三好康児は、ドイツ 2.ブンデスリーガのVfLボーフムに所属し、ミッドフィールダーとして活躍するプロサッカー選手です。
また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。
出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?
この記事では三好康児のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。
三好康児とはどんな選手なのか?
GOAL! 三好康児
CONMEBOLコパアメリカブラジル2019
日本 1-0 ウルグアイ— サッカー日本代表 (@jfa_samuraiblue) June 21, 2019
プロフィール
三好康児(みよしこうじ)は1997年3月26日生まれ、神奈川県川崎市多摩区出身のプロサッカー選手です。
現在はドイツの2.ブンデスリーガに所属するVfLボーフムでプレーし、背番号は23番をつけています。
身長167cm、体重61kg、利き足は左足、愛称は「ミヨッシ」です。
左足から繰り出す精度の高いキックと細かなドリブルを武器に、狭いスペースでも局面を打開できるテクニカルなアタッカーです。
ポジションと特徴
ウルグアイ戦2ゴールの三好康児選手(横浜F・マリノス)。前日練習でエクアドル戦の必勝を誓っていました。
— サッカー日本代表 (@jfa_samuraiblue) June 24, 2019
ポジションはミッドフィールダーで、主に攻撃的なMFやウイングとしてプレーしますが、セカンドトップやインサイドハーフ、右サイドハーフなど前線から中盤にかけての複数のポジションをこなせる万能型のアタッカーです。
特徴としてまず挙げられるのがドリブルです。
細かいタッチでボールを運びながら、相手の重心を見て緩急をつけ、狭い局面でも仕掛けて突破することができます。
また、左足の精度も大きな武器です。
シュートだけでなく、ラストパスやセットプレーのキックにも高い技術を発揮し、チャンスの起点となります。
さらに、得点への嗅覚も持ち合わせています。
ゴール前に飛び込む動きやこぼれ球への反応がよく、中盤の選手ながらコンスタントに得点を狙えるところが持ち味です。
三好康児の出身地は?

出身地は神奈川県川崎市多摩区
出身地は、神奈川県川崎市多摩区です。
多摩区は多摩川を挟んで東京都と接する川崎市の北端のエリアで、大学や専門学校が多く、駅周辺には学生向けの飲食店がひしめく「学生の街」として知られています。
区内には約117ヘクタールの広さを持つ「生田緑地」があり、岡本太郎美術館や古民家を移築した日本民家園、世界最高クラスのプラネタリウム「メガスター」を備えたかわさき宙と緑の科学館などが集まっています。
緑地の一角には、ドラえもんでおなじみの「藤子・F・不二雄ミュージアム」もあり、休日は多くの家族連れでにぎわいます。
かつて遊園地だった向ヶ丘遊園の跡地に整備された「ばら苑」も、春と秋の開園時期には多くの人が訪れる名所です。
特産品としては、この地域一帯でかつて盛んに栽培されていた「多摩川梨」が知られ、都市化が進んだ現在も一部の農園で味わうことができます。
多摩区や川崎市の出身者としては、俳優の織田裕二さん、プラネタリウムクリエイターの大平貴之さん、歌手の今市隆二さんなど、幅広い分野で活躍する人材を輩出しています。
このように、多摩区は自然と文化施設、そして都心へのアクセスのよさがそろった、暮らしやすい街です。
小学校、中学校、高校、大学は?
小学校は、川崎市立中野島小学校に通いました。
この頃から地元のクラブでサッカーに打ち込み、頭角を現していきました。
中学校は川崎市立中野島中学校に進学しました。
学校生活を送りながら、クラブチームで本格的に技術を磨いていた時期です。
高校は神奈川県立新城高等学校へ進学しました。
大学へは進学せず、高校卒業を前にプロ契約を結び、サッカー選手としての道に進みました。
三好康児の経歴は?
