宇佐美貴史のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は?

宇佐美貴史のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は? サッカー

宇佐美貴史は、Jリーグのガンバ大阪に所属し、フォワードとして活躍するプロサッカー選手です。

また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。

出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?

この記事では宇佐美貴史のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。

 

宇佐美貴史とはどんな選手なのか?

プロフィール

宇佐美貴史(うさみたかし)は1992年5月6日生まれ、京都府長岡京市出身のプロサッカー選手です。

現在はガンバ大阪に所属し、背番号は7番をつけています。

身長178cm、体重69kg、利き足は右足、愛称は「うさみん」です。

ガンバ大阪におけるJリーグ通算最多得点者としても知られています。

突破力と決定力を持ち味とする、ガンバ大阪の攻撃を担うアタッカーです。

ポジションと特徴

ポジションはフォワードで、セカンドトップを務めます。

オフェンシブハーフやサイドハーフとしてもプレーします。

特徴としてまず挙げられるのが突破力です。

さらに、決定力も大きな強みです。

ユース時代から、シュートやパスといったアタッキング能力全般に定評がありました。

2010年のJ1リーグでは、日本人選手トップのシュート数を記録しています。

 

宇佐美貴史の出身地は?

宇佐美貴史の出身地は?

出身地は京都府長岡京市

出身地は、京都府長岡京市です。

長岡京市は京都府の南西部に位置し、京都市や向日市、大阪府の島本町などと隣接する人口約8万人の市です。

市名は、784年に桓武天皇が遷都した長岡京にちなんでいます。

JR長岡京駅周辺には、村田製作所などの企業が進出しています。

市内西部の西山地域には竹林が広がり、自然豊かな丘陵地帯となっています。

1972年10月に市制を施行して長岡市となりましたが、新潟県の長岡市との混同を避けるため、即日で長岡京市に改称しました。

なかでも有名なのが、八条ヶ池のキリシマツツジで知られる長岡天満宮です。

光明寺のもみじや、乙訓寺の牡丹も美しさで知られています。

毎年11月には、細川ガラシャにちなんだ長岡京ガラシャ祭が行われます。

春にはたけのこフェスタ、秋にはもみじめぐりなど、四季を通じて多くのイベントが開かれています。

特産物としては、京都式軟化栽培法という伝統農法で育てられる京たけのこが著名です。

食用の菜の花である花菜の産地でもあります。

有名人としては、サッカー選手の家長昭博さん、競歩選手の山西利和さん、競泳選手の高橋美帆さんなどを輩出しています。

このように、長岡京市は歴史ある名所と京たけのこといった魅力が揃った、魅力あふれる街です。

小学校、中学校、高校、大学は?

小学校は、長岡京市立神足小学校に通いました。

この時期から、地元のサッカークラブでプレーしていました。

中学校は長岡京市立長岡中学校に進学し、この頃はJリーグの下部組織でプレーしながら技術を磨いていました。

高校は向陽台高等学校へ進学しました。

大学へは進学せず、プロサッカー選手として活動しています。

 

宇佐美貴史の経歴は?

年 クラブ 出場 得点
2009-2011 ガンバ大阪 43 11
2011-2012 バイエルン・ミュンヘン 3 0
2011-2012 バイエルン・ミュンヘンII 18 6
2012-2013 ホッフェンハイム 20 2
2013-2016 ガンバ大阪 95 53
2016-2019 アウクスブルク 11 0
2017-2019 デュッセルドルフ 47 9
2019- ガンバ大阪

プロ入り前の経歴

幼少期からサッカーに親しみ、上の兄2人の影響で、1歳半の頃から自然とボールに触れ始めました。

小学校時代は、地元の長岡京サッカースポーツ少年団でプレーしています。

小学4年生から卒業まで毎年200点前後、合計で600点以上の得点を挙げ、地元では天才少年として知られていました。

中学校時代はガンバ大阪ジュニアユースに所属しています。

2005年6月には、U-13日本ユース選抜として出場したMBC国際ユース大会の決勝で、5人抜きのドリブルを披露しました。

2006年の高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権では、大会得点王となる10得点を挙げ、チームの初優勝に貢献しています。

2007年には、中学3年生で飛び級によりガンバ大阪ユースへ昇格しました。

高校時代はガンバ大阪ユースで背番号10を背負い、2008年12月のJユースカップでは優勝に貢献しています。

ガンバ大阪の下部組織では、史上最高傑作と称されました。

Jリーグでの経歴 1

2009年に、クラブ史上初となる高校2年生での飛び級で、ガンバ大阪のトップチームへ昇格しました。

5月20日のACLグループリーグ第6節、FCソウル戦に先発出場し、クラブ史上最年少となる17歳14日での公式戦初出場を果たしています。

この試合では、後半に公式戦初得点も記録しました。

5月24日のJ1第13節、鹿島アントラーズ戦でJリーグ初出場を果たしています。

この年のリーグ戦は3試合に出場という成績でした。

2010年は、4月24日のJ1第8節、FC東京戦でリーグ戦初得点を挙げています。

この年は26試合に出場し7得点を記録し、Jリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞しました。

