中島翔哉は、ポルトガル2部リーグのポルティモネンセSCに所属し、ミッドフィールダーとして活躍するプロサッカー選手です。
また、かつてはサッカー日本代表としても活躍しました。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事では中島翔哉のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。
中島翔哉とはどんな選手なのか?
翔哉くんポルティモネンセ加入正式お披露目
#中島翔哉— ぷちこ(Petit) (@Little23_Coo) Aug 20, 2026
プロフィール
中島翔哉(なかじましょうや)は1994年8月23日生まれ、東京都八王子市出身のプロサッカー選手です。
現在はポルトガル2部リーグ所属のポルティモネンセSCに所属し、背番号は10番をつけています。
身長164cm、体重64kg、利き足は右足、愛称は「ショウヤ」です。
小柄な体格を生かした鋭いターンと緩急のあるドリブルで相手を置き去りにし、一瞬のスキを突いてゴールやチャンスを演出することができます。
ポジションと特徴
まさにファンタジスタ
独特のボールタッチで観客を魅了!
浦和レッズ 中島翔哉のプレー集
#Jリーグ— Jリーグ(日本プロサッカーリーグ) (@J_League) Aug 23, 2024
ポジションはミッドフィールダーで、主に攻撃的MFや左右のサイドハーフとしてプレーしますが、セカンドストライカーとしてもプレー可能なテクニシャンです。
特徴としてまず挙げられるのが卓越したドリブル突破力です。
小柄な体格ながら低い重心を生かした鋭い切り返しとスピードの緩急で、相手ディフェンダーを次々と置き去りにします。
また、左右どちらの足でも繰り出せる正確なキックも彼の大きな強みです。
利き足の右足はもちろん、逆足の左足でもクロスやシュートを高い精度で蹴ることができ、攻撃の幅を広げています。
さらに、相手を引きつける駆け引きの巧みさも見逃せません。
ボールを持った際の緩急やフェイントで相手の重心を崩し、味方が生きるスペースを作り出すプレーにも長けています。
中島翔哉の出身地は?

出身地は東京都八王子市
出身地は、東京都八王子市です。
都心から西へ約40kmに位置し、高尾山をはじめとする丘陵地帯の豊かな自然に恵まれながら、市内に多くの大学が集まる学園都市としても知られる人口約57万人の街です。
都心へのアクセスも良く、住宅地としても発展しているベッドタウンです。
なかでも有名なのが「高尾山」です。
ミシュランの観光ガイドにも掲載されたことで知られ、都心から電車で気軽にアクセスできる名山として、年間を通じて多くの登山客や観光客で賑わっています。
山中には薬王院をはじめとする歴史ある寺社も点在し、自然と歴史の両方を楽しめるスポットとして親しまれています。
また、八王子市は古くから織物の産地としても知られ、「桑都(そうと)」の異名を持つほど養蚕・絹織物業で栄えた歴史があります。
名物としては、濃いスープと太いストレート麺が特徴の「八王子ラーメン」が全国的にも有名です。
有名人としては、シンガーソングライターの松任谷由実さん、将棋棋士の羽生善治さん、女優の工藤夕貴さんなど、多彩な分野で活躍する人材を輩出しています。
このように、八王子市は自然、歴史、産業、教育といった魅力がバランスよく融合した、住みやすく魅力あふれる街です。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は、八王子市立別所小学校に通いました。
この時期から地元のサッカークラブでボールを蹴り始め、その才能を育んでいきました。
中学校は八王子市立別所中学校に進学し、この頃はJリーグの下部組織に所属しながら技術を磨いていました。
高校は東京都の都立調布南高等学校へ進学しましたが、サッカーに専念する時間を確保するため、通信制の第一学院高等学校へ転校しました。
大学へは進学せず、高校卒業後はそのままプロの道へと進みました。
中島翔哉の経歴は?
