸時代には京街道の宿場町として栄え、現在もその風情を感じられる町並みが残っています。
自然環境にも恵まれており、市の北部には北摂山系が広がり、ハイキングや紅葉狩りが楽しめます。
さらに、市内を流れる芥川や檜尾川は、市民にとって憩いの場となっています。
特産品としては、高槻寒天を使った上品な甘さの「高槻ようかん」が有名です。
そのほかにも、「原八景」「摂津の流れ」「高槻最中」など、高槻ならではの味覚が楽しめます。
また、高槻市は多くの著名人を輩出している街でもあります。
俳優の京本政樹さん、シンガーソングライターの槇原敬之さん、フィギュアスケート選手の織田信成さんなどが、この地の出身です。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は高槻市立清水小学校、中学校は高槻市立第九中学校に通っていました。
この時期からサッカーに熱中し、地元のクラブチームでプレーしていました。
高校は大阪府の金光大阪高等学校に進学しました。
金光大阪高校はサッカーの強豪校として知られており、ここで本格的にサッカー選手としての基礎を築きました。
大学は茨城県の流通経済大学に進学。
流通経済大学はサッカーの強豪校として有名で、その中でもまれ、頭角を現していきました。
守田英正の経歴は?
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2018-2020 | 川崎フロンターレ | 81 | 1 |
2021-2022 | CDサンタ・クララ | 48 | 3 |
2022- | スポルティングCP | 58 | 8 |
プロ入り前の経歴
守田英正のサッカー人生は、大阪府高槻市で幕を開けました。
幼稚園の頃から地元のサッカークラブの高槻清水FCに所属し、小学生時代を通じてサッカーに打ち込みました。
中学時代は中学のサッカー部で活躍するとともに、クラブチームでの練習にも励み、プロを目指して努力を重ねます。
この時期にサッカースキルが飛躍的に向上し、中学2年生のときには大阪府トレセンに選出されるまでに成長しました。
高校時代は、大阪府の強豪・金光大阪高等学校でサッカーを続けます。
全国的に名の知れたサッカー強豪校で、守田英正にとって理想的な環境でした。
チームの中心選手としてリーダーシップを発揮しながら活躍しましたが、全国大会出場の経験はなく、全国レベルでの注目を集めるには至りませんでした。
その後、大学もサッカー強豪校の流通経済大学へ進学。
この選択が、彼のサッカーキャリアを大きく飛躍させることになります。
大学時代にはプレースタイルを確立し、大学ナンバーワンのボランチとして評価される存在へと成長。
4年生時には全日本大学サッカー選手権で優勝し、大会最優秀選手賞を受賞するなど、輝かしい成績を収めました。
その活躍が認められ、川崎フロンターレへの加入が内定します。
2017年9月14日には、特別指定選手として川崎フロンターレに登録され、プロの世界への第一歩を踏み出しました。
Jリーグでの経歴
Jリーグでのキャリアは、2018年に川崎フロンターレで本格的にスタートしました。
前年の2017年には特別指定選手としてチームに登録されており、翌年にプロ契約を結んで正式に加入。ここから彼の飛躍が始まります。
川崎フロンターレで過ごした3シーズンは、守田英正にとって充実したものとなりました。
J1リーグの強豪クラブであるフロンターレの中で、彼は着実に出場機会を増やし、その献身的なプレースタイルや的確な状況判断力によって欠かせない存在へと成長していきました。
特に印象的だったのは、2018年と2020年のリーグ優勝です。
守田英正は、この2度のタイトル獲得に大きく貢献し、チームの攻守を支える重要な役割を果たしました。
彼の卓越したボール奪取能力や正確なパス回しはフロンターレの攻撃の起点となり、さらに90分間を通じてピッチ全体をカバーする豊富な運動量でチームの戦術を支えました。
シーズンごとの成績を見ても、2018年はリーグ戦26試合に出場、2019年には23試合、そして2020年には32試合に出場し1得点を記録。
年々プレーの幅を広げ、着実に実績を積み重ねていきました。
当初は主に守備的な役割を担っていましたが、次第に攻撃面でも存在感を発揮するようになり、ゴールという形での貢献も増えていきます。
この3年間で日本代表にも選出され、Jリーグ屈指のボランチとして認められるまでに成長。
その実力は海外クラブからも注目を集めるようになりました。
ポルトガルでの経歴
ポルトガルでのキャリアは、2021年1月にCDサンタ・クララへ移籍したことから始まりました。
Jリーグでの実績を積んだ守田英正にとって、ヨーロッパでのプレーは新たな挑戦となりました。
