久保裕也のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は?

久保裕也のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は? サッカー

久保裕也は、アメリカ・MLSのFCシンシナティに所属し、フォワード・ミッドフィールダーとして活躍した元プロサッカー選手です。

かつてはサッカー日本代表としても活躍し、多くの注目を集めました。

2026年3月には、現役引退を発表しています。

出身地はどこで、どんな経歴を持っていたのでしょうか?
年俸はどのくらいだったのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?

この記事では久保裕也のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。

 

久保裕也とはどんな選手なのか?

プロフィール

久保裕也(くぼ ゆうや)は1993年12月24日生まれ、山口県山口市出身の元プロサッカー選手です。

最終所属はアメリカ・MLSのFCシンシナティで、背番号は7番をつけていました。

身長178cm、体重72kg、利き足は右足、愛称は「スシボンバー」です。

ボールを扱う技術の高さと豊富な運動量を武器に、狭いスペースでも高いパフォーマンスを発揮するプレースタイルが持ち味でした。

ポジションと特徴

ポジションはフォワードで、主にセカンドストライカーとして起用されることが多かったものの、守備的ミッドフィールダーやウイングとしてもプレーできる万能型の選手でした。

特徴としてまず挙げられるのがボールを扱う技術の高さです。

狭いスペースでも冷静にボールをキープし、局面を打開するプレーに定評がありました。

また、豊富な運動量も大きな強みでした。

前線からの守備や広範囲を動き回るハードワークでチームに貢献し、フォワードだけでなくサイドバックやボランチなど複数のポジションでも高いパフォーマンスを発揮しました。

さらに、狭いスペースでの動きやすさも持ち味の一つで、密集地帯でも臆することなくボールを引き出し、数多くのチャンスを生み出しました。

 

久保裕也の出身地は?

久保裕也の出身地は?

出身地は山口県山口市

出身地は、山口県山口市です。

山口市は山口県のほぼ中央に位置する県庁所在地で、周南市や宇部市、防府市、萩市などと隣接しており、室町時代には大内文化が花開き「西の京」とも呼ばれた、歴史と自然が調和した落ち着いた街です。

市内には国宝に指定されている「瑠璃光寺五重塔」があり、日本三名塔の一つに数えられる貴重な建築物として、多くの観光客が訪れています。

また、市内中心部からほど近い「湯田温泉」は山口県を代表する温泉街として知られ、宿泊施設や足湯が立ち並び、多くの人々に親しまれています。

市内を流れる「一の坂川」は、春になると桜並木が美しく色づき、初夏には清流にゲンジボタルが乱舞する光景で知られ、四季を通じて市民や観光客の目を楽しませています。

特産品としては、渋い朱色に金箔をあしらった伝統工芸品「大内塗」や、山口市民に長く愛されてきた銘菓「外郎(ういろう)」などが有名です。

有名人としては、お笑いタレントの中田敦彦さん、卓球選手の石川佳純さん、柔道家の大野将平さんなど、多彩な分野で活躍する人材を輩出しています。

このように、山口市は歴史、温泉、伝統工芸といった魅力が調和した、落ち着きと活気を兼ね備えた街です。

小学校、中学校、高校、大学は?

小学校は、山口市立大歳小学校に通いました。

この時期からサッカーを始め、地元のサッカークラブに所属しながら技術を磨いていきました。

中学校は山口市立鴻南中学校に進学し、2年生の時にJリーグクラブのスカウトの目に留まり、下部組織でプレーするようになりました。

高校は京都府の立命館宇治高等学校へ進学。

同校に通いながら、Jリーグクラブの下部組織でプレーを続けました。

大学へは進学せず、高校卒業と同時にプロの道へ進みました。

 

久保裕也の経歴は?

年 クラブ 出場 得点
2011-2013 京都サンガF.C. 66 18
2013-2016 BSCヤングボーイズ 104 26
2017-2020 KAAヘント 62 22
2018-2019 1.FCニュルンベルク(期限付き移籍) 22 1
2020-2025 FCシンシナティ 146 15

