中山雄太のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は?

中山雄太のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は? サッカー

中山雄太は、セルビア・スーペルリーガのレッドスター・ベオグラードに所属し、ディフェンダーとして活躍するプロサッカー選手です。

また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。

出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族結婚・彼女はどうなのでしょうか?

この記事では中山雄太のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。

 

中山雄太とはどんな選手なのか?

プロフィール

中山雄太(なかやまゆうた)は1997年2月16日生まれ、茨城県龍ケ崎市出身のプロサッカー選手です。

現在はセルビア・スーペルリーガ所属のレッドスター・ベオグラードに所属し、背番号は3番をつけています。

身長181cm、体重76kg、利き足は左足、愛称は「ユウタ」です。

左利きから繰り出す正確なロングフィードと対人守備の強さを兼ね備え、左サイドバックからセンターバックまでこなす守備の要として評価されています。

ポジションと特徴

ポジションディフェンダーで、主に左サイドバックとしてプレーしますが、3バックの一角としてセンターバックを務めることもできる万能型の守備者です。

特徴としてまず挙げられるのが対人守備の強さです。

球際の激しさとタイミングの良いスライディングタックルで、相手のドリブル突破を幾度となく阻止してきました。

また、左足のキック精度も彼の大きな武器です。

正確なロングフィードやクロスでチャンスを演出できるほか、ビルドアップの起点としてもチームに貢献しています。

さらに、運動量とハードワークも見逃せません。

攻守にわたって長い距離を走り続ける献身性で、チーム全体の攻守の切り替えを支えています。

 

中山雄太の出身地は?

中山雄太の出身地は?

出身地は茨城県龍ケ崎市

出身地は、茨城県龍ケ崎市です。

県南部に位置し、牛久沼と小貝川に育まれた水と緑の豊かな街で、JR常磐線で上野から約50分とアクセスも良好です。

市名の由来には、竜が昇天したという言い伝えが関わっているとも言われています。

伝統行事としては、八坂神社の祇園祭で行われる「撞舞(つくまい)」が有名です。

高い柱の上で演者が様々な妙技を披露する勇壮な神事で、疫病予防や雨乞い、豊作祈願の意味が込められており、「いばらきセレクション125」にも選ばれています。

また、地元の商工会女性部が中心となって生み出した「龍ケ崎コロッケ」はご当地グルメとして人気を集め、2014年には全国的なご当地メシコンテストで優勝を果たしています。

有名人としては、東京オリンピックのスポーツクライミングで活躍した野口啓代さん、お笑いトリオ・四千頭身の都築拓紀さん、元プロ野球選手の宮本孝雄さんなど、多彩な分野で活躍する人材を輩出しています。

牛久沼のほとりにはサイクリングロードや遊歩道も整備されており、四季折々の自然を楽しみながら散策できる憩いの場としても親しまれています。

このように、龍ケ崎市は水と緑に恵まれた自然と、伝統行事や名物グルメが息づく魅力あふれる街です。

小学校、中学校、高校、大学は?

小学校は、龍ケ崎市立北文間小学校に通いました。

この時期から地元のサッカークラブでボールを蹴り始め、その才能を育んでいきました。

中学校龍ケ崎市立愛宕中学校に進学し、当初は学校のサッカー部に所属していましたが、途中からはJリーグの下部組織でもプレーするようになり、技術に磨きをかけていきました。

高校は千葉県の柏南高等学校へ一般受験で入学。

学業に励むかたわら、引き続きJリーグの下部組織でプレーを続けました。

大学へは進学せず、高校卒業と同時にプロの世界へ進むことになります。

 

中山雄太の経歴は?