| 年 | クラブ | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|
| 2012-2013 | 東京ヴェルディ | 29 | 6 |
| 2014 | カターレ富山(期限付き移籍) | 28 | 2 |
| 2014-2017 | FC東京 | 51 | 6 |
| 2017-2019 | ポルティモネンセSC | 42 | 15 |
| 2019 | アル・ドゥハイルSC | 7 | 1 |
| 2019-2021 | FCポルト | 20 | 0 |
| 2021 | アル・アインFC(期限付き移籍) | 2 | 0 |
| 2021-2022 | ポルティモネンセSC(期限付き移籍) | 22 | 1 |
| 2022-2023 | アンタルヤスポル | 15 | 0 |
| 2023-2026 | 浦和レッズ | 57 | 3 |
| 2026- | ポルティモネンセSC |
プロ入り前の経歴
小学1年生の時に自らの希望でサッカーを始め、母親に連れられて地元の松が谷FCでボールを蹴り始めました。
小学校高学年になると東京ヴェルディの下部組織である東京ヴェルディジュニアに加入し、その才能を開花させていきます。
中学校時代は東京ヴェルディジュニアユースに所属し、学業とサッカーを両立しながら技術を磨きました。
高校時代はサッカーに専念するため通信制高校へ転校し、東京ヴェルディユースでプレーを続けます。
早くから高い技術とドリブル突破力で頭角を現し、10代のうちからトップチームの練習に参加するようになりました。
その活躍が評価され、高校卒業を待たずに2012年、東京ヴェルディのトップチームへ昇格を果たしました。
Jリーグでの経歴 1
このたびFC東京の中島翔哉選手が、U-23日本代表ポルトガル遠征(3/21〜30)メンバーに選出されましたのでお知らせいたします。本人コメント等詳細はこちら
#fctokyo— FC東京【公式】 #東京が熱狂 (@fctokyoofficial) Mar 14, 2016
2012年、J2リーグの東京ヴェルディでプロとしてのキャリアをスタートさせました。
高卒ルーキーながらいきなりチームの主力として起用され、8試合に出場し4得点を記録します。
続く2013年シーズンも21試合に出場し2得点を挙げ、2年間でチーム通算29試合6得点という成績を残しました。
2014年1月、FC東京へ完全移籍。加入と同時に、出場機会を求めてカターレ富山へ期限付き移籍し、J2の舞台で28試合に出場し2得点を挙げる活躍を見せました。
同年8月にFC東京へ復帰すると、以降は攻撃の中心選手として成長を続けます。
2015年から2017年にかけては通算46試合に出場し6得点を記録し、鋭いドリブルと展開力でJリーグを代表する若手アタッカーの一人へと成長しました。
この間、2016年にはリオデジャネイロオリンピックのU-23日本代表にも選出されるなど、国内外から高い評価を受けるようになります。
そして2017年夏、その実力が評価され、ポルトガル・プリメイラリーガのポルティモネンセSCへの移籍が決定しました。
ポルトガルでの経歴 1
「ポルトが獲得に乗り出す!」中島翔哉の移籍先候補に国内の名門クラブが再浮上?現地紙が報じる
#中島翔哉 #Porto #ポルトガルリーグ #ポルティモネンセ #移籍 #日本代表 #サムライブルー #アジアカップ— サッカーダイジェスト (@weeklysd) Dec 29, 2018
2017年8月、ポルトガル1部プリメイラリーガのポルティモネンセSCへ期限付き移籍を果たし、初めての海外挑戦に踏み出しました。
加入初年度からレギュラーの座をつかみ、2017-18シーズンは29試合に出場し10得点を記録する活躍を見せます。
2018年1月には完全移籍に切り替わり、ポルティモネンセの主力としての地位を確固たるものにしました。
2018-19シーズンも13試合に出場し5得点を挙げ、2シーズン通算では42試合15得点という成績を残しました。
ヨーロッパの舞台でも通用する技術とスピードを示し、その評価はヨーロッパ各国やアジアのクラブにも広がっていきました。
そして2019年2月、さらなる挑戦の場を求めてカタールへの移籍を決断します。
カタールでの経歴
中島翔哉の背番号は10に決定、契約は4年半!「カルチャーショックはないです」と笑顔で会見
#中島翔哉 #アル・ドゥハイル #AlDuhail #Qatar #Qatarstarleague #10番— サッカーダイジェスト (@weeklysd) Feb 5, 2019
2019年2月、カタール・スターズリーグのアル・ドゥハイルSCへ完全移籍しました。
中東の強豪クラブへの移籍は大きな話題となりましたが、シーズン途中の加入で出場機会は限られ、7試合に出場し1得点という成績にとどまりました。
短期間の在籍でしたが、異なるサッカー文化やスタイルを経験したことは、その後のキャリアにとって貴重な財産となりました。
そして同年7月、ポルトガルの名門FCポルトへの移籍が発表されます。
ポルトガルでの経歴 2
#中島翔哉
ポルト加入の中島翔哉が活躍を誓う「楽しんで、自分らしく100%の力でプレーしたい」
#FCポルト #日本代表— GOAL Japan (@GoalJP_Official) Jul 5, 2019
2019年7月、ポルトガル屈指の名門クラブFCポルトへ5年契約で完全移籍しました。
日本人選手として大きな注目を集めた移籍でしたが、層の厚いチーム事情もあり出場機会は限定的でした。
2019-20シーズンは16試合に出場し無得点、続く2020-21シーズンも4試合の出場にとどまり無得点と、なかなか結果を残せない苦しいシーズンが続きます。
出場機会を求め、2021年1月にはアラブ首長国連邦のクラブへ期限付き移籍することとなりました。
UAEでの経歴
OFFICIAL: Shoya Nakajima has completed his move from FC Porto to Al Ain on an initial loan until the end of the season.