プロ入り前の経歴

5歳の頃からサッカーを始め、小学校時代はFC山口でディフェンダーとしてプレーしていました。

中学校時代にフォワードへ転向すると、2年生の時に京都サンガF.C.のスカウトの目に留まり、下部組織でプレーするようになりました。

中学3年生の時には全国中学校サッカー選手権大会に出場し、国民体育大会にも山口県代表として出場するなど、着実に力をつけていきました。

高校時代は、京都サンガF.C.U-18でプレー。

15歳で親元を離れて京都での生活をスタートさせ、Jリーグユース選手権では「黄金世代」と呼ばれた同期のチームを準決勝まで導く活躍を見せました。

大学へは進学せず、高校3年時の2010年8月にトップチームの2種登録選手となり、着実にプロへの道を歩んでいきました。

Jリーグでの経歴

2011年、京都サンガF.C.で正式にトップチームに昇格し、Jリーグでのキャリアをスタートさせました。

J2リーグデビュー戦でいきなり先発ゴールを記録すると勢いに乗り、その年はリーグ戦30試合に出場して10得点を記録し、わずか17歳にしてチーム得点王に輝きました。

同年の天皇杯でも存在感を発揮し、準決勝の横浜F・マリノス戦では途中出場から延長戦の決勝ゴールとアシストを記録してチームを決勝へ導きました。

決勝のFC東京戦でも途中出場からゴールを挙げましたが、チームは敗れ準優勝に終わっています。

2012年もリーグ戦20試合に出場し1得点を記録しました。

2013年にはロアッソ熊本戦でプロ初となるハットトリックを達成するなど、京都サンガの攻撃を牽引する存在へと成長しました。

その活躍が評価され、2013年にはスイスの名門・BSCヤングボーイズへの完全移籍が決定しました。

スイスでの経歴

2013年6月、京都サンガF.C.からスイス1部のクレディ・スイス・スーパーリーグ、BSCヤングボーイズへ完全移籍しました。

7月のシーズン開幕戦でデビューを飾ると、開幕から3試合目のFCトゥーン戦ではベンチから出場して2ゴール1アシストを記録するなど早速結果を残しました。

移籍1年目からリーグ戦34試合に出場して7得点5アシストを記録し、チームの3位入賞とヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献しました。

その後も攻撃的ミッドフィルダーとしてプレーの幅を広げ、ヨーロッパリーグでは岡崎慎司に続いて日本人として2人目となる1試合2得点を記録するなど存在感を発揮しました。

2015-16シーズンには自己最多となるリーグ戦29試合で9得点6アシストを記録し、チームの2位入賞に貢献しました。

国内リーグ戦の通算成績は104試合に出場して26得点でした。

その活躍が評価されて、2017年にはベルギーの強豪KAAヘントへの移籍が決定しました。

ベルギーでの経歴 1

2017年1月、移籍金350万ユーロでベルギー1部のジュピラー・プロ・リーグ、KAAヘントへ完全移籍しました。

新天地でのデビュー戦では27ヤードのフリーキックを直接決めるなど早速インパクトを残し、レギュラーシーズン残り7試合で5ゴールを記録しました。

プレーオフでも全10試合に先発出場して6得点を挙げ、両クラブ合計で23ゴールを記録してシーズンを終えました。

2017-18シーズンもリーグ戦37試合で11得点を記録するなど得点力を発揮し、ベルギーでも屈指のストライカーとしての評価を確立していきました。

ドイツでの経歴

2018年8月、KAAヘントとの契約を延長したうえで、ドイツ1部・ブンデスリーガの1.FCニュルンベルクへ期限付き移籍しました。

ニュルンベルクは久保に完全移籍させるオプションを確保したうえでの獲得でしたが、慣れないブンデスリーガの厳しい戦いの中で出場機会は限られ、リーグ戦22試合の出場で1得点にとどまりました。

シーズン終了後にオプションが行使されることはなく、2019年5月にKAAヘントへ復帰することになりました。

ベルギーでの経歴 2

2019年、期限付き移籍先のドイツから古巣KAAヘントへ復帰しました。

移籍前ほどの出場機会には恵まれず、2019-20シーズンのリーグ戦出場は6試合にとどまったものの、ベルギーカップでは1試合に出場して1得点を記録しました。

ベルギーでの3シーズン半を含む国内リーグ戦通算では62試合に出場して22得点を記録しました。

2020年1月にはアメリカ・MLSのFCシンシナティへの完全移籍を果たしました。

アメリカでの経歴

2020年1月、日本人選手として史上初めてMLSの指定選手(デジグネイテッドプレイヤー)契約でFCシンシナティに完全移籍しました。

3月のニューヨーク・レッドブルズ戦でクラブデビューを果たすと、次戦では早速新天地初ゴールを記録しました。

2021年シーズンからはより汎用性の高い守備的ミッドフィルダーへとポジションを転向し、フォワード、サイドバック、ボランチなど様々な役割を任されるようになりました。

2024年6月には約1カ月の負傷離脱から復帰した試合でわずか9分でハットトリックを達成する活躍を見せました。

同年はクラブ加入以来最多となる11得点を記録し、7月には歴代最多出場記録も更新しました。

2025年11月、FCシンシナティとの契約解除が双方合意のもとで発表されました。

国内リーグ戦通算では146試合に出場して15得点を記録しました。

2026年3月、自身のSNSを通じて現役引退を発表しました。

日本代表での経歴

U-16日本代表やU-17日本代表として国際大会を経験すると、出場9試合で5得点を記録しました。

さらにU-18日本代表、U-19日本代表としても活躍の場を広げ、18試合に出場して15得点という高い得点力を発揮しました。

2012年2月には、キリンチャレンジカップのアイスランド戦でA代表に初めて選出されましたが、出場はありませんでした。

世代別ではU-22日本代表としてリオデジャネイロ五輪を目指すメンバーに名を連ねましたが、チーム内の他のフォワード選手の負傷により大会直前で所属クラブ・ヤングボーイズへ呼び戻されることとなり、五輪本大会への出場は叶いませんでした。

