原口元気のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は?

原口元気のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は? サッカー

原口元気は、ベルギー2部リーグのKベールスホットVAに所属し、ミッドフィールダーとして活躍するプロサッカー選手です。

また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。

出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?

この記事では原口元気のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。

 

原口元気とはどんな選手なのか?

プロフィール

原口元気(はらぐちげんき)は1991年5月9日生まれ、埼玉県熊谷市出身のプロサッカー選手です。

現在はベルギー2部リーグのKベールスホットVAに所属し、背番号は78番をつけています。

身長180cm、体重68kg、利き足は右足、愛称は「ゲンキ」「江南の鷹」です。

豊富な運動量とロングレンジからのシュートを武器に、中盤の複数のポジションをこなすミッドフィールダーです。

ポジションと特徴

ポジションはミッドフィールダーで、サイドハーフやインサイドハーフ、ボランチなど中盤のさまざまな位置でプレーします。

フォワードやディフェンダーとしても登録される、多彩なプレーヤーです。

特徴としてまず挙げられるのが豊富な運動量です。

2018年のロシアワールドカップでは右サイドハーフのレギュラーとして、攻守にわたる運動量でチームのベスト16進出に貢献しました。

また、ロングレンジからの得点力も彼の大きな強みです。

ハノーファー96時代には、ドイツ2部の前半戦を終えた時点で、ロングレンジから決めたゴール数がリーグ単独最多となりました。

さらに、複数のポジションをこなす適応力も見逃せません。

ユース時代は左ウィング、浦和レッズでは1トップやシャドー、ウニオン・ベルリンではインサイドハーフと、チームの戦い方に合わせて役割を変えてきました。

 

原口元気の出身地は?

原口元気の出身地は?

出身地は埼玉県熊谷市

出身地は、埼玉県熊谷市です。

熊谷市は埼玉県の北部に位置し、深谷市や行田市、群馬県の太田市などと隣接する人口約19万人の市です。

江戸時代には中山道の宿場である熊谷宿が置かれて栄え、現在もJR上越新幹線や高崎線が通る交通の要衝となっています。

なかでも有名なのが「妻沼聖天山 歓喜院」です。

埼玉県内で唯一の建造物国宝として知られ、多くの参拝客や観光客が訪れる熊谷市を代表する名所です。

このほか、荒川沿いの「熊谷桜堤」は日本さくら名所100選のひとつで、春には多くの花見客でにぎわいます。

夏の暑さでも知られ、2018年7月23日には最高気温41.1℃を観測し、当時の国内観測史上最高気温を記録しました。

関東最大の祇園祭といわれる「熊谷うちわ祭」や「熊谷花火大会」など、夏の行事も盛んです。

地元で作られたかき氷「雪くま」や、埼玉三大銘菓のひとつに数えられる「五家宝」も名物です。

また、「熊谷ラグビー場」は埼玉パナソニックワイルドナイツの本拠地としても知られ、スポーツが盛んな街でもあります。

有名人としては、小説家の森村誠一さん、女子プロレスラーでタレントのダンプ松本さん、櫻坂46の小林由依さんなど、さまざまな分野で活躍する人物を輩出しています。

このように、熊谷市は歴史、自然、スポーツといった魅力が融合した、住みやすく魅力あふれる街です。

小学校、中学校、高校、大学は?

小学校は、熊谷市立別府小学校に通いました。

この時期から地元のサッカークラブでボールを蹴り始め、その才能を育んでいきました。

中学校は熊谷市立別府中学校に進学し、この頃はJリーグの下部組織でプレーしながら技術を磨いていました。

高校は西武台高等学校へ進学し、のちに通信制のウィザス高等学校へ転校しました。

大学へは進学せず、高校在学中にプロの道へ進みました。

 

原口元気の経歴は?

年 クラブ 出場 得点
2009-2014 浦和レッズ 167 33
2014-2018 ヘルタ・ベルリン 91 4
2018 フォルトゥナ・デュッセルドルフ(期限付き移籍) 13 1
2018-2021 ハノーファー96 94 15
2021-2023 1.FCウニオン・ベルリン 41 2
2023-2024 VfBシュトゥットガルト 13 0
2024-2025 浦和レッズ 31 1
2025- KベールスホットVA

プロ入り前の経歴

幼少期からサッカーに親しみ、小学校時代は江南南サッカー少年団の主力選手として活躍しました。

2003年の第27回JFA全日本U-12サッカー選手権大会では、優勝に貢献しています。

同年のJFA全日本U-12フットサル選手権大会にも出場し、決勝では6ゴール7アシストと全ゴールに絡む活躍を見せて優勝し、二冠を達成しました。

中学校時代は浦和レッズジュニアユースに所属し、2005年には高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会と日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会の2大会で優勝を経験しました。

その後は飛び級で浦和レッズユースに昇格しました。

高校時代は浦和レッズユースで主に3トップの左ウィングとして起用されました。

ユース1年目からJサテライトリーグの試合に出場し、2008年5月23日付で2種登録選手としてトップチームに登録されました。

5月25日のナビスコカップ・名古屋グランパス戦で公式戦デビューを飾っています。

同年の高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会の決勝では1得点2アシストを記録し、優勝に貢献しました。

