大迫勇也のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は?

大迫勇也のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は? サッカー

大迫勇也は、Jリーグのヴィッセル神戸に所属し、フォワードとして活躍するプロサッカー選手です。

また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。

出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?

この記事では大迫勇也のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。

 

大迫勇也とはどんな選手なのか?

プロフィール

大迫勇也(おおさこゆうや)は1990年5月18日生まれ、鹿児島県加世田市(現:南さつま市)出身のプロサッカー選手です。

現在はJリーグのヴィッセル神戸に所属し、背番号は10番をつけています。

身長184cm、体重75kg、利き足は右足、愛称は「サコ」「半端ないって」です。

ゴールを決める技術はもちろん、ポストプレーや前線からの献身的な守備にも定評があります。

ポジションと特徴

ポジションはフォワードで、クラブではミッドフィールダーを任されることもあります。

特徴としてまず挙げられるのがポストプレーです。

ポストプレーに定評があり、前線で攻撃を支えます。

また、前線からの献身的な守備も彼の大きな強みです。

さらに、コンタクトプレーの強さも見逃せません。

競り合いに強く、駆け引きにも長けています。

ゴールを決める技術も高く、2023年にはキャリアハイとなるリーグ戦22得点を挙げ、J1得点王に輝きました。

 

大迫勇也の出身地は?

大迫勇也の出身地は?

出身地は鹿児島県加世田市(現:南さつま市)

出身地は、鹿児島県加世田市(現:南さつま市)です。

大迫勇也が生まれた加世田市は、2005年に周辺の町と合併して南さつま市となりました。

南さつま市は、鹿児島県の薩摩半島の南西端に位置し、鹿児島市や枕崎市、日置市、南九州市などと隣接する市です。

東シナ海に面していて、農業と漁業を主な産業としています。

なかでも有名なのが、市の北西部に広がる吹上浜です。

日本三大砂丘の一つに数えられ、砂丘を利用した「吹上浜砂の祭典」も開かれています。

南西部には美しいリアス式海岸が広がっており、坊津の双剣石は国の名勝です。

栫ノ原遺跡は、縄文時代草創期の日本最古の定住集落跡とされる国の史跡です。

太平洋戦争末期には、最後の特攻隊の出撃地となった万世飛行場が吹上浜にありました。

特産物では、金峰コシヒカリや焼酎、そば、カボチャ、薩摩切子、らっきょう、キンカンなどが知られています。

毎年5月5日には唐カラ船まつり、8月15日には金峰夏祭が行われます。

有名人としては、玉川学園創始者の小原國芳さん、参議院議員の尾辻秀久さん、ファッションモデルの小濱なつきさんなど、多彩な分野で活躍する人材を輩出しています。

このように、南さつま市は砂丘、海岸、歴史、特産物がバランスよく揃った、魅力あふれる街です。

小学校、中学校、高校、大学は?

小学校は、加世田市立万世小学校(現:南さつま市立万世小学校)に通いました。

この時期は、地元のサッカークラブでプレーしていました。

中学校は鹿児島育英館中学校に進学しました。

高校は鹿児島城西高等学校へ進みました。

大学へは進学せず、プロの道を選びました。

 

大迫勇也の経歴は?

年 クラブ 出場 得点
2009-2013 鹿島アントラーズ 139 40
2014 TSV1860ミュンヘン 15 6
2014-2018 1.FCケルン 108 15
2018-2021 ヴェルダー・ブレーメン 75 11
2021- ヴィッセル神戸

