前川黛也のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は?

前川黛也のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は? サッカー

前川黛也は、J1リーグのヴィッセル神戸に所属し、ゴールキーパーとして活躍するプロサッカー選手です。

また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。

出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?

この記事では前川黛也のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。

 

前川黛也とはどんな選手なのか?

プロフィール

前川黛也(まえかわ だいや)は1994年9月8日生まれ、広島県広島市安芸区出身のプロサッカー選手です。

現在はJ1リーグ所属のヴィッセル神戸でプレーしており、背番号は1番をつけています。

身長191cm、体重86kg、利き足は右足、愛称は「ダイヤ」です。

鋭い反応と守備範囲の広さ、高い足下の技術を武器に、神戸のゴールを守る頼れるゴールキーパーです。

ポジションと特徴

ポジションはゴールキーパーで、身長191cmの大型守護神です。

特徴としてまず挙げられるのが鋭い反応です。

シュートに対する反応が素早く、2020年のAFCチャンピオンズリーグ準決勝・蔚山現代戦でも、チームを救うセーブを何度も見せました。

また、守備範囲の広さも彼の大きな強みです。

ゴールを守る範囲が広く、チームの守備を後方から支えています。

さらに、足下の技術も見逃せません。

足でボールを扱う技術が高く、味方とパスをつないで攻撃の組み立てにも参加します。

 

前川黛也の出身地は?

前川黛也の出身地は?

出身地は広島県広島市安芸区

出身地は、広島県広島市安芸区です。

広島市の東部に位置し、呉市や東広島市、海田町、熊野町、坂町などと隣接する人口約7万7千人の区です。

1980年の政令指定都市移行と同時に設置され、広島市を構成する8つの区のなかで最も人口が少ない区です。

旧安芸郡の瀬野川町、熊野跡村、船越町、矢野町が、1973年から1975年にかけて広島市に編入された区域からなります。

区内には、標高568.1mの「絵下山」や、「瀬野川公園」といった自然を楽しめるスポットがあります。

鉄道は、JR山陽本線の瀬野駅や中野東駅、安芸中野駅、JR呉線の矢野駅が区内にあります。

矢野地区では、昭和初期まで「かもじ」と呼ばれるかつらの生産が盛んで、全国的に有名でした。

現在は衰退していますが、マツダの工場が近いことから、関連会社も多くあります。

有名人としては、元プロサッカー選手の森﨑和幸さん、プロ野球選手の山岡泰輔さん、演歌歌手の角川博さんなど、多彩な分野で活躍する人材を輩出しています。

このように、安芸区は歴史、自然、産業といった魅力がバランスよく融合した、暮らしやすい街です。

小学校、中学校、高校、大学は?

小学校は、父がJリーグクラブのスタッフを務めていた関係で、大分市立明野西小学校に通いました。

その後、父が広島県内のサッカースクールのコーチに就任したため、広島市立矢野西小学校に移りました。

この時期からJリーグの下部組織でプレーし、サッカーの基礎を身につけていきました。

中学校は広島市立矢野中学校に進学し、この頃もJリーグの下部組織でプレーしながら技術を磨いていました。

高校は広島県立広島皆実高等学校へ進学しました。

大学は関西大学へ進学しました。

 

前川黛也の経歴は?