大学へは進学せず、プロの道へ進みました。

Jリーグでの経歴 1

2009年1月30日に浦和レッズとプロ契約を締結しました。

日本人としてはクラブ史上最年少でのプロ契約でした。

開幕戦の3月7日、鹿島アントラーズ戦でスタメンに名を連ね、Jリーグ初出場を果たします。

4月12日の第5節・名古屋グランパス戦では途中出場から得点を決め、クラブの日本人最年少ゴールとなる17歳11か月3日での得点を記録しました。

この年は32試合に出場し、1得点を記録しています。

2010年は途中出場が多かったものの、第10節・名古屋グランパス戦で決勝点を挙げました。

この年は26試合に出場し、2得点でした。

2011年は開幕からレギュラーに定着し、30試合に出場し、チームトップの9得点を挙げます。

この活躍により、ナビスコカップのニューヒーロー賞を受賞しました。

2012年は1トップでの起用が多く、リーグ戦では32試合に出場し、6得点でした。

2013年は主にシャドーの位置で出場し、33試合に出場し、11得点を挙げて、初めてリーグ戦で二桁得点を記録しました。

2014年からは、福田正博さんや永井雄一郎さんがつけていた背番号9を背負います。

この年はリーグ戦で14試合に出場し、4得点を記録し、5月にドイツのヘルタ・ベルリンへの完全移籍が発表されました。

ドイツでの経歴

2014年5月25日、ドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンへ完全移籍することが発表されました。