2011年は14試合に出場し4得点という成績でした。

その後、ドイツへの期限付き移籍が決まりました。

ドイツでの経歴 1

2011年7月、ブンデスリーガのFCバイエルン・ミュンヘンへ期限付き移籍しました。

8月13日の第2節、ヴォルフスブルク戦でブンデスリーガ初出場を果たしています。

10月26日のDFBポカール2回戦、インゴルシュタット戦では、トップチーム初得点を決めました。

12月7日のUEFAチャンピオンズリーグ、マンチェスター・シティ戦では、日本人最年少でのCL初出場を記録しています。

2012年5月のCL決勝ではベンチ入りし、日本人初となる決勝のメンバー入りを果たしました。

2011-12シーズンのブンデスリーガでは3試合に出場しています。

セカンドチームのバイエルン・ミュンヘンIIでは18試合に出場し6得点を挙げました。

バイエルンが完全移籍のオプションを行使せず、1年で退団しています。

2012年5月、TSG1899ホッフェンハイムへの期限付き移籍が発表されました。

9月16日の第3節、フライブルク戦でブンデスリーガ初得点を決めています。

2012-13シーズンのリーグ戦では20試合に出場し2得点という成績でした。

2013年4月には、シーズン限りでの退団が発表されました。

Jリーグでの経歴 2

2013年6月、ガンバ大阪へ復帰しました。

7月20日のJ2第25節、神戸戦では、復帰初戦でいきなり2得点を挙げています。

10月のJ2第38節、徳島戦ではJリーグ初となるハットトリックを達成しました。

8月と11月にはJ2の月間MVPを受賞しています。

この年は18試合に出場し19得点を記録し、J2優勝とJ1復帰に貢献しました。

2014年は、2月に左足を負傷してシーズン前半戦を欠場しましたが、後半戦から主力として活躍しています。

J1では26試合に出場し10得点を記録しました。

Jリーグカップのニューヒーロー賞や、天皇杯の大会得点王にも輝いています。

Jリーグベストイレブンを初めて受賞し、チームの国内三冠に貢献しました。

2015年は、国内シーズン開幕戦のスーパーカップで決勝ゴールを挙げ、制覇に貢献しています。

リーグ戦は34試合に出場し19得点でした。

この19得点は、J1での自己最多記録です。

2016年は17試合に出場し5得点を記録し、6月にはドイツへの移籍が発表されました。

ドイツでの経歴 2

2016年6月、ブンデスリーガのFCアウクスブルクへ完全移籍しました。

4年契約で、移籍金は2億円と推定されています。

8月27日の開幕戦、ヴォルフスブルク戦で途中出場し、移籍後初出場を果たしました。

2016-17シーズンは11試合に出場しましたが、無得点に終わっています。

2017年8月30日、ドイツ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフへ期限付き移籍することが発表されました。

