乾貴士のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は?

乾貴士のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は? サッカー

乾貴士は、J2リーグのジュビロ磐田に所属し、ミッドフィルダーとして活躍するプロサッカー選手です。

また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。

出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?

この記事では乾貴士のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。

 

乾貴士とはどんな選手なのか?

プロフィール

乾貴士(いぬい たかし)は1988年6月2日生まれ、滋賀県近江八幡市出身のプロサッカー選手です。

現在はJ2リーグ所属のジュビロ磐田でプレーしており、背番号は23番をつけています。

身長169cm、体重63kg、利き足は右足、愛称は「ぬいぬい」「タカ」です。

緩急を巧みに使ったドリブルで相手の背後を取り、味方とのコンビネーションで数多くのチャンスを演出することができます。

ポジションと特徴

ポジションはミッドフィルダーで、主に左サイドやトップ下でプレーする万能型のアタッカーです。

特徴としてまず挙げられるのが緩急をつけたドリブルです。

ゆっくりとしたリズムで相手を引きつけたのち、一瞬でトップスピードに切り替えて置き去りにする独特の間合いを持ち味としています。

中央へのカットインと縦への突破のどちらにも自信を持っているため、相手に的を絞らせません。

また、正確なパスセンスも大きな武器です。

味方の動き出しを的確に見極め、コンビネーションプレーからチャンスを演出する場面を数多く作り出してきました。

さらに、試合を読む戦術眼にも定評があり、ベテランとなった現在もチームに欠かせない存在として存在感を放っています。

 

乾貴士の出身地は?

乾貴士の出身地は?

出身地は滋賀県近江八幡市

出身地は、滋賀県近江八幡市です。

琵琶湖の東岸に位置し、古くから近江商人の町として栄えてきた歴史ある街です。

市内には、豊臣秀次が築いた八幡山城の城下町として整備された「八幡堀」が今も残り、石積みと白壁の土蔵が並ぶ美しい景観は数々の映画やドラマのロケ地にも使われています。

また、商売繁盛や厄除けの神社として親しまれる「日牟禮八幡宮」では、毎年3月に滋賀県を代表する火祭り神事として知られる「左義長まつり」が行われ、多くの参拝客で賑わいます。

特産品としては「近江牛」や「鮒ずし」といった全国的に知られるグルメも豊富で、食の面でも魅力あふれる街です。

有名人としては、タレントの松居一代さん、タレントの田名部生来さん、ミュージシャンの岡林信康さんなど、多彩な分野で活躍する人材を輩出しています。

このように、近江八幡市は歴史、文化、食といった魅力がバランスよく融合した、活気あふれる街です。

小学校、中学校、高校、大学は?

小学校は、近江八幡市立八幡小学校に通いました。

この頃から地元のサッカークラブに加入し、サッカーの基礎を身につけていきました。

中学校は近江八幡市立八幡中学校に進学し、この頃も同じクラブでプレーを続けながら技術を磨いていました。

高校は滋賀県立野洲高等学校へ進学。

大学へは進学せず、高校卒業後にプロの道へ進みました。

 

乾貴士の経歴は?

年 クラブ 出場 得点
2007-2008 横浜F・マリノス 7 0
2008 セレッソ大阪(期限付き) 20 6
2009-2011 セレッソ大阪 94 29
2011-2012 VfLボーフム 30 7
2012-2015 アイントラハト・フランクフルト 75 7
2015-2018 SDエイバル 89 11
2018-2019 レアル・ベティス 8 0
2019 デポルティーボ・アラベス(期限付き) 12 2
2019-2021 SDエイバル 57 3
2021-2022 セレッソ大阪 13 4
2022-2025 清水エスパルス 110 19
2026 ヴィッセル神戸 6 0
2026- ジュビロ磐田

プロ入り前の経歴

幼少期、7歳上の兄の影響でサッカーを始め、小学校入学と同時に地元のセゾンフットボールクラブに加入しました。

小学校時代から中学校時代までの9年間、このクラブでプレーを続け、サッカーの基礎を身につけていきました。

指導は非常に厳しく、何度も辞めたいと感じたそうですが、その都度母に反対され、辞めることはできなかったといいます。

高校時代は、滋賀県立野洲高等学校のサッカー部に所属。

2年生からレギュラーの座を掴むと、持ち前のドリブル突破でチームの中心選手として活躍しました。

2005年度の全国高等学校サッカー選手権大会では、独創的な攻撃サッカーで旋風を巻き起こしたチームの一員として決勝まで勝ち上がり、見事に優勝を果たしています。

高校卒業後の2007年、横浜F・マリノスとプロ契約を結び、プロサッカー選手としての一歩を踏み出しました。

Jリーグでの経歴 1

2007年に横浜F・マリノスに加入しプロデビューを果たしましたが、層の厚い選手層に阻まれ、思うように出場機会を得られませんでした。

出場機会を求めて2008年6月、セレッソ大阪へ期限付き移籍します。

当時同じチームにいた香川真司とのコンビネーションで持ち味を発揮し始め、同年のJ2リーグで20試合に出場し6得点を記録しました。

その活躍が認められ、2009年からセレッソ大阪への完全移籍が決定します。

同年5月23日のアビスパ福岡戦、11月8日のザスパ草津戦ではそれぞれ1試合4得点をマークするなど得点を量産し、シーズン47試合に出場して20得点、14アシストという圧巻の成績を残し、チームの4年ぶりのJ1昇格に大きく貢献しました。