契約期間は2014年6月から4年間でした。

公式戦デビューとなったDFBポカール1回戦のSCフォルトゥナ・ケルン戦で、左MFとして先発し、移籍後初ゴールを挙げます。

2015年3月14日のシャルケ04戦には途中出場し、ブンデスリーガ初ゴールを記録しました。

2016年3月19日のFCインゴルシュタット04戦では1得点1アシストの活躍で、マン・オブ・ザ・マッチに選出されています。

2017年10月1日のバイエルン・ミュンヘン戦では、ドイツ代表の3選手を抜き去ってアシストを記録し、マン・オブ・ザ・マッチとベストイレブンに選ばれました。

ヘルタ・ベルリンではリーグ戦で91試合に出場し、4得点を記録しました。

2018年1月23日、フォルトゥナ・デュッセルドルフへのレンタル移籍が発表されました。

1月27日のカイザースラウテルン戦では1ゴール1アシストの活躍で、マン・オブ・ザ・マッチに選出されます。

この期間は13試合に出場し、1得点を挙げ、チームの1部昇格に貢献しました。

2018年6月12日、ハノーファー96へ2021年6月までの3年契約で完全移籍することが発表されました。

11月25日のボルシア・メンヒェングラートバッハ戦では、ブンデスリーガ1部通算100試合出場を達成しています。

2018-19シーズンは28試合に出場したものの無得点に終わり、チームは2部に降格しました。

2019年11月25日のダルムシュタット戦で、ハノーファーでの初ゴールを決めます。

2020-21シーズンはリーグ戦全34試合にスタメン出場し、9得点7アシストを記録しました。

ハノーファーでは通算で94試合に出場し、15得点を挙げています。

2021年5月27日、1.FCウニオン・ベルリンへ完全移籍することが発表されました。

12月にはドイツのビルド紙で、前半戦のチームMVPに選ばれています。

2022年2月26日のマインツ戦で、移籍後初ゴールとなる先制点を決めました。

シーズンを通してインサイドハーフとしてレギュラーに定着し、リーグ戦では30試合に出場し、2得点6アシストを記録します。

チームは5位でフィニッシュし、クラブ史上初のヨーロッパリーグ出場権の獲得に貢献しました。

この時期、ヘルタ・ベルリンとウニオン・ベルリンの両方でプレーした初めての選手として、ドイツの現地メディアに紹介されています。

2023年1月30日、VfBシュトゥットガルトへ2024年6月30日までの契約で完全移籍することが発表されました。

シュトゥットガルトではリーグ戦で13試合に出場したものの、得点は記録できませんでした。

2024年5月18日、リーグ戦最終節のボルシア・メンヒェングラートバッハ戦の後に、今シーズン限りでの退団が発表されました。

Jリーグでの経歴 2

2024年9月1日、浦和レッズへ完全移籍で加入することが発表されました。

10年ぶりの復帰となり、背番号は78です。

この背番号は、長男の誕生日である7月8日にちなんだものです。

9月14日のJ1第30節・ガンバ大阪戦に出場し、チームの勝利に貢献しました。

2025年のシーズンには、副キャプテンに就任しています。

この年はFIFAクラブワールドカップ2025にも出場しました。

復帰後のJ1リーグでは、31試合に出場し、1得点を記録しました。

2025年9月5日には、海外クラブへの移籍を前提とした手続きと準備のため、チームを離脱することが発表されます。

ベルギーでの経歴

2025年9月8日、ベルギーの移籍期間最終日に、チャレンジャー・プロリーグのKベールスホットVAへ完全移籍することが発表されました。

契約は、1年延長オプションが付いた1年契約です。

クラブのニュースリリースでは、現役引退後はヨーロッパで監督としてのキャリアを積みたいという意向にも触れられています。

背番号は、浦和レッズ復帰時と同じ78です。

クラブは契約の延長オプションを行使し、2026-27シーズンも契約を継続しています。

2025-26シーズンは、リーグ戦で26試合に出場し、3得点を記録しました。

2026年4月27日の昇格プレーオフ・パトロ・エイスデン戦の第2戦では、延長戦の116分に決勝ゴールを決めます。

チームは3-2で勝利し、2戦合計4-3で勝ち上がりましたが、昇格には届きませんでした。

日本代表での経歴

世代別代表では、U-16日本代表、U-18日本代表、U-19日本代表、U-20日本代表、U-22日本代表、U-23日本代表と各年代で選出されました。

2008年のAFC U-19選手権2008では、1試合に出場しています。

U-22日本代表としてはロンドン五輪のアジア最終予選に出場しましたが、ロンドン五輪の大会メンバーからは落選しました。

2011年10月7日、キリンチャレンジカップのベトナム戦でA代表デビューを果たしました。

2013年のEAFF東アジアカップに出場し、日本代表の優勝に貢献しています。

2015年6月に約2年ぶりに代表へ招集され、6月11日のイラク戦で日本代表初ゴールを決めました。

2016年のワールドカップ最終予選では、タイ戦、イラク戦、オーストラリア戦、サウジアラビア戦で4試合連続ゴールを記録します。

これはワールドカップ最終予選では史上初となる記録でした。

2018年のロシアワールドカップのメンバーに選出され、右サイドハーフのレギュラーとして日本のベスト16進出に貢献しました。

決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では先制点となる自身のワールドカップ初ゴールを挙げ、日本人として初めて決勝トーナメントで得点を挙げた選手となりました。

2019年1月のAFCアジアカップ2019にも出場しましたが、決勝でカタールに敗れました。

2022年11月、カタールワールドカップに向けた代表メンバーの発表では、落選となっています。

日本代表としては2011年から2022年にかけて、国際Aマッチ通算74試合に出場し、11得点を記録しました。

 

原口元気の年俸は?

原口元気の年俸は?

年俸は、2009年に浦和レッズでプロ契約を結んだ当時、700万円とされています。

2010年の年俸の詳細な情報はありません。

2011年は700万円、2012年は1,000万円、2013年は1,500万円と、活躍に合わせて増えていきました。

2014年には2,500万円となり、この年の6月にドイツのヘルタ・ベルリンへ移籍します。

ヘルタ・ベルリンでの年俸は、2014-15シーズンが8,000万円、2016-17シーズンが9,300万円と報じられています。

2018年に加入したハノーファー96では2億円、2019年以降は2億2,000万円に上昇しました。

ウニオン・ベルリンでも2億2,000万円で、シュトゥットガルト時代は2億円とされています。

2024年に浦和レッズへ復帰した際の年俸の詳細な情報はありません。

2025年は1億1,500万円とされています。

ベールスホットでの年俸の詳細な情報はありません。

このように、原口元気の年俸は海外移籍を機に大きく上昇し、ドイツでは長く2億円前後の水準で活躍していたことがわかります。

※金額は推定です。

 

原口元気の家族は?

原口元気の家族は?

家族構成は、父・母・兄・本人・妹の5人家族です。

熊谷市で育った彼は、幼い頃から家族に囲まれてサッカーに打ち込み、才能を伸ばしていきました。

父親の一さんは、会社を経営する傍ら大学で教壇に立ち、自身も埼玉県のシニアリーグでプレーするサッカー好きです。

息子にサッカーの才能があると感じ、幼い頃からリフティングやヘディングの練習をさせるなど、厳しく指導したと伝えられています。

母親の玲子さんは獣医師として働きながら、家族を支えてきました。

負けず嫌いで集中力が高い性格は、父親によると母親によく似ているそうです。

兄は4歳年上の長男で、妹は1994年生まれです。

家族全員が原口元気の一番の理解者であり、温かい支えが彼の現在の成功に大きく貢献していることは間違いありません。

 

原口元気は結婚している?彼女は?

原口元気は結婚している?彼女は?

原口元気は結婚しています。

2015年8月30日に、フリーキャスターの原口るりこさん(旧芸名は香屋ルリコさん)と入籍しました。

3年半の交際を経ての結婚で、るりこさんは東京都西東京市出身です。

2016年1月には、ドイツで生活する夫のもとに生活拠点を移すため、所属していた芸能事務所を離れました。

2016年6月29日には、るりこさんの実家である神社で挙式を行っています。

子どもについては、2024年7月8日に長男が誕生しています。

家族との時間を大切にしながらプレーを続ける原口元気の、今後の活躍に期待して待ちましょう。

 

まとめ

ここまで原口元気の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。

海外で活躍し、サッカー日本代表にも選出されました。

今後の活躍がますます期待されます。

これからも、 原口元気の活躍に注目していきましょう!

 

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