— Alex Gonçalves (@Aljeeves) Jan 16, 2021
2021年1月、出場機会を求めてアラブ首長国連邦プロリーグのアル・アインFCへ期限付き移籍しました。
新天地での再起を期しましたが、出場は2試合にとどまりました。
さらに同年2月、練習中に脛骨骨折および靭帯損傷という大怪我を負い、長期離脱を余儀なくされます。
このケガによりシーズンでの復帰は絶望的となり、UAEでの挑戦は苦しい形で幕を閉じることになりました。
ポルトガルでの経歴 3
今夏にポルトからポルティモネンセへ期限付き移籍のMF中島翔哉が、現地時間11月6日のポルトガルリーグ第11節のベレネンセス戦で今季初先発、移籍後の初ゴールを決めた
#ポルティモネンセ #ベレネンセス— Score808-Live (@Score808_live) Nov 7, 2021
2021年8月、大怪我からの再起を期して、かつて所属したポルティモネンセSCへ2度目となる期限付き移籍で復帰しました。
古巣での再出発となったこのシーズンは、徐々にコンディションを取り戻しながら22試合に出場し1得点を記録しました。
ケガのブランクを乗り越えて再びピッチに立ち続けたことは、その後のキャリアを継続するうえで大きな意味を持ちました。
シーズン終了後はFCポルトへ復帰しましたが、出場機会には恵まれず、新たな挑戦の場を探すこととなります。
トルコでの経歴
ブログ更新:トルコ・アンタルヤスポル退団のMF中島翔哉に浦和と神戸が獲得の動き
資金力とCWC出場で浦和有利か
#urawareds #vissel— ドメサカブログ (@domesoccer) Jul 10, 2023
2022年9月、FCポルトから移籍金なしでトルコ1部スュペル・リグのアンタルヤスポルへ2年契約で完全移籍しました。
加入からわずか4日でトルコデビューを果たすなど、新天地での活躍が期待されました。
しかし出場機会は限られ、2022-23シーズンは15試合の出場で無得点に終わりました。
クラブの財政問題もあり、2023年7月には未払いとなっていた年俸などの受け取りを放棄する形で双方合意のうえ契約を解除し、トルコでの1年間に幕を下ろしました。
Jリーグでの経歴 2
【浦和 1-1 川崎】中島翔哉が先制ゴールも…90+5分、伊藤達哉に同点弾。レッズの「10番」、トップスピードから完璧コントロールショット
#浦和レッズ #川崎フロンターレ #urawareds #frontale #ルヴァンカップ— SAKANOWA / サカノワ (@sakanowa_jp) Sep 3, 2025
2023年7月、浦和レッズへ完全移籍加入し、FC東京を離れて以来6年ぶりとなるJリーグ復帰を果たしました。背番号は「10」を託されました。
加入初年度の2023年は6試合に出場し1得点と出場機会を探りながらのシーズンとなりました。
2024年は22試合に出場し1得点、2025年も17試合に出場し1得点を記録し、チームの一員として存在感を発揮しました。
2026年シーズンも12試合に出場しましたが、浦和での在籍4シーズンを通算すると57試合3得点という成績となりました。
そして2026年6月、契約満了に伴い浦和レッズを退団することとなりました。
ポルトガルでの経歴 4
26-27 リーガポルトガル2 第6節 vsトンデラ
翔哉くんがホームスタジアムに到着
#中島翔哉— ぷちこ(Petit) (@Little23_Coo) Sep 12, 2026
2026年8月、浦和レッズ退団後の新天地として、過去2度在籍した古巣ポルティモネンセSCへの3度目の加入が発表されました。背番号は思い入れのある「10」を託されています。
加入にあたっては「このオファーをとても嬉しく思っています。僕と家族はここで素晴らしい時間を過ごしました」と古巣への強い愛着を語りました。
「このクラブはトップリーグに相応しく、2部リーグに甘んじてはなりません。昇格に貢献したい」と、チームの1部昇格に向けて意欲を示しています。
3度目となる古巣でのプレーで、これまでの経験を生かした活躍が期待されています。
日本代表での経歴
【GOAL!】
#中島翔哉(後半28分)
キリンチャレンジカップ2018
SAMURAI BLUE 4-0 キルギス
TBS系列で全国生中継!
