オナイウ阿道のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は?

オナイウ阿道のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は? サッカー

オナイウ阿道は、J1リーグの浦和レッズに所属し、フォワードとして活躍するプロサッカー選手です。

また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。

出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族結婚・彼女はどうなのでしょうか?

この記事ではオナイウ阿道のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。

 

オナイウ阿道とはどんな選手なのか?

プロフィール

オナイウ阿道(おないうあど)は1995年11月8日生まれ、埼玉県児玉郡神川町出身のプロサッカー選手です。

現在はJ1リーグの浦和レッズに所属し、背番号は45番をつけています。

身長180cm、体重75kg、利き足は右足、愛称は「アド」です。

恵まれた体格とパワー、そして滞空時間の長いヘディングを武器に、前線でボールを収めて味方を活かしながら、ペナルティーエリア内では一瞬の動き出しとワンタッチシュートで得点を奪うことができます。

ポジションと特徴

ポジションフォワードで、主にセンターフォワードとしてプレーしますが、セカンドストライカーや右サイドのアタッカーとしても起用できる万能型のストライカーです。

特徴としてまず挙げられるのが高さとパワーです。

180cmの体格を活かした空中戦の強さと、相手ディフェンダーを背負ってボールを収めるポストプレーは、日本人フォワードの中でも屈指と言われています。

また、ゴール前での決定力も大きな武器です。

狭いエリアでも冷静にコースを突くワンタッチシュートで、少ないチャンスを確実に得点へ結びつけます。

さらに、スピードと運動量も兼ね備えており、裏への抜け出しや前線からの守備でもチームに貢献します。

 

オナイウ阿道の出身地は?

オナイウ阿道の出身地は?

出身地は埼玉県神川町

出身地は、埼玉県児玉郡神川町です。

神川町は埼玉県の北西部に位置し、群馬県藤岡市や本庄市、上里町、秩父市、皆野町と隣接する人口約1万3千人の町です。

町の名前は群馬県との境を流れる神流川(かんながわ)に由来し、下久保ダムによってできた神流湖や、城峯山を望む自然豊かな田園地帯が広がっています。

なかでも有名なのが「金鑚神社(かなさなじんじゃ)」です。

日本武尊による創建と伝えられる古社で、本殿を設けず背後の御室ヶ嶽を神体山として祀る珍しい形式をとり、境内の多宝塔は国の重要文化財に指定されています。

また、秋から冬と春に二度咲く「冬桜」で知られる城峯公園、青と白の縞模様が美しい三波石が連なる国の名勝・天然記念物「三波石峡」、国の特別天然記念物「御嶽の鏡岩」など、見どころが数多く点在します。

特産物としては「梨」が有名で、収穫期になると国道254号沿いに直売所がずらりと並び、季節の風物詩になっています。

ほかにも、温室で育てられるバナナや、秋に町全域を彩るコスモスなど、農と自然の恵みが豊かな土地です。

有名人としては、横浜の生糸貿易で財を成し三溪園の礎を築いた明治期の実業家・政治家である原善三郎、柔道家の岡泉淳、そしてオナイウ阿道の実弟でプロサッカー選手のオナイウ情滋などがいます。

このように、神川町は歴史ある神社と豊かな自然、そして梨をはじめとする農産物に恵まれた、のどかで魅力あふれる町です。

小学校、中学校、高校、大学は?

小学校は、神川町立青柳小学校に通いました。

この頃から地元のクラブチームでサッカーを始め、少しずつ頭角を現していきました。

中学校神川町立神川中学校に進学し、この時期も地域のクラブチームでプレーを続けながら力を伸ばしました。

高校は埼玉県深谷市の正智深谷高等学校へ進学。

同校のサッカー部で全国大会を経験し、注目される存在になりました。

大学へは進学せず、高校卒業と同時にプロの道へ進みました。

 

オナイウ阿道の経歴は?