クラブ 出場 得点
2015-2018 柏レイソル 76 6
2019-2022 PECズヴォレ 79 5
2022-2024 ハダースフィールド・タウンFC 37 2
2024-2026 FC町田ゼルビア 58 5
2026- レッドスター・ベオグラード

プロ入り前の経歴

幼少期は北文間スポーツ少年団に加入し、地元でサッカーの基礎を身につけました。

中学校時代は愛宕中学校サッカー部に所属していましたが、その部が柏レイソルU-15と行った練習試合での活躍が転機となります。

姿勢の良さとボールを前に運ぶ勢いを高く評価したレイソル強化部の目に留まり、試合終了後すぐさま中学校の顧問へ連絡が入るという異例のスピードでスカウトが進み、柏レイソルの下部組織に加入することになりました。

高校時代は柏レイソルU-18でプレーを継続。

高校3年時にはチームの主将を任され、プレミアリーグEASTでの優勝にも貢献しました。

守備の安定感とビルドアップ能力の高さで年代を代表するサイドバックへと成長し、その実績が評価されて2015年にトップチーム昇格を果たし、プロの世界へ足を踏み入れることになります。

Jリーグでの経歴 1

2015年柏レイソルでトップチームに昇格し、プロとしてのキャリアをスタートさせました。

5月6日のAFCチャンピオンズリーグ グループリーグ第6節・ベカメックス・ビンズオン戦でプロデビューを飾ると、6月23日のJ1 1stステージ第13節・ガンバ大阪戦ではリーグ戦初出場も果たします。

さらに8月25日のACL準々決勝第1戦・広州恒大戦では、大谷秀和の負傷離脱を受けてインサイドハーフのポジションで先発出場を任されるなど、若くして重要な試合を経験しました。

ただし、この年はまだリーグ戦1試合の出場にとどまりました。

翌2016年も出場機会は限られ、リーグ戦2試合の出場にとどまりましたが、着実に経験を積んでいきました。

迎えた2017年、左サイドバックのポジションを掴み取ると出場機会が一気に増加。

シーズンを通じてリーグ戦30試合に出場する活躍を見せ、その将来性の高さが評価されてこの年のJリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞しました。

しかし翌2018年は出場機会が再び減少し、リーグ戦3試合の出場にとどまります。

柏レイソルでは4年間で通算76試合に出場し6得点を記録しました。

同年、海外挑戦を志し、オランダへ移籍することになります。

オランダでの経歴

2019年1月、初めての海外挑戦としてオランダ・エールディヴィジのPECズヴォレへ完全移籍しました。

3月31日の第27節・FCエメン戦で途中出場を果たし、移籍後初出場を飾ります。

翌シーズンの1月17日に行われたFCユトレヒト戦では移籍後初ゴールを記録するなど、着実に自身の存在感を示していきました。

2020-21シーズンにはついにレギュラーの座を掴み取り、リーグ戦32試合に出場し2得点を記録。

続く2021-22シーズンも主力として活躍を続け、チームが下位に低迷するなかでもリーグ戦全34試合中29試合に先発出場し、1得点を挙げるなど孤軍奮闘の活躍を見せました。

日本人選手がまだ少なかったオランダ・エールディヴィジの舞台で着実に結果を残した中山雄太の姿は、現地メディアからも「日本最高の若手」の一人として特集されるなど、大きな注目を集めました。

守備の安定感に加えて、左足からのフィードでビルドアップに関わるプレースタイルは、当時のPECズヴォレにとって欠かせないピースとなっていきました。

PECズヴォレでは3シーズン半にわたって在籍し、通算79試合に出場し5得点を記録しました。

イングランドでの経歴

2022年7月、2年契約でイングランド・チャンピオンシップのハダースフィールド・タウンFCへ完全移籍することが決まりました。

新天地でも即座に結果を残し、移籍後初戦から先発出場を果たすと、そのままゴールを決めて移籍後初ゴールを記録するインパクトを残します。

2022-23シーズンはリーグ戦14試合に出場し2得点を記録し、新天地での存在感を示しました。

しかし2022年11月にアキレス腱断裂という大きな怪我を負い、長期離脱を余儀なくされます。

2023-24シーズンは怪我から復帰を果たしたもののリーグ戦23試合の出場にとどまり、さらに2024年3月には膝の内側側副靱帯を損傷し、そのままシーズン残りを欠場することになりました。

