伊藤敦樹のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は?

伊藤敦樹のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は? サッカー

伊藤敦樹は、イングランド2部のボルトン・ワンダラーズFCに所属し、ミッドフィルダーとして活躍するプロサッカー選手です。

また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。

出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?

この記事では伊藤敦樹のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。

 

伊藤敦樹とはどんな選手なのか?

プロフィール

伊藤敦樹(いとうあつき)は1998年8月11日生まれ、埼玉県さいたま市緑区出身のプロサッカー選手です。

現在はイングランド2部のボルトン・ワンダラーズFCに所属し、背番号は17番をつけています。

身長185cm、体重78kg、利き足は右足、愛称は「アツキ」です。

ゲームメイクを持ち味とするボランチで、サイドバックやセンターバックもこなせる守備力を備えた万能型のミッドフィルダーです。

ポジションと特徴

ポジションはミッドフィルダーで、主にボランチとしてプレーしますが、サイドバックやセンターバックとしても起用されてきたマルチな選手です。

特徴としてまず挙げられるのがゲームメイク能力です。

中盤の底から的確にパスをさばき、チームの攻撃のリズムをつくることができます。

また、複数ポジションをこなす守備力も彼の大きな強みです。

大学時代にサイドバックやセンターバックを経験したことで、守備面での対応力にも磨きがかかりました。

さらに、185cmの体格を生かした力強さも見逃せません。

攻撃参加から得点を奪う場面もあり、浦和レッズ時代の2024年にはJ1リーグで5得点を記録しています。

 

伊藤敦樹の出身地は?

伊藤敦樹の出身地は?

出身地は埼玉県さいたま市緑区

出身地は、埼玉県さいたま市緑区です。

この区はさいたま市の南東部に位置し、見沼田んぼを中心に緑地が広がる、人口約13万人の旧浦和市東部のまちです。

2003年にさいたま市が政令指定都市に移行した際に誕生した区で、国内最大のサッカー専用スタジアムである埼玉スタジアム2002があることでも知られています。

なかでも象徴的なのが「見沼田んぼ」です。

江戸時代に新田開発と水害対策を目的として見沼溜井を干拓して生まれた土地で、現在も区の中央部に豊かな緑と田園風景が広がっています。

また、徳川吉宗の時代につくられた「見沼通船堀」は日本最古の閘門式運河とされ、国の指定遺跡になっています。

歴史ある寺社も多く、武蔵国の一宮とされる「氷川女體神社」は、崇神天皇の時代に建てられたと伝わる由緒ある神社です。

近年はみそのウイングシティの開発が進み、「イオンモール浦和美園」などの商業施設も整い、暮らしやすい街として発展を続けています。

有名人としては、女優でタレントの菊川怜さん、陸上競技選手の藤光謙司さん、元プロサッカー選手の坂本將貴さんなど、多彩な分野で活躍する人材を輩出しています。

このように、緑区は自然、歴史、サッカー文化といった魅力がバランスよく融合した、住みやすく魅力あふれる区です。

小学校、中学校、高校、大学は?

小学校は、さいたま市立道祖土小学校に通いました。

この時期から地元のサッカークラブでボールを蹴り、その才能を育んでいきました。

中学校はさいたま市立木崎中学校に進学し、この頃はJリーグの下部組織でプレーしながら技術を磨いていました。

高校は埼玉県立大宮南高等学校へ進学しました。

高校時代もJリーグの下部組織に所属し、サッカーに打ち込んでいました。

大学は流通経済大学へ進学しました。

 

伊藤敦樹の経歴は?

