三竿健斗は、J1リーグの鹿島アントラーズに所属し、ボランチとして活躍するプロサッカー選手です。
また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事では三竿健斗のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。
三竿健斗とはどんな選手なのか?
「FREAKS」更新
「FREAKS INTERVIEW」に、#三竿健斗 選手のインタビューを掲載しました— 鹿島アントラーズ (@atlrs_official) Aug 19, 2025
プロフィール
三竿健斗(みさおけんと)は1996年4月16日生まれ、東京都武蔵野市出身のプロサッカー選手です。
現在はJ1リーグの鹿島アントラーズに所属し、背番号は6番をつけています。
身長181cm、体重73kg、利き足は右足、愛称は「ケント」です。
ボランチとセンターバックの両方をこなせる高い戦術眼と対人守備の強さを武器に、チームを支える攻守の要として信頼を集めています。
ポジションと特徴
\鬼プレスからのゴール/
独自カメラで、ボランチ三竿健斗の激しさ(鬼プレスの迫力)と冷静さ(コースを狙うシュート)をぜひご覧ください!
⚔FC町田ゼルビア #MATCHDAY エピソード7— 鹿島アントラーズ (@atlrs_official) Mar 19, 2026
ポジションはボランチで、必要に応じてセンターバックとしてもプレーできる万能型のプレーヤーです。
特徴としてまず挙げられるのが状況判断力の高さです。
相手の攻撃の芽を素早く察知し、的確なポジショニングでパスコースを消すなど、チーム全体の守備バランスを整える能力に長けています。
また、対人守備の強さも大きな武器です。
高さと強さを兼ね備えたフィジカルで、空中戦や1対1の局面でも簡単には競り負けません。
さらに、リーダーシップも見逃せない特徴です。
鹿島アントラーズでは史上最年少で主将に就任した経験を持ち、ピッチ内外でチームをまとめる存在として高く評価されています。
三竿健斗の出身地は?

出身地は東京都武蔵野市
出身地は、東京都武蔵野市です。
23区と多摩地域の境目に位置し、吉祥寺・三鷹・武蔵境という3つの個性豊かな駅を抱える、人口約15万人のコンパクトな住宅都市です。
新宿までは電車で約20分というアクセスの良さと緑豊かな環境が同居しており、古くから人気の高い居住エリアとして知られています。
なかでも吉祥寺エリアは、大型商業施設や個性的な専門店、飲食店が集まる人気の街で、「住みたい街ランキング」でも常に上位に名を連ねています。
市内には「井の頭恩賜公園」があり、桜の名所やボート池、井の頭自然文化園などが整備されていて、休日には多くの家族連れや観光客で賑わいます。
特産品としては、かつて武蔵野台地一帯で盛んに栽培されていた小麦を使った「武蔵野地粉うどん」が知られており、地域の飲食店では今も伝統の味を楽しむことができます。
教育・文化の面でも評価が高く、閑静な住宅街には図書館や公園が点在し、落ち着いた環境で子育てができる街として親しまれています。
有名人としては、俳優の大沢たかおさん、タレントの薬丸裕英さん、キャンディーズの伊藤蘭さんなど、多彩な分野で活躍する人材を輩出しています。
このように、武蔵野市は利便性と自然、文化がバランスよく融合した、住みやすく魅力あふれる街です。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は、武蔵野市立大野田小学校に通いました。
この時期から地元のサッカークラブでボールを蹴り始め、その才能を育んでいきました。
中学校は東京都の立教池袋中学校に進学し、この頃はJリーグの下部組織でプレーしながら技術を磨いていました。
高校は同じ学校法人の立教池袋高等学校へ進学。
同校在学中もJリーグの下部組織に所属し、着実に実力を伸ばしていきました。
大学へは進学せず、高校卒業と同時にプロの道へと進みました。
三竿健斗の経歴は?
