塩谷司のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は?

塩谷司のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は? サッカー

塩谷司は、Jリーグのサンフレッチェ広島に所属し、ディフェンダーとして活躍するプロサッカー選手です。

また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。

出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?

この記事では塩谷司のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。

 

塩谷司とはどんな選手なのか?

プロフィール

塩谷司(しおたにつかさ)は1988年12月5日生まれ、徳島県小松島市出身のプロサッカー選手です。

現在はJリーグのサンフレッチェ広島に所属し、背番号は33番をつけています。

身長182cm、体重81kg、利き足は右足、愛称は「ソルティー」「シオ」です。

対人の強さに加え、タイミングの良いスルーパスで好機を生み出し、パスセンスとパンチ力も併せ持ちます。

ポジションと特徴

ポジションはディフェンダーで、センターバックとサイドバックでプレーします。

特徴としてまず挙げられるのが対人の強さです。

相手選手との競り合いで強さを発揮します。

また、スルーパスも彼の大きな強みです。

タイミングの良いスルーパスで、好機を生み出します。

さらに、パスセンスとパンチ力も見逃せません。

守備だけでなく、パスとシュートでも持ち味を見せる選手です。

 

塩谷司の出身地は?

塩谷司の出身地は?

出身地は徳島県小松島市

出身地は、徳島県小松島市です。

徳島県の東部に位置し、徳島市や阿南市などと隣接する、県内の市で最も面積が狭い市です。

市域の7割が平野で、日峰山の麓に街が広がり、紀伊水道に面しています。

小松島港があり、古くは港湾都市として栄えた街です。

なかでも有名なのが、源義経が四国で最初に上陸した地という伝承です。

旗山には、騎馬像としては日本最大とされる源義経像が建っています。

金長狸の民話でも知られ、毎年5月には「小松島金長狸まつり」が開かれます。

四国八十八箇所の第18番札所・恩山寺と第19番札所・立江寺も市内にあります。

特産物では、シイタケの生産量が徳島県内の自治体で一番です。

ヤマモモやちりめん、竹ちくわなども知られています。

毎年7月中旬の小松島港まつりでは、県内屈指の花火大会が開かれ、夏の風物詩となっています。

有名人としては、俳優の大杉漣さん、アニメ監督の幾原邦彦さん、元マラソン選手の大家正喜さんなど、多彩な分野で活躍する人材を輩出しています。

このように、小松島市は港、歴史、自然、特産物がバランスよく揃った、魅力あふれる街です。

小学校、中学校、高校、大学は?

小学校と中学校の校名は明かされていません。

この時期は、地元のサッカークラブでプレーしていました。

高校は徳島県立徳島商業高等学校へ進学しました。

大学は国士舘大学へ進学しました。

 

塩谷司の経歴は?

年 クラブ 出場 得点
2011-2012 水戸ホーリーホック 60 5
2012-2017 サンフレッチェ広島 140 17
2017-2021 アル・アインFC 88 11
2021- サンフレッチェ広島