プロ入り前の経歴

幼少期からサッカーに親しみ、小学校時代は万世サッカースポーツ少年団で、主にトップ下としてプレーしました。

中学進学前には、プロを目指す決意を固めていました。

中学校時代は、鹿児島育英館中学校のサッカー部でプレーを続けました。

高校時代は鹿児島城西高等学校のサッカー部に所属し、1年からレギュラーとして活躍しました。

2008年には、鹿児島県高校総体の決勝で鹿児島実業高校を相手に5ゴールを挙げて優勝を飾っています。

JFAプリンスリーグU-18九州1部では、8試合で10ゴールを記録して得点ランキング1位となり、チームの優勝に貢献しました。

第87回全国高等学校サッカー選手権大会では、大会最多となる10得点という記録も残しています。

決勝では広島皆実高校に2-3で敗れ、チームは準優勝でした。

Jリーグでの経歴 1

2009年、Jリーグの6クラブによる争奪戦の末、J1リーグの鹿島アントラーズに加入しました。

開幕戦のスーパーカップで後半44分から途中出場し、公式戦デビューを飾りました。

AFCチャンピオンズリーグのグループリーグ上海申花戦では、公式戦初先発でプロ初ゴールを決めています。

Jリーグ初得点は、4月12日のJ1第5節FC東京戦でした。

この年は公式戦で6得点を記録し、柳沢敦と並ぶ高卒加入選手のシーズン最多得点となりました。

リーグ戦では22試合に出場し3得点を記録し、チームはJ1リーグ優勝を果たしています。

2010年は背番号を34から9に変更し、27試合に出場し4得点を記録しました。

2011年は25試合に出場し5得点、2012年は32試合に出場し9得点を記録しています。

2013年8月7日、スルガ銀行チャンピオンシップのサンパウロFC戦で、プロ入り初のハットトリックを達成しました。

同月のリーグ戦では6試合で6得点を挙げ、初のJリーグ月間MVPを受賞しています。

この年はリーグ戦で33試合に出場し19得点を記録し、Jリーグベストイレブンに選ばれました。

鹿島では、J1リーグ優勝1回、Jリーグカップ2回、天皇杯1回、スーパーカップ2回、スルガ銀行チャンピオンシップ2回のタイトルを獲得しています。

2014年1月には、ドイツ2部のTSV1860ミュンヘンへの完全移籍が発表されました。

ドイツでの経歴

2014年、ドイツ2部のTSV1860ミュンヘンへ完全移籍しました。

2月10日のフォルトゥナ・デュッセルドルフ戦では、移籍後のリーグ戦初出場にして初得点を決めています。

後半戦は全試合に出場し、この年は15試合に出場し6得点を記録しました。

2014年6月5日、ドイツ1部への復帰が決まった1.FCケルンと3年契約を結びました。

8月30日のVfBシュトゥットガルト戦では、1部リーグ初得点を決めています。

2014-15シーズンは28試合に出場し3得点を記録し、2トップの一角としてレギュラーに定着しました。

2015-16シーズンは25試合に出場し1得点を記録しています。

2016-17シーズンは、9月のシャルケ04戦とRBライプツィヒ戦で2試合連続得点を決めました。

2017年1月のダルムシュタット戦では、ブンデスリーガ初となる1試合2得点も記録しています。

最終節のマインツ戦でも得点を挙げ、チームのUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献しました。