| 年 | クラブ | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|
| 2015 | 東京ヴェルディ | 39 | 0 |
| 2016-2022 | 鹿島アントラーズ | 182 | 4 |
| 2022-2023 | CDサンタ・クララ | 17 | 0 |
| 2023-2024 | OHルーヴェン | 20 | 1 |
| 2024- | 鹿島アントラーズ |
プロ入り前の経歴
幼少期からサッカーに親しみ、地元の横河武蔵野FCでその基礎を身につけました。
小学校高学年からは東京ヴェルディジュニアに所属し、下部組織の一員としてプレーを続けます。
中学校時代は東京ヴェルディジュニアユースに所属し、東京ヴェルディの下部組織で技術を磨きました。
高校時代は東京ヴェルディユースに所属。
チームの中心選手として着実に経験を積み、高校2年時の2013年にはU-17日本代表としてFIFAU-17ワールドカップにも出場しました。
その活躍が評価され、高校3年時の2014年4月にトップチームの2種登録選手として登録され、翌年からのトップチーム昇格が内定します。
こうして大学へは進学せず、高校卒業と同時にプロの世界へ足を踏み入れることになりました。
Jリーグでの経歴1
いつもともに戦ってくださるアントラーズファミリーの皆さんへ、キャプテンの三竿選手からメッセージです。#antlers #kashima #三竿健斗
「どこにいても、ともに」
残り90分、全員で勝利のために、ともに戦いましょう。— 鹿島アントラーズ (@atlrs_official) Sep 4, 2021
2015年、東京ヴェルディのトップチームに昇格し、J2リーグでプロとしてのキャリアをスタートさせました。
高卒ルーキーながら開幕から主力としてピッチに立ち続け、シーズン39試合に出場する活躍を見せます。
その存在感が評価され、シーズン終了後にはJ1の名門クラブへの移籍が決定しました。
2016年、幼少期からの憧れだった鹿島アントラーズへ完全移籍しました。
移籍1年目からリーグ戦に出場し、チームは同年のJ1リーグとJ1チャンピオンシップ、天皇杯の3冠を達成しました。
翌2017年には出場機会を増やし、富士ゼロックススーパーカップ優勝にも貢献。
その後も着実にレギュラーの座を掴み、2018年にはAFCチャンピオンズリーグ制覇にも貢献し、明治安田J1優秀選手賞を受賞しました。
プレーの安定感とリーダーシップが評価され、2020年にはクラブ史上最年少で主将に就任しました。
2016年から2022年までの7シーズンでリーグ戦通算182試合に出場し4得点を記録し、鹿島の中心選手としてチームを支え続けました。
ポルトガルでの経歴
Bem-vindo, Kento Misao
O médio japonês de 26 anos assina contrato válido até final da época 2023/24, com opção por mais duas temporadas.— Santa Clara (@CD_SantaClara) Dec 12, 2022
2022年12月、鹿島アントラーズとの契約満了に伴い、ポルトガル1部リーグのCDサンタ・クララへ完全移籍することが発表されました。
子どもの頃からの夢だったヨーロッパへの挑戦で、フリーの立場での欧州移籍という決断が話題を呼びました。
現地では出場機会を求めて奮闘し、2022-2023シーズンにリーグ戦17試合に出場しました。
思うように出場機会を増やせない時期もありましたが、初めての海外生活と異なる文化のサッカーに適応しながら、着実に経験を積んでいきました。
ベルギーでの経歴
Your new home!!
Meer over onze nieuwe aanwinst Kento Misao— OH Leuven (@OHLeuven) Jul 20, 2023
2023年7月、ポルトガルからベルギー1部リーグのOHルーヴェンへ移籍しました。
新天地でも持ち前の運動量とポジショニングの良さを発揮し、2023-24シーズンにリーグ戦20試合に出場し1得点を記録しました。
チームの中盤の一角としてコンスタントに出場を重ね、欧州でのキャリアを着実に積み重ねていきました。
2シーズン近くにわたる欧州での経験は、その後の三竿健斗の視野を大きく広げることになりました。
Jリーグでの経歴2
84分に植田直通選手のゴールでジェフユナイテッド千葉に2-1で勝利するも、三竿健斗選手が「誰も満足していない」と語ったように、まだまだチームが目指す先は高いところにあります
— 鹿島アントラーズ (@atlrs_official) Mar 23, 2026
2024年7月、ベルギーから1年半ぶりに古巣鹿島アントラーズへの復帰を果たしました。
「再びこのクラブでプレーできることに感謝しています。このクラブで優勝をしたい」とコメントし、背番号6を託されました。
復帰後は主力としてピッチに立ち続け、2024年シーズンはリーグ戦15試合に出場し1得点を記録しました。
チームの中心選手としてピッチ内外でリーダーシップを発揮し続け、迎えた2025年シーズンはリーグ戦29試合に出場。
チームは9年ぶり、クラブ最多となる9度目のJ1リーグ制覇を成し遂げ、三竿健斗自身も優勝メンバーの一員としてタイトル獲得に貢献しました。
2026年シーズンも変わらずチームの中心としてプレーを続けています。
日本代表での経歴
落選三竿「悔しさをエネルギーに変えて」、気丈にツイート「日本がんばれ!!」
— ゲキサカ (@gekisaka) May 31, 2018
高校時代の2013年にはU-17日本代表に選出され、FIFA U-17ワールドカップに出場しました。
その後も世代別代表としての活動を続け、2016年にはU-23日本代表としてAFC U-23選手権にも出場しています。
プロとして着実に実績を積んだ2017年11月、鹿島アントラーズでの活躍が評価され、初めてA代表に選出されました。
同年12月16日のEAFF E-1サッカー選手権2017・韓国戦で国際Aマッチ初出場を果たします。
翌2018年3月23日、ベルギーで行われたマリ代表との国際親善試合では、後半アディショナルタイムに中島翔哉が決めた同点ゴールをクロスでアシストし、代表初アシストを記録しました。
同年のロシアワールドカップに向けては26人の候補メンバーに名を連ねましたが、最終的な23人の本大会メンバーからは惜しくも落選しました。
国際Aマッチ通算では6試合に出場しており、今後の再招集が期待されています。
三竿健斗の年俸は?