2024年5月に契約満了となり、2シーズンでイングランドでの挑戦に区切りをつけることになります。

なお、クラブ自体もこのシーズン限りで3部リーグへの降格が決定しており、中山にとってもチームにとっても苦しいシーズンとなりました。度重なる負傷は本人にとっても悔しい経験だったはずですが、それを乗り越えてピッチに戻り続けた姿勢は高く評価されています。

リーグ戦の通算成績は37試合に出場し2得点でした。

Jリーグでの経歴 2

2024年8月、JリーグのFC町田ゼルビアへ完全移籍で加入し、5年半ぶりにJリーグへ復帰を果たしました。

加入からわずか3日後の8月17日、ジュビロ磐田戦で移籍後初出場を飾ると、前半4分にコーナーキックから頭で合わせて移籍後初ゴールを記録する鮮烈なデビューとなりました。

その後は黒田剛監督のもとで3バックの一角やサイドバックとして存在感を発揮していきます。

2025年11月22日に行われた天皇杯決勝のヴィッセル神戸戦では、試合開始早々の前半6分に左サイドからクロスを供給。

これに藤尾翔太が頭で合わせて先制点が生まれ、チームはそのまま3-1で勝利しクラブ史上初の天皇杯制覇を達成しました。

さらにアジアの舞台となるAFCチャンピオンズリーグ・エリートでも準優勝を果たすなど、クラブの歴史的な躍進を支える存在となりました。

FC町田ゼルビアでは公式戦通算77試合に出場し5得点7アシストを記録し、リーグ戦では58試合に出場し5得点を記録する活躍を見せました。

退団にあたっては「このクラブでサッカー選手としても一人の人間としても多くのことを学び、経験することができました」と、古巣への感謝を口にしています。

セルビアでの経歴

2026年8月、「ヨーロッパに戻りたいという強い思いがありました」と語り、セルビアの名門レッドスター・ベオグラード(現地名:ツルヴェナ・ズヴェズダ)との間で、1年の延長オプションが付いた3年契約に合意したことが発表されました。

レッドスター・ベオグラードはセルビア国内で圧倒的な実績を誇る名門クラブで、1991年には旧ユーゴスラビアのクラブとして唯一となる欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)制覇を成し遂げた歴史を持ちます。

移籍金は約2億円とされ、背番号は3番に決定しています。

移籍にあたり本人は「今の自分にとって、今回が海外へ挑戦する最後のチャンスだと思い、このタイミングで挑戦することを決めました」とコメントしています。

オランダ、イングランドでのプレー経験を積んだ中山雄太にとって、セルビア・スーペルリーガという新たなリーグでの挑戦は、選手としてさらに大きなステップアップを目指すものになります。

29歳での新たな海外挑戦は、欧州でプレーする最後のチャンスとの思いから決断したものであり、名門クラブでの今後の活躍が期待されています。

日本代表での経歴

2016年10月にはU-19日本代表としてAFC U-19選手権バーレーン大会に出場しました。

準決勝を除く5試合で冨安健洋とセンターバックのコンビを組み、全試合を無失点に抑える堅守を披露して、大会初優勝という快挙に貢献しています。

続く2017年にはU-20日本代表としてFIFA U-20ワールドカップに出場しています。

2019年6月17日に行われたコパ・アメリカのチリ代表戦でA代表デビューを果たしました。

この時のコパ・アメリカ日本代表は、翌年に控えた東京オリンピックを見据えて編成された若手主体のメンバー構成で、中山雄太を含む東京オリンピック世代の選手たちが数多く抜擢されたことでも注目を集めました。

南米の強豪国を相手にアウェイの厳しい環境で戦う中、中山雄太自身も「完全アウェイの中で自分たちのプレーを出せるように」と意気込みを語り、大きな経験を積む大会となりました。

2021年にはU-24日本代表として東京オリンピックに出場し、左サイドバックとして全6試合に出場、チームのベスト4進出に貢献しています。

その後もA代表としてコンスタントに招集され続け、国際Aマッチ通算22試合に出場しています。

 

中山雄太の年俸は?