J1の舞台に戻った2010年も清武弘嗣や家長昭博らとともにチームの中心選手として活躍し、リーグ戦33試合に出場して4得点を記録しました。

2011年も開幕から主力として活躍を続け、この年のJ1優秀選手賞を受賞するなど、その実力は海外からも注目を集めるようになりました。

セレッソ大阪では通算94試合に出場し29得点を記録し、その活躍が評価されてドイツ・ブンデスリーガへの挑戦を決意しました。

ドイツでの経歴

2011年8月、ドイツ・ブンデスリーガ2部のVfLボーフムへ完全移籍しました。

移籍1年目からチームの主力として起用され、リーグ戦30試合に出場しチームトップとなる7得点を記録する活躍を見せました。

その実力が評価され、2012年6月には1部の名門アイントラハト・フランクフルトへ移籍します。

当初は言葉の壁やフィジカル面の違いに苦しむこともありましたが、持ち前のテクニックと得点感覚で徐々にチームに欠かせない存在となっていきました。

移籍後の同年9月16日、ホームでのハンブルガーSV戦でブンデスリーガ初ゴールを記録しました。

以降もフランクフルトの中心選手として活躍を続け、2015年までの在籍期間中にリーグ戦で75試合に出場し7得点を挙げています。

ドイツでの4年間で着実に経験を積み、ヨーロッパのトップレベルで通用する選手へと成長を遂げました。

スペインでの経歴

2015年8月、リーガ・エスパニョーラのSDエイバルへ移籍しました。

クラブ史上初のアジア人選手としてスペインに渡り、周囲の期待を一身に受けてのスタートとなりました。

2016年1月にはリーガ・エスパニョーラ初ゴールを記録すると、持ち前のドリブルとパスセンスで徐々にチームにフィットしていきました。

2017年5月21日の最終節・FCバルセロナ戦では2得点を挙げる活躍を見せ、日本人選手として初めてバルセロナから得点を奪うという快挙を達成しています。

エイバルでは3シーズンにわたり主力として活躍し、リーグ戦で89試合に出場し11得点を記録しました。

2018年夏、さらなるステップアップを目指してレアル・ベティスへ移籍しましたが、出場機会には恵まれず、リーグ戦の出場は8試合にとどまりました。

出場時間を求めて2019年1月、デポルティーボ・アラベスへシーズン終了までの期限付き移籍が決まります。

2月23日のセルタ・デ・ビーゴ戦では、日本人選手として史上初となるリーガ・エスパニョーラ通算100試合出場を達成しました。

アラベスでは12試合に出場し2得点を記録しています。

シーズン終了後の2019年夏、古巣SDエイバルに復帰しました。

2度目のエイバル在籍では2021年までの2シーズンでリーグ戦57試合に出場し3得点を挙げ、6年間に及ぶスペインでの挑戦に区切りをつけました。

Jリーグでの経歴 2

2021年8月、2度目となるセレッソ大阪への復帰が発表されました。

移籍後は自ら志願して背番号を「8」に変更するなど意欲を見せましたが出場機会は限定的で、2022年6月にクラブと合意のうえ契約を解消し退団しています。

この復帰期間はリーグ戦13試合に出場し4得点という成績を残しました。

2022年7月、静岡の清水エスパルスへの完全移籍が発表されました。

清水では長くチームの中心選手として活躍しましたが、チームは2022年シーズン限りでJ2降格となりました。

それでもチームに残って再昇格を目指し、2024年にはリーグ戦30試合に出場し5得点を記録してチームのJ2優勝・J1昇格に貢献しました。

J1に復帰した2025年シーズンもチームで唯一となる全37試合に出場し3得点を記録するなど、大黒柱として存在感を示しました。

清水エスパルスでの在籍中は通算110試合に出場し19得点を記録し、2023年・2024年のJ2ベストイレブンにも選出されています。

2025年12月2日には清水との契約満了が発表され、2025年12月27日にヴィッセル神戸への完全移籍が発表されました。

2026年に行われたJ1クラブによる特別大会「明治安田J1百年構想リーグ」ではチームの優勝に貢献し、プロ入り後初めてとなるタイトルを獲得しましたが、出場は6試合にとどまりました。