年俸は、鹿島アントラーズでプロキャリアをスタートさせた2016年には推定800万円とされ、J1ルーキーとしては標準的な水準でした。
その後、着実に出場機会を増やしたことで年俸も上昇し、2017年には1,500万円、2018年には2,000万円に増額されました。
レギュラーとして定着した2019年には4,500万円、主将に就任した2020年には5,000万円に達しました。
さらに2021年には自身のキャリアハイとなる7,000万円まで上昇し、翌2022年も6,000万円という高水準を維持しました。
2023年からのポルトガル・ベルギーでのプレー期間中の年俸は公表されていませんが、欧州クラブへの完全移籍という待遇からも一定の評価を受けていたと考えられます。
2024年に鹿島へ復帰して以降も高水準の年俸を維持しており、2025年には6,300万円、2026年には5,800万円とされています。
このように、三竿健斗の年俸はJ1定着後から安定して高い水準を保っており、鹿島アントラーズの中心選手としての評価がうかがえます。
※金額は推定です。
三竿健斗の家族は?

家族構成は、父・母・本人・兄の4人家族です。
両親の仕事の都合で、5歳までは家族でカナダのトロントに暮らしており、帰国後に東京都武蔵野市へ移り住みました。
幼少期を海外で過ごした経験は、三竿健斗の視野の広さやサッカーへの向き合い方にも少なからず影響を与えたと考えられます。
父親と母親については職業などの詳細は明かされていませんが、幼い兄弟をカナダへ帯同するなど、教育熱心で行動力のある家庭だったことがうかがえます。
兄の三竿雄斗は5歳年上のプロサッカー選手で、大分トリニータに所属しています。
兄弟でありながら4月16日という同じ誕生日に生まれた珍しい間柄で、2017年から2018年にかけては鹿島アントラーズで2年間チームメイトとしてプレーした時期もありました。
互いに切磋琢磨しながらプロの道を歩んできた兄弟であり、家族の存在が三竿健斗の現在の活躍を支える大きな力になっていると言えるでしょう。
三竿健斗は結婚している?彼女は?

2021年10月、三竿健斗は当時日本テレビアナウンサーを務めていた後藤晴菜さんとの結婚を発表しました。
双方の所属先を通じて交際が公表され、年内に入籍する旨が発表されると、多くのファンから祝福の声が寄せられました。
後藤晴菜さんは日本テレビでアナウンサーとして活躍したのち、結婚を機に退社し、現在は一般人として生活しています。
2022年10月には第一子となる長女が誕生し、家族が一人増えました。
さらに2025年12月には第二子の妊娠を報告し、2026年1月25日には次女となる第二子を出産したことが発表されました。
海外挑戦や古巣復帰など、慌ただしいキャリアの転機を家族とともに乗り越えてきた三竿健斗にとって、妻と2人の娘の存在は大きな支えとなっているようです。
プライベートに関しては多くを語らない姿勢を貫いていますが、時折SNSなどを通じて家族との穏やかな様子が垣間見えることもあります。
まとめ
ここまで三竿健斗の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
Jリーグで活躍し、サッカー日本代表にも選出されました。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、 三竿健斗の活躍に注目していきましょう!