クラブ 出場 得点
2014-2016 ジェフユナイテッド千葉 62 10
2017-2019 浦和レッズ 1 0
2018 レノファ山口FC 42 22
2019 大分トリニータ 31 10
2020-2021 横浜F・マリノス 44 16
2021-2023 トゥールーズFC 72 12
2023-2025 AJオセール 65 19
2025-2026 1.FCマクデブルク 4 0
2026- 浦和レッズ

プロ入り前の経歴

幼少期は埼玉県神川町でボールを追いかけ、小学生時代は地元の神川パルフェでサッカーの基礎を身につけました。

神川中学校へ進むとFCコルージャに所属し、この頃から体格とスピードを兼ね備えたフォワードとして目立つ存在になります。

高校は埼玉県深谷市の正智深谷高等学校へ進学し、サッカー部でプレー。

3年時にはインターハイでベスト4に進出し、準々決勝で2得点2アシストを記録して大会優秀選手にも選ばれました。

学業も優秀で、スポーツクラスで上位の成績を保ち続けたことでも知られています。

しかし当時は特別に高い評価を受けた選手ではなく、大学へは進まず、2014年にJ2のジェフユナイテッド千葉へ加入してプロのキャリアをスタートさせました。

Jリーグでの経歴

2014年、J2リーグのジェフユナイテッド千葉でプロとしてのキャリアをスタートさせました。

在籍した3年間でリーグ戦62試合に出場して10得点を記録し、2014年から2015年にはJリーグ・アンダー22選抜としてもプレーしました。

2017年には浦和レッズへ移籍しますが、前線の選手層が厚く、リーグ戦の出場は1試合にとどまりました。

チームはこの年のAFCチャンピオンズリーグを制しましたが、オナイウ阿道自身は出場もメンバー入りもなく、のちの加入会見で「見ているだけだった」と当時を振り返っています。

2018年レノファ山口FCへ期限付き移籍すると一気に才能が開花し、リーグ戦42試合で22得点という圧巻の成績を残しました。

開幕から得点を量産して2月・3月のJ2月間MVPを受賞し、J2得点ランキングでも2位に入っています。

2019年には大分トリニータへ期限付き移籍し、初挑戦のJ1でも31試合で10得点と二桁得点をマーク。

片野坂知宏監督のもとで前線の起点として躍動し、この年に初めて日本代表に名前が挙がるようになりました。

2020年には横浜F・マリノスへ完全移籍し、2020年から2021年にかけてリーグ戦44試合で16得点を記録します。

2021年5月にはJ1初のハットトリックも達成し、日本を代表するストライカーの一人としての地位を固めました。

その後は約9年ぶりとなる2026年2月に浦和レッズへ復帰し、背番号45を背負って古巣で再びプレーしています。

フランスでの経歴

2021年7月、横浜F・マリノスからフランス2部(リーグ・ドゥ)のトゥールーズFCへ完全移籍し、初めての海外挑戦となりました。

加入初年度からチームの主力として起用され、リーグ戦38試合で10得点を挙げ、2021-22シーズンのリーグ・ドゥ優勝と1部(リーグ・アン)昇格に大きく貢献します。

昇格後の2022-23シーズンもリーグ・アンの舞台で戦い、チームはクープ・ドゥ・フランスを制覇しました。

トゥールーズでは在籍期間を通じてリーグ戦通算72試合で12得点を積み上げました。

2023年8月には、同じくフランスのAJオセールへ3年契約で完全移籍し、背番号は45を選びました。

同年11月にはフランスでの初ハットトリックを達成し、2023-24シーズンにはオセールのリーグ・ドゥ優勝と1部昇格に貢献します。

オセールでもリーグ戦通算65試合で19得点を記録し、2度の昇格を経験したフランスでの4年間で確かな実績を残しました。

ドイツでの経歴

2025年9月1日、オセールからドイツ2部(ブンデスリーガ2部)の1.FCマクデブルクへ移籍し、キャリアで初めてドイツのリーグに挑みました。

しかし新天地では監督の構想に十分に入り込むことができず、出場機会は限られ、リーグ戦は4試合の出場にとどまりました

シーズン途中には去就が取り沙汰されるようになり、最終的に2026年2月、Jリーグの浦和レッズへ完全移籍する形でドイツを離れることになりました。

ドイツでの挑戦は短い期間で終わりましたが、5か国目のリーグを経験したことは選手として貴重な財産となっています。

日本代表での経歴

2014年U-19日本代表に選出され、AFC U-19選手権に出場して3試合を戦いました。

オナイウ阿道はこの頃から世代別代表で国際経験を積み始め、フォワードとして着実にステップアップしていきました。

2016年にはU-23日本代表の一員としてAFC U-23選手権(開催国カタール)に出場し、チームは優勝を果たしました。

この年はU-23代表として国際親善試合やトゥーロン国際大会にも出場し、リオデジャネイロオリンピックではバックアップメンバーに登録されました。

A代表には2019年に初めて招集され、2021年6月11日のセルビア戦に途中出場でA代表デビューを果たしました。

続く6月15日のキルギス戦(2022年カタール・ワールドカップアジア2次予選)では初先発を勝ち取ると、1試合で3得点のハットトリックを達成し、日本は5-1で快勝します。

デビューからわずか2試合目でハットトリックを記録したことで、その名は一気に全国へと広まりました。

同年10月にはワールドカップ最終予選のサウジアラビア戦にも出場し、A代表通算3試合で3得点という成績を残しています。

海外移籍後は代表から距離が空いていますが、2026年のJリーグ復帰によって、再び日本代表復帰への期待が高まっています。

 

オナイウ阿道の年俸は?