年 クラブ 出場 得点
2021-2024 浦和レッズ 121 12
2024-2026 KAAヘント 65 6
2026- ボルトン・ワンダラーズFC

プロ入り前の経歴

幼少期からサッカーに親しみ、幼稚園時代はあかつき幼稚園サッカークラブでボールを蹴り始めました。

小学校時代は道祖土サッカー少年団に所属し、地元の仲間たちと汗を流しました。

浦和レッズの大ファンだった少年は、小学6年生のときにレッズの練習会に招かれ、ジュニアユースへの入団を決めます。

中学校時代は浦和レッズジュニアユースに所属し、チームは高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会を制しました。

高校時代は浦和レッズユースでプレーし、Jユースカップやプリンスリーグ関東などのタイトルを経験しています。

しかし、トップチームへの昇格はかなわず、ユース時代の恩師である大槻毅監督の紹介で大学へ進むことになりました。

大学時代は大学のサッカー部に所属し、ゲームメイクを持ち味としたボランチとして1年目から頭角を現します。

大学1年のときには全日本大学サッカー選手権大会での優勝も経験し、U-19全日本大学選抜に選ばれてアジア大学サッカートーナメントではMVPを受賞しました。

チーム事情もあって2年生の夏からはサイドバック、3年生の後期からはセンターバックにも挑戦し、守備力に磨きをかけます。

大学4年時にはチームの主将を務め、エースナンバーの背番号10を背負ってチームを引っ張りました。

Jリーグでの経歴

2021年、念願だった地元クラブの浦和レッズへ正式に加入しました。

2月27日のJ1リーグ開幕戦、FC東京戦でいきなりスタメンに抜擢されると、フル出場でプロデビューを飾ります。

5月5日のルヴァンカップ・グループステージの柏レイソル戦でプロ初ゴールを決め、11月20日のJ1第36節、横浜F・マリノス戦ではJ1初ゴールも記録しました。

プロ1年目からボランチのレギュラーに定着し、公式戦53試合に出場し3得点という成績を残しています。

この年は天皇杯の優勝にも貢献しました。

2022年からは、同じ経路をたどった宇賀神友弥の移籍に伴い、背番号を3に変更します。

この年はJ1リーグで28試合に出場し4得点を挙げ、FUJIFILM SUPER CUPの優勝にも貢献しました。

2023年にはAFCチャンピオンズリーグ2022でもチームの優勝に貢献し、アジア王者に輝きました。

2023年5月31日のJ1第11節、サンフレッチェ広島戦では、後半アディショナルタイムに逆転の決勝ゴールを決めてチームを勝利に導きます。

この年はJ1リーグで33試合に出場し2得点を記録し、シーズンを通した活躍が評価されて自身初のJ1リーグベストイレブンとJ1リーグ優秀選手賞を受賞しました。

2024年には、キャプテンの酒井宏樹と副キャプテンのアレクサンダー・ショルツが海外移籍でチームを離れたことに伴い、新キャプテンに就任します。

アカデミー出身の選手がキャプテンを務めるのはクラブ史上初のことで、副キャプテンは西川周作が務めました。

この年はJ1リーグで24試合に出場し5得点をマークし、浦和でのJ1リーグ通算は121試合に出場し12得点となりました。

そして2024年8月、ベルギーのKAAヘントへの移籍が決まります。

ベルギーでの経歴

2024年8月、ベルギー1部ジュピラー・プロ・リーグのKAAヘントへ完全移籍で加入しました。

海外クラブへの挑戦は、これが初めてとなりました。

加入1年目の2024-25シーズンは、リーグ戦25試合に出場し2得点を記録します。

この間、UEFAカンファレンスリーグ2024-25ではプレーオフに1試合、本戦に6試合出場し、欧州の舞台も経験しました。

2年目の2025-26シーズンは、リーグ戦26試合に出場し4得点と、前のシーズンから得点数を伸ばしました。

ヘントでの2シーズンは、リーグ戦51試合に出場し6得点という成績で、シーズン終盤にはプレーオフにも出場しています。

一方で、2026年の夏には2026-27シーズンの構想からは外れたと現地で報じられ、UEFAの大会の登録メンバーからも外れて、新天地を探すことになりました。

イングランドでの経歴

2026年8月、イングランド2部のEFLチャンピオンシップに所属するボルトン・ワンダラーズFCへ完全移籍しました。

契約期間は3年で、イングランドのクラブでプレーするのはこれが初めてです。

