室屋成のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は?

室屋成のwikiプロフ|出身地や経歴、年俸を調査!家族や結婚・彼女は? サッカー

室屋成は、JリーグのFC東京に所属し、ディフェンダーとして活躍するプロサッカー選手です。

また、サッカー日本代表にも召集され、注目を集めています。

出身地はどこで、どんな経歴を持っているのでしょうか?
年俸はどのくらいなのでしょうか?
家族や結婚・彼女はどうなのでしょうか?

この記事では室屋成のプロフィールを徹底的に調査しました。
サッカーへの向き合い方、人生観など、彼の魅力に迫ります。

 

室屋成とはどんな選手なのか?

プロフィール

室屋成(むろやせい)は1994年4月5日生まれ、大阪府熊取町出身のプロサッカー選手です。

現在はJリーグのFC東京に所属し、背番号は2番をつけています。

身長176cm、体重70kg、利き足は右足、愛称は「セイ」です。

高い持久力と運動量を持ち味とし、攻撃参加にも優れたサイドバックです。

ポジションと特徴

ポジションはディフェンダーで、主にサイドバックとしてプレーします。

3バックが採用されたときは、ウイングバックでもプレーします。

特徴としてまず挙げられるのが高い持久力と運動量です。

攻守に身体を張るハードワークで、チームを支えます。

また、果敢な攻撃参加も彼の大きな強みです。

攻め上がりから、クロスやラストパスでアシストを生み出します。

さらに、左右両サイドをこなす器用さも見逃せません。

右サイドバックと左サイドバックに加え、ウイングバックでもプレーします。

 

室屋成の出身地は?

室屋成の出身地は?

出身地は大阪府熊取町

出身地は、大阪府熊取町です。

大阪府の泉南地域に位置し、泉佐野市や貝塚市と隣接する、府内の町村で最も人口が多い町です。

関西国際空港からは、約10kmの距離にあります。

1889年に熊取村として発足し、1951年11月3日に町制を施行して熊取町となりました。

1963年に、京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)が設置されました。

設置と引き換えに熊取駅が快速停車駅となり、大規模な宅地開発が進みました。

人口も急増し、農村型の集落から大都市近郊の住宅都市へと変わっています。

奥山雨山自然公園は、「大阪みどりの100選」の一つです。

江戸時代の庄屋豪農の家屋を保存した中家住宅や、降井家書院、来迎寺本堂は、重要文化財に指定されています。

毎年開かれる熊取だんじり祭りでは、町内11地区のだんじりが曳行されます。

主な産業は、タオルです。

町内には、大阪体育大学や大阪観光大学、関西医療大学などの大学があります。

2011年7月24日には、町民体育館のひまわりドームで、NHKのど自慢が開かれました。

有名人としては、元プロ野球選手の村田透さん、中後悠平さん、歌手の喜多修平さんなどを輩出しています。

このように、熊取町は、大都市近郊の住宅都市としての利便性と、文化財や祭りなどの歴史を併せ持つ、魅力あふれる街です。

小学校、中学校、高校、大学は?

小学校は、熊取町立北小学校に通いました。

この時期から、地元のサッカークラブでプレーしていました。

中学校は熊取町立熊取北中学校に進学し、この頃も地元のサッカークラブでプレーしながら技術を磨いていました。

高校は青森県の青森山田高等学校へ進学しました。

大学は明治大学へ進学しました。

 

室屋成の経歴は?