オナイウ阿道の年俸は?

年俸は、プロ入りした2014年のジェフユナイテッド千葉時代には推定で約480万円と、J2の若手選手として標準的な水準でした。

2017年に浦和レッズへ移籍すると約1,000万円に上がり、2018年のレノファ山口FCへの期限付き移籍中もほぼ同じ水準が維持されました。

2019年の大分トリニータ時代は約800万円と一時的に下がりましたが、J1で二桁得点を挙げた実績が評価され、2020年に横浜F・マリノスへ完全移籍すると約1,500万円に増額されます。

さらに2021年には約2,000万円まで上昇しました。

2021年7月にフランスのトゥールーズFCへ移籍したことで年俸は一気に跳ね上がり、1億円を超える水準に到達します。

2023年に加入したAJオセール時代には約1億3,000万円とされ、ヨーロッパでプレーする日本人選手の年俸ランキングでも上位に名を連ねました。

2025年に移籍した1.FCマクデブルクでもおおむね同じ水準を維持し、2026年に浦和レッズへ復帰した際にはJリーグでも屈指の高年俸で迎えられたと報じられています。

このように、オナイウ阿道の年俸は遅咲きながらも着実に上がり続けており、国内外での評価の高さがうかがえます。

※金額は推定です。

 

オナイウ阿道の家族は?

オナイウ阿道の家族は?

家族構成は、父・母・本人・弟の4人家族です。

父親がナイジェリア出身、母親が日本人という家庭に生まれ、埼玉県神川町ののどかな環境で育ちました。

兄弟そろって恵まれた身体能力を受け継ぎ、地元のクラブで少年時代からサッカーに打ち込んできました。

父親はナイジェリア出身で、職業などの詳細は公表されていませんが、二人の息子にアスリートとしての土台を与えた存在だと考えられます。

母親についても多くは語られていませんが、幼い頃から兄弟の成長を温かく見守り、サッカーに打ち込む二人を支え続けてきました。

のオナイウ情滋さんは5歳年下で、2000年11月11日生まれのプロサッカー選手です。

兄と同じ神川パルフェ、正智深谷高校を経て新潟医療福祉大学へ進学し、北信越大学リーグで歴代最多となる22アシストを記録しました。

2023年にベガルタ仙台でプロ入りし、2025年8月には横浜F・マリノスへ完全移籍しています。

兄弟そろって横浜F・マリノスに関わる経歴を持ち、互いに刺激し合いながらプロの世界で戦っています。

家族の支えが、オナイウ阿道の遅咲きのキャリアを力強く後押ししてきたことは間違いありません。

 

オナイウ阿道は結婚している?彼女は?

オナイウ阿道は結婚している?彼女は?

オナイウ阿道は、結婚しており、2018年11月30日に一般女性との結婚を発表しています。

お相手の女性については、氏名や職業などの詳細は公表されておらず、一般の方とされています。

プライベートに関しては慎重な姿勢を貫いており、公の場で家庭のことを詳しく語る機会は多くありません。

夫婦の間には2019年7月10日に長女、2020年9月26日に次女が誕生し、現在は二児の父親です。

フランスやドイツでの生活も家族とともに過ごし、慣れない土地での挑戦を家族で乗り越えてきました。

多忙な海外生活の中でも家庭を大切にする姿勢が知られており、子どもたちの存在が日々のプレーの原動力になっていると語っています。

彼女や結婚をめぐる派手な報道はほとんどなく、家庭を静かに守りながらサッカーに集中してきたことがうかがえます。

2026年にJリーグへ復帰したことで、家族にとっても生活の拠点が日本へと戻ることになりました。

今後は日本を舞台に、選手としてだけでなく家庭人としても充実した時間を過ごしていくものと思われます。

 

まとめ

ここまでオナイウ阿道の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。

Jリーグで活躍し、サッカー日本代表にも召集されています。

今後の活躍がますます期待されます。

これからも、 オナイウ阿道の活躍に注目していきましょう!

 

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