背番号は17に決まり、9月12日の試合で後半途中から出場してボルトンでのデビューを果たしました。

続く9月20日のノリッジ・シティ戦でも途中出場すると、ボルトンでの初ゴールとなる決勝点を決め、7ゴールが飛び交う試合を4-3で制しました。

日本代表での経歴

2023年6月、キリンチャレンジカップ2023で体調不良のため離脱した川村拓夢の代替選手として追加招集され、初めてA代表に選出されました。

急きょ決まった追加招集だったため、練習に参加する時間もほとんどないまま、いわゆるぶっつけ本番でのデビューとなりました。

招集の翌日にあたる6月15日に豊田スタジアムで行われたエルサルバドル戦では、76分から途中出場してA代表デビューを果たします。

この試合は日本が6-0で勝利し、森保一監督のもとでの代表デビュー戦となりました。

そして9月12日、ベルギーのヘンクにあるセゲカ・アレーナで行われたトルコ戦ではスタメンに抜擢されます。

この試合で代表初ゴールを記録し、チームの4-2の勝利に貢献しました。

このゴールについて、ブラジルのメディアGloboは「刀のような一撃」と称賛しています。

続く10月13日には新潟のデンカビッグスワンスタジアムで行われたカナダ戦にも出場し、日本は4-1で勝利しました。

こうして国際Aマッチ通算3試合に出場し1得点を記録しています。

 

伊藤敦樹の年俸は?

伊藤敦樹の年俸は?

年俸は、プロ1年目の2021年の浦和レッズ時代には460万円と推定されています。

なお、大学在学中の2020年は特別指定選手として浦和に登録されていましたが、公式戦への出場はありませんでした。

ボランチのレギュラーに定着し、公式戦53試合に出場した活躍が評価され、2022年には800万円に上昇します。

そして、J1リーグベストイレブンに選ばれた2023年には、一気に3,000万円まで増額されています。

2024年にはキャプテンも務め、年俸は3,300万円となり、浦和での最終年を迎えました。

2024年8月に移籍したKAAヘントでの年俸は、公表されていません。

2026年に加入したボルトン・ワンダラーズFCでの年俸も、現時点では明らかになっていません。

このように、伊藤敦樹の年俸は浦和での活躍に比例して大幅に上昇しており、海外挑戦を重ねるなかで、今後さらなる増額も期待されます。

※金額は推定です。

 

伊藤敦樹の家族は?

伊藤敦樹の家族は?

家族構成は、父・母・本人の3人家族です。

父親は、母親とともに熱心な浦和レッズのサポーターで、幼少期の伊藤敦樹を連れてホーム・アウェー問わずスタジアムに足を運び、ゴール裏で応援していました。

2007年にレッズがAFCチャンピオンズリーグを初制覇した際にも、家族で決勝のスタンドに駆けつけています。

母親は、家族を支える献身的な存在であり、幼い頃から彼の成長を温かく見守ってきました。

兄弟については、公表されている情報は多くありませんが、一人っ子として両親の愛情を一身に受けて育ったとされています。

家族全員が伊藤敦樹の一番の理解者であり、温かい支えが彼の現在の成功に大きく貢献していることは間違いありません。

 

伊藤敦樹は結婚している?彼女は?

伊藤敦樹は結婚している?彼女は?

伊藤敦樹は、2023年12月31日に結婚したことを発表しています。

当時の年齢は25歳で、浦和レッズの公式サイトを通じて報告されました。

お相手は一般女性で、氏名や年齢などは公表されていません。

発表の際には「2人で支え合いながら、これまで以上の自覚と責任感を持って、男としてそして、サッカー選手としてさらに成長できるよう頑張っていきます」とコメントしています。

本人のInstagramでは、結婚指輪をはめた2人の手を重ねた写真も公開されました。

子どもについての情報は、現時点では発表されていません。

海外での生活や日本代表での活動など多忙な日々を送る中でも、家族の支えを力に変えて、ピッチで結果を残してくれるはずです。

 

まとめ

ここまで伊藤敦樹の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。

海外で活躍し、サッカー日本代表にも召集されています。

今後の活躍がますます期待されます。

これからも、 伊藤敦樹の活躍に注目していきましょう!

 

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