9月10日のウニオン・ベルリン戦で途中出場し、移籍後初ゴールを決めています。

5月13日の第34節、首位ニュルンベルクとの直接対決では、2点ビハインドからヘディングで得点し、逆転勝利を呼び込みました。

2017-18シーズンは28試合に出場し8得点を記録し、2部優勝と1部昇格に貢献しています。

2018年8月に、アウクスブルクとの契約を延長したうえで、再びフォルトゥナ・デュッセルドルフへ期限付き移籍することが発表されました。

2018-19シーズンは19試合に出場し1得点という成績でした。

Jリーグでの経歴 3

2019年6月24日、3年ぶりにガンバ大阪へ完全移籍で復帰することが発表されました。

復帰初戦のJ1第20節、名古屋戦では、試合終了間際に同点ゴールを決めています。

この年は14試合に出場し7得点を記録し、チームの残留に貢献しました。

2020年は30試合に出場し6得点、2021年は38試合に出場し6得点という成績でした。

2022年からは副キャプテンを務めましたが、3月6日の川崎戦で負傷し、右アキレス腱断裂と診断されて長期離脱を余儀なくされました。

10月1日の柏戦で先発復帰し、プロ初のキャプテンマークを巻いています。

この年は7試合に出場しています。

2023年からはチームキャプテンに就任し、遠藤保仁が着けていた背番号7を継承しました。

この年は29試合に出場し5得点を記録しています。

2024年は35試合に出場し12得点と、2015年以来となる二桁得点を記録しました。

6月と10月にはJ1の月間MVPを受賞し、クラブ史上初となる在籍中の通算100得点も達成しています。

J1の最優秀ゴール賞にも選ばれました。

2025年は29試合に出場し8得点という成績でした。

9月27日の新潟戦では、J1通算300試合出場を達成しています。

2026年は、新監督の就任に伴い4年ぶりにキャプテンを外れました。

J1百年構想リーグでは9試合に出場しましたが、無得点でした。

5月16日のACL2決勝、アル・ナスル戦には途中出場し、1-0の勝利で優勝を果たしました。

ガンバ大阪にとって、11シーズンぶり10個目のタイトルとなりました。

日本代表での経歴

2009年11月にU-17日本代表として出場したFIFA U-17ワールドカップでは、3試合で無得点に終わりました。

日本代表もグループリーグ3連敗で敗退しています。

2010年10月にはU-19日本代表として、AFC U-19選手権に出場しました。

グループリーグ第2戦のベトナム戦ではハットトリックを達成しています。

日本代表は準々決勝で敗退しました。

2012年8月にはU-23日本代表として、ロンドンオリンピックに出場しています。

4試合に出場しましたが無得点に終わり、チームもあと一歩でメダル獲得を逃しました。

2011年6月、キリンカップサッカー2011に出場する日本代表に、初めてA代表に選出されました。

この大会では出場機会がなく、フル代表デビューは4年後でした。

2015年3月、ハリルホジッチ体制の日本代表に約2年半ぶりに選出されます。

3月27日のチュニジア戦で後半から出場し、国際Aマッチ初出場を果たしました。

3月31日のウズベキスタン戦でも途中出場し、ドリブル突破から代表初ゴールを決めています。

2018年6月には、ロシアワールドカップのメンバーに選出されました。

グループリーグ第2戦のセネガル戦で途中出場し、W杯初出場を果たしています。

第3戦のポーランド戦ではスタメンとして出場しました。

2019年3月のボリビア戦が、代表での最後の試合となっています。

国際Aマッチには通算27試合に出場し3得点を記録しました。

 

宇佐美貴史の年俸は?

宇佐美貴史の年俸は?

年俸は、プロ入りから年数が経つにつれて、少しずつ上がっていきました。

ガンバ大阪に所属していた2014年は3,800万円、2015年は5,000万円、2016年は7,000万円となっています。

ドイツのFCバイエルン・ミュンヘンとTSG1899ホッフェンハイムでの年俸の詳細な情報はありません。

アウクスブルクとフォルトゥナ・デュッセルドルフでの年俸の詳細な情報もありません。

2019年に復帰したガンバ大阪では、2019年の年俸の詳細な情報はなく、2020年と2021年は8,000万円となっています。

2022年は1億円に上昇し、2023年と2024年は1億2,500万円でした。

2025年は1億4,000万円、2026年は1億3,000万円と言われています。

このように、ガンバ大阪での宇佐美貴史の年俸は、2014年の3,800万円から2022年に1億円となり、2025年以降は1億円台で推移しています。

※金額は推定です。

 

宇佐美貴史の家族は?

宇佐美貴史の家族は?

家族構成は、父・母・兄2人・本人の5人家族です。

父親については、職業などの詳細は明かされていませんが、ガンバ大阪のJリーグ発足時からの熱狂的なサポーターだそうです。

母親も父親と同じく、Jリーグ発足時からガンバ大阪を応援してきました。

両親は特に松波正信のファンで、実家には子供の頃にガンバ大阪の選手と一緒に撮った写真が飾られています。

兄は2人で、宇佐美貴史は男3人兄弟の末っ子です。

上の兄2人がサッカーをしていたことに影響を受け、1歳半の頃から自然とボールに触れ始めたといいます。

長兄は宇佐美貴史と同じく長岡京サッカースポーツ少年団からガンバ大阪の下部組織に入り、家長昭博と元チームメイトでした。

家族全員が宇佐美貴史の一番の理解者であり、温かい支えが彼の現在の成功に大きく貢献していることは間違いありません。

 

宇佐美貴史は結婚している?彼女は?

宇佐美貴史は結婚している?彼女は?

宇佐美貴史は結婚しています。

2011年6月27日に、タレントの宇佐美蘭さんとの入籍を発表しました。

お相手は1歳年上の幼なじみで、旧姓は田井中蘭さんです。

この入籍により、当時妻が所属していた芸能事務所セント・フォースと、男性としては初となるマネジメント契約を結んでいます。

2014年12月20日には、入籍から3年越しで結婚披露宴を行いました。

2015年12月24日には第1子となる長女が誕生しています。

その2日後の天皇杯・サガン鳥栖戦ではゴールを決め、長女の誕生を祝うゆりかごパフォーマンスを披露しました。

その後、次女も誕生しています。

このように、宇佐美貴史は2011年に結婚し、長女と次女にも恵まれて、家族を持ちながらプレーを続けています。

今後も家族に見守られながら、選手としての活躍を続けていくことが期待されます。

 

まとめ

ここまで宇佐美貴史の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。

Jリーグで活躍し、サッカー日本代表にも選出されました。

今後の活躍がますます期待されます。

これからも、宇佐美貴史の活躍に注目していきましょう!

 

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