#jfa #daihyo #SAMURAIBLUE— サッカー日本代表 (@jfa_samuraiblue) Nov 20, 2018
年代別代表ではU-17日本代表で2試合に出場し1得点、U-20日本代表で4試合に出場し3得点を記録しました。
U-23日本代表としては2014年から2016年にかけて30試合に出場し19得点という際立った成績を残しています。
2016年のAFC U-23選手権では決勝で決勝点のアシストを記録してチームの優勝に貢献し、自身も大会MVPに選出されました。
その勢いのまま、同年のリオデジャネイロオリンピック本大会にも出場を果たしています。
2018年3月23日、マリ代表との親善試合でA代表デビューを果たしました。
後半途中から出場すると、試合終了間際に同点ゴールを決め、鮮烈なデビューを飾りました。
以降は森保一監督のもとで背番号10を託されるなど代表の中心選手として定着し、2019年のコパ・アメリカにも日本代表メンバーとして選出されました。
一方で、2019年に開催されたAFCアジアカップの直前には負傷離脱を余儀なくされ、大会には出場できませんでした。
2019年11月を最後に代表からは遠ざかっており、国際Aマッチ通算19試合に出場し5得点を記録しています。
中島翔哉の年俸は?

年俸は、プロキャリアをスタートさせた2012年の東京ヴェルディ時代には380万円とされ、翌2013年には800万円に上昇しました。
2014年にFC東京へ完全移籍すると年俸は1,000万円となり、2015年には1,800万円、2016年には2,000万円へと着実にステップアップしていきました。
2017年にポルトガルのポルティモネンセSCへ移籍すると年俸は3,500万円に上昇し、翌2018年には5,000万円まで増額されました。
そして2019年、名門FCポルトへ移籍したことで年俸は一気に跳ね上がり、初年度は1億8,000万円、2020年には3億5,000万円に達したと報じられており、この頃が中島翔哉の年俸のピークとなりました。
その後、アル・アインへの期限付き移籍やポルティモネンセへの復帰などを経て、2022年にトルコのアンタルヤスポルへ移籍した際の年俸は63万ユーロ、日本円にして9,450万円ほどとされています。
2023年に浦和レッズへ加入して以降は国内水準の年俸となり、2026年時点では4,200万円と報じられています。
2026年に3度目の加入となったポルティモネンセSCでの年俸は明らかになっていません。
※金額は推定です。
中島翔哉の家族は?

家族構成は、母・本人の2人家族です。
東京都八王子市で生まれた中島翔哉は、6歳の時に両親が離婚し、以降は母親のもとで育ちました。
一人っ子として、母親と二人三脚でサッカーに打ち込む日々を過ごしてきました。
母親は、女手ひとつで家計を支えながら、サッカーに打ち込む中島翔哉をクラブ活動の送り迎えなどで献身的に支え続けてきました。
プロ入り後、ポルトガルやカタール、トルコなど各国を渡り歩くキャリアの中でも、母親は常に温かく見守り続けてきた存在だといいます。
また、プロサッカー選手で鹿島アントラーズに所属する小池龍太は、中島翔哉の母方の従弟にあたります。
親戚同士にプロサッカー選手がいることも、彼のサッカー人生に少なからず影響を与えてきたと考えられます。
中島翔哉は結婚している?彼女は?

中島翔哉は2017年8月6日に、以前から交際していた一般女性と結婚しました。
結婚の事実は同月23日、ポルティモネンセSCへの移籍発表と同時に公表され、大きな話題となりました。
2019年9月1日には第1子となる長女の誕生を自身のSNSで報告しています。
ポルトガルやカタール、UAE、トルコと各国を転々とするキャリアの中でも、家族は常に大きな支えとなってきました。
プライベートについて多くを語ることは少ないものの、家族を大切にする姿勢は各所のコメントからもうかがえます。
3度目のポルティモネンセでの挑戦も、家族とともに新たな一歩を踏み出すことになりそうです。
まとめ
ここまで中島翔哉の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
海外で活躍し、サッカー日本代表にも選出されました。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、 中島翔哉の活躍に注目していきましょう!