年 クラブ 出場 得点
2016-2020 FC東京 108 2
2020-2025 ハノーファー96 142 5
2025- FC東京

プロ入り前の経歴

小学校時代は、地元のゼッセル熊取FCに所属しました。

同学年の南野拓実も、同じゼッセル熊取FCに所属していました。

中学校時代は、ゼッセル熊取FCジュニアユースでプレーしました。

高校時代は、黒田剛監督の勧誘を受け、青森山田高等学校のサッカー部でプレーしました。

高校2年生の時に、サイドバックへ転向しています。

第91回全国高校サッカー選手権大会ではベスト16に終わりましたが、優秀選手に選出されました。

優秀選手で構成された日本高校選抜にも参加し、デュッセルドルフ国際ユースサッカー大会で初優勝を果たしています。

大学時代は、明治大学のサッカー部に所属しました。

清水エスパルスからのオファーがありましたが、長友佑都を輩出した明治大学への進学を選んでいます。

1年目の2013年には、関東大学サッカーリーグ1部の新人賞を受賞しました。

2015年には、同リーグ1部のベストイレブンに選出されています。

Jリーグでの経歴 1

2016年2月、明治大学サッカー部を退部し、在学のままFC東京に加入しました。

同月に練習へ合流しましたが、第5中足骨を骨折する重傷を負いました。

約4か月の離脱を経て、U-23チームで復帰しています。

6月12日のJ3第12節、藤枝MYFC戦で、プロ入り後初の公式戦出場を果たしました。

翌月からトップチームに合流しました。

7月9日のJ1第2ステージ第2節、ヴァンフォーレ甲府戦でJ1初出場を果たしています。

同節以降は、右サイドバックで先発出場を続けました。

11月9日の天皇杯4回戦、Honda FC戦では、ループシュートで決勝点となるプロ初ゴールを挙げています。

この年のJ1では12試合に出場しました。

2017年は、鹿島アントラーズとの開幕戦にフル出場しています。

一時は徳永悠平とのポジション争いで劣勢に立たされましたが、主力として定着しました。

3バックが採用されたときは、ウイングバックでプレーしています。

ルヴァンカップ・プレーオフ第2戦のサンフレッチェ広島戦では、ミドルシュートで決勝点を挙げました。

8月のドイツ遠征後は、レギュラーとして得点にも絡んでいましたが、浦和レッズ戦で負傷して離脱しています。

9月30日の第28節、ジュビロ磐田戦で復帰を果たしました。

この年のJ1では26試合に出場しています。

2018年4月11日の第7節、鹿島アントラーズ戦で、J1初ゴールを決めました。

この年はJ1で30試合に出場し1得点を記録しています。

2019年はJ1で30試合に出場し、Jリーグベストイレブンに選出されました。

2020年はJ1で10試合に出場し1得点を記録しています。

AFCチャンピオンズリーグ2020のプレーオフでも、1試合に出場し1得点を挙げました。

FC東京では、J1通算108試合に出場し2得点を記録しています。

ドイツでの経歴

2020年8月14日、ドイツの2.ブンデスリーガに所属するハノーファー96への完全移籍が発表されました。

背番号は「21」となりました。

9月14日のDFBポカール1回戦で、移籍後初出場を果たしています。

この試合では、高精度のクロスでゴールを演出しました。

2020-21シーズンは、2.ブンデスリーガで32試合に出場しています。

2021-22シーズンの開幕戦では、ブレーメン戦に右サイドバックでフル出場し、アシストを記録しました。

このシーズンは、2.ブンデスリーガで27試合に出場しています。

2022年8月20日、1.FCマクデブルク戦で、ドイツ初ゴールを記録しました。

2022-23シーズンは、31試合に出場し3得点を挙げています。

この頃から、3バックの右ウイングバックで起用されるようになりました。

2023年12月9日の第16節、カールスルーエ戦では、後半アディショナルタイムに同点ゴールを決めています。

2023-24シーズンは、25試合に出場し2得点を記録しました。

2024-25シーズンは、27試合に出場しています。

ハノーファー96では、2.ブンデスリーガ通算142試合に出場し5得点を記録しました。

Jリーグでの経歴 2

2025年5月23日、FC東京への完全移籍加入が発表されました。

ハノーファー96から、約5年ぶりの復帰となりました。

背番号は、ハノーファー96への移籍前と同じ「2」です。

2025年シーズンは、長友佑都とサイドを入れ替える形で、本職ではない左サイドバックで起用されることも多くありました。

この年はJ1で17試合に出場しています。