このシーズンのリーグ戦は、30試合に出場し7得点という成績でした。

2017-18シーズンは、UEFAヨーロッパリーグ第4節のBATEボリソフ戦で、同大会初得点を含む2得点1アシストの活躍を見せています。

リーグ戦では25試合に出場し4得点を記録しましたが、チームは最下位で2部へ降格しました。

ケルンでは、リーグ戦で通算108試合に出場し15得点を記録しています。

2018年5月16日、ケルンの2部降格に伴い、ヴェルダー・ブレーメンへの加入が発表されました。

8月18日のDFBポカール1回戦で移籍後初ゴールを挙げ、9月1日のブンデスリーガ第2節アイントラハト・フランクフルト戦でリーグ戦初得点を決めました。

2018-19シーズンは21試合に出場し3得点を記録しています。

2019年1月のアジアカップ参加中に背中の腱の炎症が発覚し、クラブ合流後に離脱しましたが、4月7日の試合で復帰しました。

2019-20シーズンは、9月1日のFCアウクスブルク戦で2得点を挙げ、チームにシーズン初勝利をもたらしています。

このシーズンは28試合に出場し8得点を記録し、ブンデスリーガでのシーズン自己最多得点となりました。

2020-21シーズンは24試合に出場しましたが無得点に終わり、チームは17位で2部へ降格しました。

ブレーメンでは、リーグ戦で通算75試合に出場し11得点を記録しています。

Jリーグでの経歴 2

2021年8月8日、ヴィッセル神戸へ完全移籍で加入しました。

2014年1月にドイツへ渡って以来、7年半ぶりのJリーグ復帰でした。

10月2日の浦和レッズ戦で移籍後初ゴールを決め、この年は11試合に出場し4得点を記録しました。

2022年3月のAFCチャンピオンズリーグ・プレーオフ、メルボルン・ビクトリー戦では2得点を挙げ、本戦出場に貢献しました。

この年はリーグ戦で26試合に出場し7得点を記録しています。

2023年は吉田孝行監督のもと、大迫勇也のポストプレーを軸とした戦術に変わっています。

リーグ戦で34試合に出場し22得点を記録してJ1得点王となり、クラブをJ1初優勝に導きました。

シーズン終了後は、ベストイレブン、Jリーグ最優秀選手賞、得点王の個人タイトル3冠となりました。

2024年2月6日には、クラブとの契約を2026年まで延長したことが発表されています。

2024年は36試合に出場し11得点を記録し、リーグ2位の9アシストを挙げました。

2年連続でベストイレブンにも選ばれ、チームはJ1リーグ連覇と天皇杯優勝を達成しています。

2025年は、リーグ戦で31試合に出場し8得点という成績でした。

2026年のJ1百年構想リーグでは15試合に出場し4得点を記録しています。

5月30日の優勝決定戦第1戦では、古巣の鹿島アントラーズを相手にハットトリックを達成し、5-0の勝利に貢献しました。

チームは2戦合計でも鹿島を上回り、優勝となりました。

神戸では、J1リーグ優勝2回、天皇杯1回、J1百年構想リーグ優勝1回のタイトルを獲得しています。

日本代表での経歴

2006年、高校入学と同時にU-16日本代表に選出されました。

2009年にはU-20日本代表に選ばれ、7試合に出場し1得点を記録しています。

2011年には、ロンドンオリンピックを目指すU-22日本代表に選ばれ、アジア予選に出場しました。

2012年にはU-23日本代表としてトゥーロン国際大会に出場しています。

ロンドン五輪の予備登録メンバーには入りましたが、本大会のメンバーには選ばれませんでした。

U-22・U-23日本代表では、通算10試合に出場し2得点を記録しています。

2013年7月、東アジアカップ2013に臨む日本代表に、初めてA代表として選出されました。

21日の中国戦で代表初出場を果たし、25日のオーストラリア戦では代表初ゴールを含む2得点を挙げています。

11月のオランダ戦では、1得点1アシストを記録しました。

2014年5月12日には、2014 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれています。

第1戦のコートジボワール戦と第2戦のギリシャ戦に先発出場し、ともに後半途中で交代しました。

第3戦は出場機会がなく、チームはグループリーグで敗退となりました。

2016年11月には、1年半ぶりに日本代表に招集されました。

11月11日のオマーン戦では、古巣のカシマスタジアムで2得点を挙げる活躍でした。

2018年のロシアワールドカップでも日本代表に選出されています。

6月19日のグループリーグ初戦、コロンビア戦では、コーナーキックからヘディングで決勝点を決め、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれました。

グループリーグ3試合と決勝トーナメント1試合に出場しています。

2019年のAFCアジアカップ2019では、初戦のトルクメニスタン戦と準決勝のイラン戦で、それぞれ2得点を挙げました。

決勝のカタール戦にも先発出場しましたが、1-3で敗れて準優勝となりました。

2021年3月30日のモンゴル戦では、代表初のハットトリックを達成しています。

5月28日のミャンマー戦では5得点を挙げ、チームは10-0で勝利しました。

2022年11月1日には、カタールワールドカップの日本代表メンバーから落選となりました。

国際Aマッチには、2013年から2022年にかけて通算57試合に出場し25得点を記録しています。

 

大迫勇也の年俸は?

大迫勇也の年俸は?

年俸は、プロキャリアをスタートさせた2009年の鹿島アントラーズ時代は360万円でした。

2013年には2,000万円まで上がったと言われています。

2014年にドイツのTSV1860ミュンヘンへ移籍した際は6,000万円で、同年に移籍した1.FCケルンでは8,100万円だったと言われています。

ケルンでの2015年以降の年俸の詳細な情報はありません。

2018年にヴェルダー・ブレーメンへ移籍すると、年俸は2億5,700万円になり、2020年は2億3,200万円と言われています。

2021年にヴィッセル神戸へ移籍した際は、Jリーグの日本人選手として歴代最高額となる4億円と報じられています。

2022年以降の年俸の詳細な情報はありません。

このように、大迫勇也の年俸は、海外での活躍を経て、神戸で日本人選手の歴代最高額に達しました。

※金額は推定です。

 

大迫勇也の家族は?

大迫勇也の家族は?

家族構成は、父・母・本人だと思われます。

父親については、職業などの詳細は明かされていませんが、大迫勇也のサッカー人生を支えてきた存在だと考えられます。

母親については、詳しい情報は明かされていません。

12歳のとき、大迫勇也は「サッカーで勝負したい」と母親に意志を伝えました。

そのうえで、指導者や練習環境を自分でリサーチし、鹿児島育英館中学校への進学を決めました。

兄弟については、詳しい情報は明かされていません。

家族全員が大迫勇也の一番の理解者であり、温かい支えが彼の現在の成功に大きく貢献していることは間違いありません。

 

大迫勇也は結婚している?彼女は?

大迫勇也は結婚している?彼女は?

大迫勇也は結婚しています。

2014年3月5日に、モデルの三輪麻未さんと入籍しました。

三輪麻未さんは、大迫勇也より2歳年上です。

同月10日に、所属事務所の公式サイトで結婚を発表しました。

発表では、海外での初めての挑戦を前に、精神的に支えてくれた相手と一緒になりたいと思ったと述べています。

家族を持つことで自分自身も成長し、サッカーにもプラスにしていきたいという思いも語りました。

2014年10月には、第一子となる長女が誕生しました。

2019年4月には、ドイツで第二子となる次女が誕生しています。

このように、大迫勇也は結婚して妻と子ども2人の家族を持ち、家族の支えを受けながらプレーを続けてきました。

今後も家族に見守られながら、選手としての活躍を続けていくことが期待されます。

 

まとめ

ここまで大迫勇也の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。

Jリーグで活躍し、サッカー日本代表にも選出されました。

今後の活躍がますます期待されます。

これからも、大迫勇也の活躍に注目していきましょう!

 

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