CDサンタ・クララでは、加入直後からチームの主力として活躍し、その献身的なプレースタイルと高い技術力はポルトガルリーグでも高く評価されました。
2020-21シーズンにはリーグ戦20試合に出場し、2得点を記録。
翌2021-22シーズンにはさらに重要な役割を担い、リーグ戦28試合に出場して1得点を挙げました。
安定したパフォーマンスはポルトガル国内でも高く評価され、注目を集める存在となりました。
CDサンタ・クララでの活躍が評価され、2022年7月、ポルトガルの名門クラブであるスポルティングCPへの移籍が決定。
スポルティングCPでは開幕戦からスタメンに名を連ね、チームにとって欠かせない選手となりました。
また、UEFAチャンピオンズリーグにも出場し、世界最高峰の舞台でプレーする貴重な経験を積みました。
2022-23シーズンにはリーグ戦29試合に出場し、6得点を記録。
チームは4位でシーズンを終えたものの、守田英正の活躍は際立っていました。
2023-24シーズンにおいても、スポルティングCPの中心選手としてその地位を確立し、献身的なプレーと高い技術力でチームメイトやサポーターから高い評価を受けています。
守田英正のポルトガルでのキャリアは、彼の実力が世界レベルであることを証明するものとなりました。
日本代表での経歴
守田英正は、大学時代からその実力を高く評価されていました。
2017年にはユニバーシアード日本代表に選出され、同年の全日本大学選抜にも名を連ねました。
大学生ながらも高い実力を示し、注目を集める存在となりました。
2018年9月11日、コスタリカ戦で日本代表デビューを果たします。
これは彼が23歳の時のことで、川崎フロンターレでの活躍が評価されての抜擢でした。
その後も順調に代表での地位を確立し、2022年にはカタールで開催されたFIFAワールドカップの日本代表メンバーに選ばれています。
さらに、2024年1月に開催されたAFCアジアカップ2023では、日本代表の一員として選出され、背番号5を背負い中盤の要として期待されました。
今後も日本代表の中心選手として、さらなる活躍が期待されています。
守田英正の年俸は?
年俸は、プロキャリアを通じて着実に上昇してきました。
2018年に川崎フロンターレでプロデビューを果たした際の年俸は460万円でしたが、翌2019年には1500万円、2020年には2000万円へと増加しました。
2021年1月にポルトガルのCDサンタ・クララへ移籍した際の年俸は約1640万円で、これは2シーズン続きました。
週給に換算すると約32万円でした。
大きな転機となったのは、2022年夏のスポルティングCPへの移籍です。
ここで年俸は一気に約1億5800万円にまで跳ね上がり、この金額は2024-2025シーズンまで継続しています。
プロデビューからわずか6年で年俸が約30倍に増加し、急成長と評価の高さを物語っています。
今後のさらなる活躍次第では、さらなる増額も期待されます。
※金額は推定です。
守田英正の家族は?
家族は父親、母親、兄、姉、そして本人の5人家族です。
父親と母親はテニスをしており、守田英正のスポーツの才能は両親から受け継がれたと考えられます。
5歳年上の兄・守田和正さんもサッカーをしており、その影響で守田英正もサッカーを始めました。
姉もテニス経験があり、守田家はスポーツに親しんだ家庭環境でした。
このような環境の中で育ったことが、守田英正のサッカー選手としての成功に大きく貢献したと考えられます。
家族の支えがあったからこそ、海外でのプレーにも果敢に挑戦できたのでしょう。
守田英正は結婚している?彼女は?
守田英正は既に結婚しており、2020年1月1日にモデルの藤阪れいなさんと入籍しました。
藤阪さんは1996年生まれで、守田英正とほぼ同年代のモデルとして活躍していました。
二人の結婚式は大阪の「THE GARDEN ORIENTAL OSAKA」で行われ、地元大阪での挙式は守田英正の家族や故郷への想いを感じさせます。
藤阪さんは守田英正のサッカー人生を支える重要な存在であり、ポルトガル移籍の際も同行し、海外での生活を共にしています。
SNSでは時折二人の仲睦まじい様子が見られ、ファンからも祝福の声が多く寄せられています。
また、現在のところ第一子となる長女の誕生が公表されています。
家庭生活とサッカー選手としての活動を両立しながら、今後もさらなる活躍が期待されます。
まとめ
ここまで守田英正の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
海外移籍も果たし、サッカー日本代表にも召集されています。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、 守田英正の活躍に注目していきましょう!