2026年2月3日、明治安田J1百年構想リーグのキャプテンに就任することが発表されました。

百年構想リーグでは20試合に出場し4得点を記録しています。

地域リーグラウンドのJ1 EASTベストイレブンにも選出されました。

2026/27シーズンも、キャプテンに再任されています。

日本代表での経歴

2011年に、U-17日本代表に選出されました。

左サイドバックとして2011 FIFA U-17ワールドカップの4試合に出場し、チームのベスト8進出に貢献しています。

2014年には、U-21日本代表として、アジア競技大会に出場しました。

チームはベスト8でした。

2016年1月には、U-23日本代表の一員として、AFC U-23選手権2016に出場しました。

メンバーで唯一の大学生でした。

準々決勝のU-23イラン代表戦では、左足からのクロスで豊川雄太の決勝点をアシストしています。

チームは優勝し、リオデジャネイロオリンピックの出場権を獲得しました。

負傷明けだったため、オリンピック本大会のメンバー選考では当落線上にいました。

キリンチャレンジカップのU-23南アフリカ代表戦で、矢島慎也の得点をアシストし、本大会のメンバーに選出されています。

本大会では、グループリーグ敗退のチームにあって、全3試合にフル出場しました。

2017年12月5日、EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2017に臨むA代表に追加招集され、初選出となりました。

12月9日の北朝鮮戦で先発出場し、A代表デビューを果たしています。

2019年1月には、AFCアジアカップ2019のメンバーに選出されました。

グループリーグ第3戦のウズベキスタン戦では先発出場し、武藤嘉紀の得点をアシストしています。

2021年9月7日には、2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選の中国戦に出場しました。

国際Aマッチには、通算16試合に出場しています。

得点はありません。

 

室屋成の年俸は?

室屋成の年俸は?

年俸は、プロ1年目の2016年に、FC東京で480万円と言われています。

2017年から2020年までのFC東京での年俸の詳細な情報はありません。

2022年には、ハノーファー96での年俸が、ドイツ紙ビルトで36万ユーロ(5,000万円)と報じられています。

ハノーファー96でのそれ以外の年の年俸の詳細な情報はありません。

2025年に復帰したFC東京での年俸の詳細な情報もありません。

このように、室屋成の年俸は、2016年の480万円から、ハノーファー96時代の2022年には5,000万円と報じられるまでになりました。

※金額は推定です。

 

室屋成の家族は?

室屋成の家族は?

家族構成は、父・母・兄・本人の4人家族です。

父親については、職業などの詳細は明かされていません。

母親も、詳細は明かされていませんが、家族を支える献身的な存在であり、幼い頃から室屋成の成長を温かく見守ってきました。

兄は、室屋成より3歳年上で、兄弟は2人です。

兄の影響で、5歳の時にサッカーを始めました。

兄は近大和歌山高校に進学し、高校3年生の時に全国高校サッカー選手権大会に出場しました。

東京まで応援に行った経験が選手権への憧れとなり、青森山田高校へ進学する決め手の一つとなりました。

FC東京の公式プロフィールでは、一番大切なものとして「家族」を挙げています。

家族全員が室屋成の一番の理解者であり、温かい支えが彼の現在の成功に大きく貢献していることは間違いありません。

 

室屋成は結婚している?彼女は?

室屋成は結婚している?彼女は?

室屋成は結婚しています。

2018年8月6日に、一般女性と入籍しました。

同月17日に、クラブを通じて入籍を発表しています。

妻を支えながら、選手としても成長し続けたいと語りました。

2019年2月4日には、第一子となる長男が誕生しています。

2月13日に、FC東京が長男の誕生を発表しました。

妻と子どもへの感謝を述べ、より一層責任感を持って頑張りたいとコメントしています。

このように、室屋成は結婚して妻と子どもの家族を持ち、家族の支えを受けながらプレーを続けています。

 

まとめ

ここまで室屋成の出身地や経歴、年俸、家族、結婚・彼女について詳しく紹介しました。

Jリーグで活躍し、サッカー日本代表にも選出されました。

今後の活躍がますます期待されます。

これからも、室屋成の活躍に注目していきましょう!

 

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