U-23日本代表としてはAFC U-23選手権2016やトゥーロン国際大会にも出場し、世代別代表としてU-22/23で12試合4得点を記録しています。

2016年11月11日、キリンチャレンジカップのオマーン代表戦でA代表デビューを果たしました。

2017年3月23日には2018 FIFAワールドカップ・アジア最終予選のUAE代表戦で代表初ゴールとアシストを記録する活躍を見せました。

続く3月28日のタイ代表戦でも1得点2アシストと結果を残しました。

その後もブラジル代表やベルギー代表との国際親善試合などに出場を重ね、国際Aマッチ通算13試合に出場して2得点を記録しました。

しかし2018年を最後に日本代表からは遠ざかり、ロシアワールドカップのメンバー入りは叶いませんでした。

 

久保裕也の年俸は?

久保裕也の年俸は?

年俸は、プロキャリアをスタートさせた2011年の京都サンガF.C.時代には400万円ほどとされ、J2ルーキーとしては標準的な水準でした。

チーム得点王としての活躍が評価された2012年には1,000万円に上昇し、着実にステップアップを果たしていきます。

2013年にスイスの名門・BSCヤングボーイズへ移籍すると年俸は1,300万円となりました。

その後も活躍に応じて増額が続き、2014年には1,500万円、2015年には2,500万円、契約を延長した2016年には3,000万円にまで上昇しました。

そして2017年、ベルギーの強豪KAAヘントへ完全移籍したことで年俸は一気に跳ね上がり、1億1,000万円に到達しました。

日本人選手としてもトップクラスの水準となりました。

ドイツの1.FCニュルンベルクへ期限付き移籍していた2018年から、ヘントに復帰した2019年にかけては9,000万円で推移しました。

2020年にアメリカ・MLSのFCシンシナティへ移籍した当初も同水準の9,000万円だったと報じられています。

その後もシンシナティでの活躍とともに年俸は上昇を続け、2022年頃には2億円に到達したと伝えられています。

2024年にはMLS選手会が公表した年俸データによると、基本給は2億460万円、諸手当を含めた総額は2億2,197万円に達していたことが明らかになっています(1ドル=150円で換算)。

このように、久保裕也の年俸は日本、ヨーロッパ、アメリカと活躍の舞台を広げるたびに大きく上昇しており、各国での実力が高く評価されていたことがうかがえます。

※金額は推定です。

 

久保裕也の家族は?

久保裕也の家族は?

家族構成は、父・母・本人・兄の4人家族です。

父親は武道家で、大変厳格な人物です。

本人は「厳しい父親だったので1秒たりともグレる時間がなかった」と振り返っています。

武道を通じた規律ある家庭環境が、現在の人間性の土台になったと考えられます。

母親についても、家族を支えながら本人のサッカー人生を温かく見守ってきたとされています。

兄にあたる久保武大さんは2歳年上で、福岡ユースを経て流通経済大学サッカー部でプレーした元サッカー選手です。

現在はドイツの下部リーグでプレーしているとされています。

恩師によれば、兄は練習前後の振る舞いまで手本となる選手だったといい、久保裕也自身も「兄貴がいたからここまで来た」と語っています。

兄への対抗心が自身を成長させた大きな要因だったと言えます。

家族全員が久保裕也のサポーターであり今の久保裕也を支えてきたことは言うまでもありません。

 

久保裕也は結婚している?彼女は?

久保裕也は結婚している?彼女は?

久保裕也は結婚しており、現在は妻と3人の子どもとの5人家族で暮らしています。

結婚相手や結婚時期について公になっている詳細な情報はありません。

現役時代からプライベートを大切にする姿勢を貫いており、家族についてメディアで多くを語ることはありませんでした。

現在の住まいは大きな一軒家で、セキュリティが整った住宅街の中にあります。

敷地内には居住者専用のプールやバーベキュー場も備わっているといいます。

本人は「子供が1人だったら(ヨーロッパで暮らしても)不自由はないけれど、うちは3人いるので」と語っています。

3人の子どもたちがのびのびと育つ環境を重視してアメリカでの生活を選んだことがうかがえます。

休日にはアメリカならではの農場イベントや子ども向けのアクティビティ、警察主催の地域イベントなど多彩な催しを家族で楽しんでいます。

充実したファミリーライフを送っている様子がうかがえます。

プロサッカー選手としてのキャリアに区切りをつけた今、家族との時間を大切にしながら、次のステージへの準備を進めています。

 

まとめ

ここまで久保裕也の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。

海外で活躍し、サッカー日本代表にも選出されました。

2026年3月に現役引退を発表し、新たな人生のステージへと歩みを進めています。

これからも、久保裕也の今後の活動に注目していきましょう!

 

タイトルとURLをコピーしました