中山雄太の年俸は?

年俸は、プロキャリアをスタートさせた2015年の柏レイソル時代には360万円とされ、J1リーグの新人選手としては標準的な水準でした。

その後は出場機会の増加とともに徐々に上昇し、2016年には480万円、2017年には1,000万円、そしてベストヤングプレーヤー賞を受賞した実績もあり2018年には2,500万円まで増額されました。

そして、2019年にオランダのPECズヴォレへ完全移籍したことで年俸は一気に跳ね上がり、6,800万円に。

この金額は在籍期間中の2021年まで据え置かれました。

2022年にイングランドのハダースフィールド・タウンFCへ移籍した際は5,700万円となり、海外1年目からは若干の減額となったものの、依然として高水準を維持しました。

2024年にFC町田ゼルビアへ復帰すると年俸は6,900万円に上昇し、2025年には7,300万円まで増額。

2026年もこの水準が維持され、チーム内でも上位に位置する待遇でプレーしていました。

同年にセルビアの名門レッドスター・ベオグラードへ移籍したことで、今後の年俸はさらなる上昇が見込まれています。

※金額は推定です。

 

中山雄太の家族は?

中山雄太の家族は?

家族構成は、父・母・兄・姉・本人の5人家族で、本人は末っ子にあたります。

茨城県龍ケ崎市で生まれ育ち、家族全員がスポーツに親しむ活発な家庭環境の中で育ちました。

父親の貴博さんは教員で、学生時代は剣道に打ち込んでいたそうです。

母親のゆたかさんも教員で、バスケットボールの経験があり、中山雄太が柏レイソルのジュニアユースへ入団する際の交渉でも大きな役割を果たしたと伝えられています。

両親がともに教育者であったことから、幼少期から文武両道の精神を大切にする家庭で育てられました。

のまさひとさんは、中山雄太と同じくサッカー経験者で、現在は教師として数学を教えながら家庭を築いています。

幼い頃はこの兄の影響を受けてサッカーを始めたとされ、兄弟でボールを追いかけた日々が現在の活躍の原点になっているようです。

もバレーボールやサッカーの経験があるスポーツウーマンで、すでに結婚し家庭を持っています。

幼少期から兄や姉とともに体を動かす機会に恵まれたことが、中山雄太自身の高い運動能力や負けん気の強さを育んだとも考えられます。

柏レイソルから海外、そして再びJリーグへと転々とするキャリアの中でも、家族の存在は変わらず彼の心の支えであり続けているようです。

家族全員が中山雄太の一番の理解者であり、温かい支えが彼の現在の活躍を後押ししていることは間違いありません。

 

中山雄太は結婚している?彼女は?

中山雄太は結婚している?彼女は?

2026年現在、結婚しているという確かな情報や、彼女に関する発表はされていません

プライベートに関しては非常に慎重な姿勢を貫いており、公の場で恋愛や結婚について語ることはほとんどありません。

これまでメディアやSNSを通じて交際報道や結婚の発表があった形跡はなく、恋愛事情についても多くは知られていません。

柏レイソルからオランダ、イングランド、そして日本と海外を行き来する多忙なキャリアを歩んできたこともあり、サッカーに集中する日々を送ってきたことがうかがえます。

そして2026年にはセルビアへの新たな挑戦も始まり、私生活よりもキャリアに軸足を置いた生活が続いているとみられます。

アキレス腱断裂という大きな怪我からの復帰も経験しており、まずはサッカー選手としての再起と新天地での活躍に集中したいという思いが強いのかもしれません。改めて海外へ飛び込む決断をしたタイミングだからこそ、なおさら私生活の話題は後回しになっているとも考えられます。

今後、恋愛や結婚に関する報告があることを期待して待ちましょう。

 

まとめ

ここまで中山雄太の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。

海外で活躍し、サッカー日本代表にも召集されています。

今後の活躍がますます期待されます。

これからも、 中山雄太の活躍に注目していきましょう!

 

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