| 年 | クラブ | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|
| 2015-2020 | 川崎フロンターレ | 76 | 11 |
| 2018 | 北海道コンサドーレ札幌(期限付き) | 26 | 3 |
| 2019 | 横浜F・マリノス(期限付き) | 19 | 3 |
| 2019-2023 | ロイヤル・アントワープFC | 77 | 6 |
| 2023-2024 | バーミンガム・シティFC | 43 | 6 |
| 2024- | VfLボーフム |
プロ入り前の経歴
幼少期は地元の中野島FCでボールを蹴り始め、サッカーの楽しさを知りました。
小学生年代の途中で川崎フロンターレU-12の下部組織に加入すると、中学年代は川崎フロンターレU-15、高校年代は川崎フロンターレU-18へと、一貫して名門の育成組織で成長を重ねました。
小柄ながら卓越したテクニックとサッカーIQを備えた選手として早くから評価され、2013年にはU-17日本代表としてFIFA U-17ワールドカップに出場し、3試合で先発を務めました。
ユース時代から得点に絡むプレーで注目を集め、将来を嘱望される存在として、トップチームへの昇格を勝ち取りました。
Jリーグでの経歴
去就が気になる選手 三好康児(20)川崎フロンターレ
ユースの最高傑作、川崎の若き至宝。攻撃の起点となるアタッカー。背番号13を継承して迎えたプロ3年目の今季は13試合1得点と昨季より数字を落とした。— マルコス#37 (@jef_marcos2008) November 22, 2017
2015年に川崎フロンターレのトップチームへ昇格し、プロとしてのキャリアをスタートさせました。
加入からしばらくは出場機会が限られましたが、途中出場を中心に少しずつ経験を積んでいきます。
この時期には、Jリーグで活躍する若手有望選手を対象としたTAG Heuer YOUNG GUNS AWARDに選出されるなど、次代を担う存在として注目されました。
より多くの試合に出るため、2018年には北海道コンサドーレ札幌へ期限付き移籍し、リーグ戦26試合で3得点を記録しました。
続く2019年には横浜F・マリノスへ期限付き移籍し、リーグ戦19試合3得点と結果を残しますが、この年の夏に契約を解除して海外へと活動の場を移します。
川崎フロンターレでは、期限付き移籍の期間も含めて通算76試合11得点という成績を残しています。
川崎の下部組織では板倉滉や三笘薫、田中碧といったのちの日本代表選手とともにプレーしており、その世代の中心選手のひとりとして期待を集めていました。
ベルギーでの経歴
三好康児がベルギー1部リーグ第8節のメヘレン戦で今季初ゴールを記録。シュート関与数はチーム最多の5本で、アントワープ加入以降で自身最多となりました。
— OptaJiro (@OptaJiro) October 3, 2020
2019年8月、ベルギー1部リーグのロイヤル・アントワープFCへ期限付き移籍し、初めての海外挑戦を迎えました。
移籍1年目はリーグ戦14試合1得点と適応に時間を要しましたが、着実に信頼を勝ち取っていきます。
2020年には完全移籍へと移行し、2023年夏までの在籍でリーグ戦63試合5得点を積み上げました。
なかでも2022-23シーズンにはチームのベルギー・カップ制覇に貢献し、タイトル獲得を経験します。
期限付き時代と合わせるとアントワープではリーグ戦通算77試合6得点を記録し、フィジカルの強い欧州のサッカーに対応する力と、要所で違いを生み出すテクニックを磨いた4年間となりました。
イングランドでの経歴
三好康児がバーミンガム・シティで開始2分に先制ゴール。巧みな胸トラップから右足で決めた、今季6ゴール目でした。
— DAZN Japan (@DAZN_JPN) March 3, 2024
2023年7月、イングランド2部チャンピオンシップのバーミンガム・シティFCへ完全移籍しました。
中盤の複数のポジションで起用され、加入初年度からチームの主力として計算される存在となります。
2023-24シーズンはリーグ戦43試合で6得点、公式戦では48試合7得点6アシストと攻撃面で存在感を示しました。
一方でチームは深刻な残留争いに巻き込まれ、シーズン終了とともに3部へ降格することになります。
チームの結果には恵まれませんでしたが、三好個人のパフォーマンスは高く評価され、ドイツの複数クラブから関心を寄せられる立場となりました。
ドイツでの経歴
ボーフムの三好康児が2ゴールを決め、チームを勝利へと導きました。
— ブンデスリーガ (@Bundesliga_JP) September 7, 2026
2024年8月30日、ブンデスリーガのVfLボーフムへ完全移籍しました。
契約期間は2028年6月末までの4年間で、背番号は23に決まりました。移籍金は100万ユーロを下回る額と報じられています。
加入1年目の2024-25シーズンは、筋肉系の負傷による離脱が重なり、ブンデスリーガでは15試合1得点、先発は6試合にとどまりました。