プロ入り前の経歴

小学校時代は南小松島FCと大松SCに所属しました。

中学校時代は大塚FCジュニアユースに所属しました。

大塚FCジュニアユースは、現在の徳島ヴォルティスジュニアユースです。

当時は全く無名の存在でした。

高校時代は徳島県立徳島商業高等学校のサッカー部でプレーし、1年次と2年次に全国高校サッカー選手権にミッドフィルダーとして出場しました。

この活躍により、国士舘大学からスポーツ特待生としてスカウトされました。

大学時代は国士舘大学のサッカー部に所属し、主にボランチや左サイドのミッドフィルダーとしてプレーしました。

当初はレギュラーを掴むには至りませんでした。

2010年に柱谷哲二がコーチに就任すると、センターバックにコンバートされ、レギュラーを獲得しました。

Jリーグでの経歴 1

2011年、柱谷哲二監督に誘われ、J2リーグの水戸ホーリーホックに入団しました。

レギュラーに抜擢されて開幕戦からスタメン出場を果たし、シーズン中にはディフェンスラインのリーダーになるほど成長します。

この年はリーグ戦で35試合に出場し3得点を記録しました。

北関東ダービーでは3試合でゴールを決め、「ダービー男」と呼ばれました。

天皇杯ではガンバ大阪と対戦し、水戸の対J1勢初勝利に貢献しました。

2012年シーズンも中心選手として活躍し、リーグ戦では25試合に出場し2得点を記録しました。

この活躍により、J1の大宮アルディージャ、清水エスパルス、サンフレッチェ広島から獲得オファーが届き、広島への移籍が決定します。

2012年8月にサンフレッチェ広島へ完全移籍しました。

移籍当初は森脇良太のバックアップとして、リーグ戦3試合の出場にとどまりました。

2013年に森脇が浦和レッズへ移籍すると、3バックの一角としてスタメンに定着します。

千葉和彦、水本裕貴とともに、リーグ戦34試合に出場し3得点を記録し、チームの連覇に貢献しました。

2014年にはリーグ戦で32試合に出場し6得点を記録し、Jリーグベストイレブンに選出されました。

オフにはFC東京から獲得オファーがありましたが、「広島からワールドカップに出る」とクラブに5年契約を求め、契約を更新しました。

2015年は主力としてJリーグ優勝を達成し、リーグ戦では27試合に出場し3得点を記録しました。

2016年にはリーグ戦で30試合に出場し5得点を記録しています。

2017年6月には、UAEのアル・アインへの移籍が決定しました。

アラブ首長国連邦での経歴

2017年6月15日、UAEの強豪アル・アインFCへ完全移籍しました。

9月30日の第3節アル・アハリ・ドバイ戦で、移籍後初得点を決めました。

2017-18シーズンはリーグ戦で18試合に出場し3得点を記録し、アラビアン・ガルフ・リーグとUAEプレジデントカップで優勝しました。

2018年に開催されたFIFAクラブワールドカップ2018では、4試合にフル出場して2得点を挙げ、チーム初の準優勝に貢献しました。

このうち1得点は、レアル・マドリードから挙げたものです。

クラブワールドカップ通算得点は4となり、歴代通算得点ランキングでもトップ10入りしました。

アル・アインでは、リーグ戦で通算88試合に出場し11得点を記録しました。

2021年6月12日には、アル・アインが退団を発表しました。

Jリーグでの経歴 2

2021年10月1日、サンフレッチェ広島への加入が発表されました。

背番号は「3」で、4年ぶりの復帰となりました。

この年は5試合に出場し1得点を記録しています。

2022年はリーグ戦で26試合に出場しました。

2023年シーズンからは、背番号を「33」に変更しました。

同年はリーグ戦で27試合に出場し2得点を記録しました。

2024年は37試合に出場し1得点、2025年は36試合に出場し2得点を記録しています。

2025年には、広島のスーパーカップとJリーグカップの優勝を経験しました。

2026年の明治安田Jリーグ百年構想リーグでは18試合に出場し、地域リーグラウンドJ1WESTベストイレブンに選出されました。

日本代表での経歴

2014年5月、ザッケローニ監督のもとで初めてA代表のキャンプに招集されました。

この時点ではA代表の出場はならず、2014 FIFAワールドカップにも選出されませんでした。

アギーレ監督のもとで、10月10日のキリンチャレンジカップ・ジャマイカ戦で日本代表デビューを果たしました。

AFCアジアカップ2015や、2015年10月のワールドカップアジア予選にも選出されましたが、出場はありませんでした。

2016年6月14日には、リオデジャネイロオリンピックに出場するU-23日本代表のオーバーエイジ枠に選出されました。

センターバックとしてグループリーグ全試合にフル出場しましたが、チームはグループリーグで敗退しました。

2019年1月5日、守田英正の負傷離脱に伴い、AFCアジアカップ2019に臨む日本代表に追加招集されました。

グループステージ第3戦のウズベキスタン戦で、代表初ゴールを決めています。

決勝のカタール戦では、遠藤航の負傷の影響で先発出場しましたが、試合は1-3で敗れて準優勝となりました。

国際Aマッチ通算では7試合に出場し1得点を記録しています。

 

塩谷司の年俸は?

塩谷司の年俸は?

年俸は、プロキャリアをスタートさせた2011年の水戸ホーリーホック時代は400万円でした。

2012年にサンフレッチェ広島へ移籍すると800万円から始まり、2013年は1,200万円、2014年は3,000万円、2015年は3,500万円、2016年は4,500万円と言われています。

2017年にUAEのアル・アインFCへ移籍し、2018年と2019年は2億円でした。

2020年以降のアル・アインでの年俸の詳細な情報はありません。

2021年にサンフレッチェ広島へ復帰して以降の年俸の詳細な情報はありません。

このように、塩谷司の年俸は、水戸と広島での活躍とともに段階的に上昇しています。

※金額は推定です。

 

塩谷司の家族は?

塩谷司の家族は?

家族構成は、父・母・本人だと思われます。

父親は、塩谷司が国士舘大学3年生だった2009年に急死しました。

当時は退学して就職することも考えましたが、細田三二監督に説得されて思いとどまりました。

母親については、詳しい情報は明かされていませんが、家族を支える献身的な存在であり、幼い頃から彼の成長を温かく見守ってきました。

兄弟については、詳しい情報は明かされていません。

家族全員が塩谷司の一番の理解者であり、温かい支えが彼の現在の成功に大きく貢献していることは間違いありません。

 

塩谷司は結婚している?彼女は?

塩谷司は結婚している?彼女は?

塩谷司は結婚しています。

結婚の時期やお相手に関する情報は明かされていません。

家族は、妻と子ども2人だと伝えられています。

2017年にUAEのアル・アインへ移籍する際には、妻と子ども2人を連れていくことへの不安もあったそうです。

経験者の助言を聞いたうえで、移籍を決断しました。

UAEでは、日々の食事面を妻が全面的にサポートしてくれました。

家族の存在によって、精神的なストレスを感じずに済んだといいます。

2019年5月のアル・アインとの契約更新の際には、家族もアル・アインの街に滞在できて幸せだと、クラブを通じてコメントしました。

2020年には、UAEでの生活が長くなった子どもたちに、日本語の読み書きを教えていました。

普段は家事を妻に任せきりでしたが、自粛期間中は分担していたそうです。

2020年12月末の時点では、子どものこともあり、家族は日本に帰っていて、自身は単身でUAEに残っていました。

このように、塩谷司は結婚して妻と子ども2人の家族を持ち、家族の支えを受けながらUAEでのプレーを続けてきました。

 

まとめ

ここまで塩谷司の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。

Jリーグで活躍し、サッカー日本代表にも選出されました。

今後の活躍がますます期待されます。

これからも、塩谷司の活躍に注目していきましょう!

 

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