2026年6月、より多くの出場機会を求めてジュビロ磐田へ完全移籍しました。

清水時代に監督、神戸時代にはコーチとして苦楽をともにした指揮官のもとで新たなスタートを切りました。

日本代表での経歴

高校在学中の2006年にはU-21日本代表に選出され、2試合に出場しました。

A代表デビューは2009年1月20日、AFCアジアカップ・カタール大会の予選、イエメン戦でした。

当時J2リーグに所属しながらの異例の代表選出で、金崎夢生とともに代表デビューを飾っています。

以降コンスタントに代表活動に参加し、2013年にはFIFAコンフェデレーションズカップ、2015年にはAFCアジアカップのメンバー入りを果たしました。

2014年11月14日のキリンチャレンジカップ・ホンジュラス戦では代表初ゴールを記録しています。

2018年には、ロシアで開催されたFIFAワールドカップのメンバーに滑り込みで選出されました。

大会当時の体重は59kgと、出場国の中でも最軽量クラスの選手の一人だったといわれています。

グループステージのセネガル戦ではワールドカップ自身初となるゴールを決め、決勝トーナメント進出に大きく貢献しました。

決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、日本が2点をリードする展開のなかでチームの2点目となる豪快な無回転シュートを突き刺しましたが、試合終盤に逆転を許し、2-3でベスト16敗退となりました。

2019年にはAFCアジアカップのメンバーにも名を連ねています。

日本代表としては、国際Aマッチ通算36試合に出場し6得点を記録しています。

 

乾貴士の年俸は?

乾貴士の年俸は?

年俸は、プロ入りした2007年の横浜F・マリノス時代は360万円ほどだったとされています。

2008年にセレッソ大阪へ期限付き移籍した際は480万円、完全移籍後の2009年には1,000万円、2010年には1,800万円まで上昇しました。

2011年にドイツのVfLボーフムへ移籍すると3,000万円に増額され、翌2012年にアイントラハト・フランクフルトへ移籍した際には1億5,000万円まで一気に跳ね上がったとされています。

2015年にスペインのSDエイバルへ移籍した当初は7,000万円〜1億円程度だったとみられていますが、2018年にレアル・ベティスへ移籍した際には3億円に達したと報じられています。

2019年にエイバルへ復帰した際の年俸は1億5,000万円とされ、エイバル・ベティス時代が乾貴士のキャリアの中でも最も年俸が高かった時期とみられています。

2021年にセレッソ大阪へ復帰した際も1億5,000万円と、海外時代に近い高水準が維持されました。

2022年に加入した清水エスパルスでも1億5,000万円程度だったとされ、生涯年俸は16億円を超えるとの試算も報じられています。

2025年に完全移籍したヴィッセル神戸では、年俸4,500万円だったと報じられています。

2026年に加入したジュビロ磐田での年俸の詳細な情報はありません。

※金額は推定です。

 

乾貴士の家族は?

乾貴士の家族は?

家族構成は、父・母・本人・兄の4人家族です。

父親については詳しい職業などは公表されていませんが、滋賀県近江八幡市で家族を支えながら、乾貴士のサッカー人生を陰で支えてきた存在だと考えられます。

母親は教育熱心な性格で知られ、幼い頃の乾貴士が所属クラブでの厳しい指導に耐えかねて「辞めたい」と訴えた際にも、それを許さず続けさせたという逸話が残っています。

その厳しさが、後に世界の舞台で活躍する乾貴士の忍耐力を育んだとも言えるでしょう。

兄は乾貴士より7歳年上で、幼い頃の乾貴士がサッカーを始めるきっかけを作った人物です。

兄がサッカーをする姿に憧れ、自分もプレーしたいと感じたことが、乾貴士のサッカー人生の原点になったとされています。

現在は結婚して自身の家庭を築いており、家族全員が乾貴士の活躍を温かく見守っています。

 

乾貴士は結婚している?彼女は?

乾貴士は結婚している?彼女は?

乾貴士は2010年3月2日に一般の方と結婚したことをクラブを通じて発表しています。

お相手は当時24歳で、乾貴士より3歳年上だったと伝えられています。

結婚から間もない同年7月8日には第一子となる長男・皓貴(こうき)くんが誕生し、乾貴士は「家族が一人増えたので、より一層がんばっていきたい」とコメントを寄せました。

皓貴くんは成長し、現在は大阪の強豪クラブチームでサッカーに励んでいると報じられています。

海外でのプレーが長かった乾貴士ですが、シーズン中は家族と離れて単身で戦地に赴くことも多く、家族の支えが遠征生活を続けるうえで大きな心の支えになっていたと考えられます。

近年はSNSで家族の様子を発信する機会は少なくなっているものの、息子とのリフティング対決の様子を披露するなど、良好な家族関係がうかがえます。

今後も家族に見守られながら、選手としての活躍を続けていくことが期待されます。

 

まとめ

ここまで乾貴士の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。

Jリーグで活躍し、サッカー日本代表にも選出されました。

今後の活躍がますます期待されます。

これからも、 乾貴士の活躍に注目していきましょう!

 

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