チームもシーズンを通して低迷し、最下位でシーズンを終えて2部へ降格しました。
2部で戦う2025-26シーズンは、前半戦こそコンディションの影響で出遅れたものの、後半戦は右サイドや攻撃的MFで先発機会を増やし、リーグ戦22試合3得点と巻き返しました。
2026-27シーズンも引き続きチームの一員としてプレーし、1部復帰を目標に戦っています。
日本代表での経歴
MAN OF THE MATCHに三好康児選手が選出されました。
CONMEBOLコパアメリカブラジル2019
日本 2-2 ウルグアイ— サッカー日本代表 (@jfa_samuraiblue) June 21, 2019
2013年にはU-17日本代表としてFIFA U-17ワールドカップに出場し、3試合で先発を務めました。
2016年にはU-19日本代表としてAFC U-19選手権に出場し、チームの優勝に貢献しています。
2018年にはU-21日本代表としてアジア競技大会に出場し、日本の準優勝(銀メダル)を経験しました。
2021年には、開催が1年延期されたことで出場資格が24歳以下に広がったU-24日本代表として、東京オリンピックのメンバーに選ばれました。
本大会では5試合に出場し、グループステージのフランス戦で得点を挙げましたが、チームはメダルにあと一歩届かない4位に終わりました。
A代表には2019年5月に初めて選出され、同年のコパ・アメリカに参加しました。
6月17日のチリ戦で後半から出場してA代表デビューを果たすと、6月21日のウルグアイ戦では2ゴールを挙げ、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれる鮮烈な活躍を見せます。
その後はケガや所属クラブでの状況もあってA代表からは遠ざかっており、国際Aマッチ出場は通算5試合2得点となっています。
三好康児の年俸は?

年俸は、川崎フロンターレでプロ契約を結んだ2015年当時は推定480万円ほどで、Jリーグの若手選手としては標準的な水準からのスタートでした。
その後は出場を重ねるごとに評価が上がり、2017年には800万円、2018年には1,000万円へと増額されます。
期限付き移籍した先でも、2018年の北海道コンサドーレ札幌時代は1,000万円、2019年の横浜F・マリノス時代は1,200万円と推定されています。
2019年にベルギーのロイヤル・アントワープFCへ移籍すると年俸は3,480万円(22万ユーロ)に上昇し、完全移籍後は3,000万円台で推移しました。
2023年にイングランドのバーミンガム・シティFCへ移籍した際は4,750万円(26万ポンド)とされ、さらに2024年にVfLボーフムへ加入したことで1億2,000万円(76万ユーロ)へと倍以上に跳ね上がりました。
プロデビューからの上昇率は25倍を超えるとも言われており、コツコツと評価を積み上げてきたことがうかがえます。
※金額は推定です。
三好康児の家族は?

家族構成は、父、母、兄、そして本人の4人家族です。
神奈川県川崎市の多摩区で育ち、幼い頃から家族に見守られながらサッカーに打ち込んできました。
父親は、三好康児が所属した中野島FCでコーチを務めていた人物です。
サッカーの経験者ではないものの社交的な性格で、知り合いに声をかけてはチームに誘うような、面倒見のよいタイプだったと語られています。
母親は、練習道具を駅まで届けたり、試合をほとんど欠かさず観戦したりと、献身的に支え続けてきました。
試合を見たあとには「もっと走ったほうがいい」といった率直なアドバイスを送ることもあり、三好康児の好物は母親が作る唐揚げだといいます。
兄の影響を受けて、小学校1年生のときにサッカーを始めたとされ、保育園の頃に日韓ワールドカップを見てプロ選手になることを夢見たと語っています。
川崎フロンターレの下部組織では板倉滉や三笘薫、田中碧と同じ時間を過ごしており、家族だけでなく良きライバルにも恵まれた環境で育ったことが、現在の成長につながっています。
三好康児は結婚している?彼女は?

三好康児は、すでに結婚しています。
2021年9月1日に自身のSNSを通じて結婚を報告し、発表によると、その前年である2020年の年末に、かねてから交際していた女性と入籍していたとのことです。
相手は一般の女性で、名前や職業などの詳細は公表されていません。
子どもがいるかどうかについても、これまで公表されていません。
結婚発表の際には「これからは夫としてより一層責任を持ち」「一緒に過ごす時間がとても楽しく、これからの人生を共に歩んでほしいと思いました」とつづっており、プライベートを大切にしながら競技に向き合っている様子がうかがえます。
海外でのプレーや代表活動で多忙な日々を送るなかでも、家族の支えを受けながら前向きにキャリアを重ねています。
まとめ
ここまで三好康児の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。
海外で活躍し、サッカー日本代表にも召集されています。
今後の活躍がますます期待されます。
これからも、 三好康児の活躍に注目していきましょう!