年 クラブ 出場 得点
2017- ヴィッセル神戸

プロ入り前の経歴

幼少期は、父の所属チームの都合で、広島と大分で育ちました。

小学校時代は大分トリニータU-12でプレーし、のちにサンフレッチェ広島ジュニアへ移りました。

中学校時代はサンフレッチェ広島ジュニアユースに所属しました。

この頃はフィールドプレーヤーで、160cm台だった身長は中学3年生になると180cmに達しました。

急激な体格の変化による成長痛やけがという壁にぶつかり、ゴールキーパーへ転向しました。

当時、父は福山市に単身赴任中で、広島市の自宅に戻る毎週月曜日だけ、近所の公園でゴールキーパーの猛特訓を受けました。

しかし、サンフレッチェ広島ユースへの昇格はかないませんでした。

高校時代は、広島県立広島皆実高等学校のサッカー部でプレーしましたが、けがが多く、レギュラーのポジションをつかめませんでした。

大学時代は、唯一オファーをくれた関西大学のサッカー部に所属しました。

4年連続で全日本大学選抜に招集されるなど、世代屈指のゴールキーパーへと成長しています。

Jリーグでの経歴

2015年8月、大学在学中にセレッソ大阪に特別指定選手として登録されました。

登録期間は同年12月までで、2016年も関西大学でプレーを続けました。

2016年7月には、翌2017年シーズンからのヴィッセル神戸への加入が内定しました。

2017年、関西大学からヴィッセル神戸に加入しました。

1年目から背番号1を背負いましたが、韓国代表のキム・スンギュさんの存在もあり、この年は試合に出場する機会がありませんでした。

2018年も正ゴールキーパーはキムさんでしたが、11月3日の名古屋グランパス戦で先発に抜擢され、Jリーグデビューを果たしました。

試合前には、親交のある元ドイツ代表のルーカス・ポドルスキさんから「ミスしても楽しんでやれ。俺が点を取る」と声をかけられました。

その言葉どおりポドルスキさんが2得点を挙げ、神戸は2-1で勝利しました。

この試合の活躍もあり、残りのリーグ戦3試合にも先発し、この年のリーグ戦は4試合に出場しました。

シーズン終了後には、ドイツ2部のハンブルガーSVの練習に参加しています。

2019年もキムさんとのポジション争いとなり、キムさんが外国人枠の影響で出場できない試合では先発を任されました。

7月にキムさんが移籍し、同じ時期に飯倉大樹さんが加入したことで飯倉さんが正ゴールキーパーとなりましたが、この年のリーグ戦では自身最多の8試合に出場しました。

2020年は、新型コロナウイルスの影響による過密日程のなかで徐々に出場を増やし、シーズン中盤からレギュラーとして出場しました。

この年のリーグ戦は15試合に出場しています。

11月から再開されたAFCチャンピオンズリーグでもレギュラーとして出場しました。

準決勝の蔚山現代戦では、チームを救うセーブを何度も見せましたが、延長後半終了間際にペナルティエリア内で相手にファウルをしてPKを与え、その得点で敗れました。

前川自身は「敗因は僕のミス」とnoteに綴りましたが、大会を通してレギュラーとして活躍し、クラブ史上初出場の大会でのベスト4に貢献しました。

2021年は、飯倉さんの負傷もあって開幕スタメンをつかみ、その後もレギュラーに定着しました。

7月に自身が負傷して離脱し、その後は再び飯倉さんに正ゴールキーパーの座を譲りました。

この年のリーグ戦は19試合に出場しています。

2022年は、飯倉さんが怪我で出遅れたこともあり、3年連続で開幕戦に先発しました。

ロティーナ監督の体制ではレギュラーを完全に確保しましたが、6月末にロティーナ監督が解任されると、再び控えに回りました。

この年のリーグ戦は18試合に出場しています。

2023年は、飯倉さんが横浜F・マリノスに移籍したこともあり、開幕から先発を任されました。

この年はリーグ戦全34試合にフルタイム出場しました。

11月12日の浦和レッドダイヤモンズ戦では、フリーキックからのクロスボールをキャッチし、前線に残っていた大迫勇也さんへ送る好判断を見せ、Jリーグ初アシストを記録しました。

この年はリーグ3位の29失点に抑えてチームのJ1リーグ優勝に貢献し、フェアプレー個人賞も受賞しました。

2024年はリーグ戦37試合に出場し、チームのJ1リーグ連覇と天皇杯優勝に貢献しました。

2025年はリーグ戦全38試合に出場しています。

2017年から2025年までのJ1リーグ通算では、173試合に出場しています。

2026年のJ1百年構想リーグでも、13試合に出場しています。

日本代表での経歴

2015年、関西大学在学中にユニバーシアード日本代表に選出されました。

韓国の光州で開催された夏季ユニバーシアードで、日本は男子サッカーの銅メダルを獲得しています。

2021年3月には、国際親善試合の韓国代表戦とワールドカップアジア2次予選のモンゴル代表戦のメンバーに入り、A代表に初めて選出されました。

元日本代表ゴールキーパーの前川和也さんに続く選出で、親子二代での日本代表入りはJリーグ発足後初めてでした。

2023年11月16日のミャンマー代表戦で途中出場し、A代表デビューを果たしています。

2024年1月には、AFCアジアカップ2023のメンバーに選ばれましたが、鈴木彩艶さんの控えとなり、大会での出場はありませんでした。

同年6月6日には、ワールドカップアジア2次予選のミャンマー代表戦に出場しました。

国際Aマッチ通算では2試合に出場しています。

 

前川黛也の年俸は?

前川黛也の年俸は?

年俸は、プロ1年目の2017年には480万円とされています。

2018年は500万円、2019年は700万円と、少しずつ上昇しました。

レギュラーとして出場を重ねた2020年には1,000万円となり、2021年には1,500万円に増えています。

2022年は2,000万円、リーグ戦全試合に出場してJ1リーグ優勝に貢献した2023年は2,800万円とされています。

2024年には5,200万円へと大きく増額されました。

2025年と2026年も、同じ5,200万円とされています。

このように、前川黛也の年俸は神戸での出場機会の増加とともに、着実に上昇してきたことがわかります。

※金額は推定です。

 

前川黛也の家族は?

前川黛也の家族は?

家族構成は、父・母・本人・弟の4人家族です。

父が元日本代表のゴールキーパーという、サッカー一家で育ちました。

父親は、元日本代表ゴールキーパーの前川和也さんです。

1968年生まれで、長崎県平戸市の出身です。

サンフレッチェ広島や大分トリニータでプレーし、日本代表としては1992年に初選出され、17試合に出場しました。

現役引退後は指導者となり、サンフレッチェ常石サッカースクールのコーチなどを務めました。

母親は志穂さんです。

家族を支える献身的な存在であり、幼い頃から彼の成長を温かく見守ってきました。

弟の天良さんは1995年生まれで、兄と同じゴールキーパーとしてプレーしていました。

家族全員が前川黛也の一番の理解者であり、温かい支えが彼の現在の成功に大きく貢献していることは間違いありません。

 

前川黛也は結婚している?彼女は?

前川黛也は結婚している?彼女は?

2026年現在、前川黛也は結婚しています。

2017年10月22日に、学生時代から交際していた女性と入籍しました。

プロ入りした年の秋の出来事で、ヴィッセル神戸が11月9日に発表しています。

本人はクラブを通じて、明るく幸せな家庭を築くとともに、守るべき人が増えたことに責任感を持って精進していきたいとコメントしました。

お相手の詳しい情報は明らかになっていません。

2019年には長男が誕生し、父親にもなっています。

今後も家族に見守られながら、神戸のゴールを守り続けることが期待されます。

 

まとめ

ここまで前川黛也の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。

Jリーグで活躍し、サッカー日本代表にも選出されました。

今後の活躍がますます期待されます。

これからも、 前川黛也の活躍に注目していきましょう!

 

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